昭和12年正月の大阪毎日新聞付録「最近の東亜形勢図解」は陸軍の宣伝ー同年の在郷軍人点呼で利用の地図と比べれば…
2015年に初めて開いた展示会「信州と戦争の時代展」では、戦争の時代を知らない人たちが自然にその時代に踏み込めるようにと、会場入り口にこの地図を掲げました。
1937(昭和12)年1月1日発行の大阪毎日新聞社編さん「最近の東亜形勢図解」です。横108センチ、縦78センチと大型の地図です。当時の日本は朝鮮を併合したのち、傀儡国家で実質的な植民地の満州国を建国。国際連盟総会で42対1で満州国を民衆が起こした独立国と認めないとする決議を受け、日本は連盟脱退を決め、国際的に孤立を深めていた時期です。この地図の中国付近を見ますと、日本がどれぐらい中国を圧迫していたかが明白です。
関東軍が独断で始めた柳条湖事件(1931年9月18日)をきっかけに満州事変で東北部の3省を制圧し、隣接する熱河省も軍事制圧して、清朝の主だった面々や軍閥を利用して満州国を建国したのが1932年3月1日。満州事変は1933(昭和8年)5月31日の塘沽停戦協定で終結し、中国側は満州に接する広大な地域を非武装地帯とさせられます。日本政府は同年8月8日、満州国に政党その他の政治的団体は存在させないように閣議決定し、満州国が万一でも独立しないよう手を打って、植民地化しています。
さらに陸軍は非武装地帯を足掛かりとし、満州国に隣接したり近かったりする北支5省の資源を目当てに、1935(昭和10)年から中国と北支の分離工作を始めます。それが河北省への冀東防共自治委員会(のちに自治政府)という傀儡組織の発足で現れます。政府は1936年1月13日、傀儡政権の自治区域を華北5省に広める方針を決め、中国の駐屯軍を増強し圧迫しています。
上写真は、中央が北支5省で、わざわざ色を中国国内であるのに塗り替えて示しています。そこを境に、中国軍が対峙しているように兵隊の絵が描かれています。(下写真)
この年の7月7日、こうした圧迫の果てに、北京郊外での盧溝橋事件をきっかけとして中国との戦争が始まるのですが、この地図で特に強調されているのは、中国軍よりむしろソ連軍です。これまでの写真で赤い矢印で示されている華北などへのソ連の支援ルートと、満州国国境周辺に描かれている赤い兵隊が、それを伝えます。
陸軍は、基本的にソ連を仮想敵国とし、それに対抗する作戦をずっと検討していました。その理由の一つがこの地図にあるように、ウラジオストックからの空襲を防ぐ手立てが限られることでした。いざ開戦となったらここを満州国内から攻め込んで占領する、というのが狙いで、満州国を国防の最前線としました。が、逆にソ連と隣接する長い国境線を作ってしまいました。
地図に描き込まれた兵隊の数や武器も、中国よりソ連の方が多いのも、逆に中国とは「日本が望まない限り」戦争にならない、という当時の陸軍の考えを反映しています。
地図には正月の雰囲気を感じさせる緩いイラストも入っていますが、地図の右下部には近年の状勢が、まさに陸軍の解説で垂れ流されています。
実は、似通ったデザインの地図を同じころ、大手の各新聞社が発行しています。陸軍がソ連の脅威を国民に伝える狙いで共通の資料を各新聞社に提供し、それぞれが地図を発行したとみられます。日本を守るため朝鮮を併合し、それでは不足で傀儡国家の満州国をつくったものの、新たに満州国国境のソ連に備える必要が出てきてそこに力を注ぐ…。いくら勢力を広げても新たな不安が生まれ、それに対処していく日本の姿が垣間見えます。
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この年の6月、在郷軍人の点検のための検閲点呼で配られた地図があります。まさに、満州国境のソ連軍の脅威を伝える内容の地図であり、これまで示してきた地図の出どころはこれか、と思えるものです。
陸軍が資料をマスコミに渡して、そろって出すように促したとみられることと、それに足並みをそろえて競争のように地図を発行した新聞社。陸軍の世論操作に本来は独立しているべき新聞社が付き合ったとみられることは、大変問題を感じるところです。既に満州事変当時から陸軍が力を強め、前年の二・二六事件でさらに影響を増したことも、影響しているでしょう。その現状を利用した陸軍が、マスコミに自分たちの主張を反映させて、国民にまんまと「北の脅威」を浸透させようとした実例といえるでしょう。
そうした貴重な資料でもありますので、これも裏打ちをして、デジタルの記録もし、保存に耐えうる形にしました。
そうした北の脅威しか考えていない中で、中国との戦争が何となく始まり、短期で片づけるはずが泥沼となって国力を消耗させていき、その過程での仏印進駐が米国などの硬化を招いて、最終的にはドイツ頼みの妄想のような勝利を描いただけで大平洋戦争に国を挙げて突入していく。その結果、人々の生活がどうなったか。思いをいたしてほしいと思います。適切な時期に軍の行動を戒める者がいなくなった国の末路が、いったいどうなったか。