大政翼賛会ではフリーキャラクター「大和一家」で啓発。子供たちにも浸透したもようです。
1940(昭和15)年秋に発足した大政翼賛会ですが、まず必要なのは「何のために戦っているか分からない」日中戦争が長期化して終わりが見えない中、何とか臣民の意識を戦争に向けさせることでした。そこで重視されたのが宣伝。しかもこのころには珍しく、大政翼賛会と日本漫画協会の手で、フリーキャラクターを使って自由に使わせることで国策に意識を集中させようとしたことです。下写真が、そのキャラクター「大和一家」を紹介した1940(昭和15)年12月7日の信濃毎日新聞のコピーです。
収蔵品には、いくつか大和一家が登場するものがあります。例えばこちら、浪費を戒め国債などの購入や貯蓄を奨める国策紙芝居「拾円札の喜び」(1941年7月15日発行)には、135億円の貯蓄目標を達成するため、大和一家全員が350円をしょっています。しかし、現金収入を得ている子どもは少ないから大変でしょ。
続いてこちら、「翼賛紙人形芝居」太平洋戦争突入後の1943(昭和18)年7月5日に発行されています。常会の寸芸などにもと言われていますが、11人の人形を操るのは大変だろうなーと。ガダルカナル島をめぐる1942年11月の第三次ソロモン海戦で戦艦が沈没(比叡、霧島の2隻でしたが、大本営発表は1隻でした)したことを受けて戦艦を献納しようという運動が広がり、それを当て込んだ商品です。
以前紹介しました太平翼賛双六にも駒として出ていましたね。こちら、以前紹介した軍事柄の着物と同種類のものです。
そして、こうした民間商品に大和一家があふれた結果、小学生からの慰問品にも登場することになります。こちら、以前紹介したやはりソロモンで戦った海軍の機関長が慰問品をまとめたものですが…
ほかにも、長谷川町子さんが新聞連載をするなどしています。わずかな収蔵品からでもこれだけいろいろあれば、けっこう活躍したといえるのではないでしょうか。まさに、人々が一方向に流されていtったであろうさまが見えてきます。
もっとお知りになりたい方は「大政翼賛会のメディアミックス 『翼賛一家』と参加するファシズム」(大塚英志著、平凡社)をご一読ください。