学校の教材にも「防毒面」が登場ー形だけでも防空意識を浸透
今の小学校に当たる国民学校にも、軍事の波はかぶさっていました。修身などの精神面に加え、工作材料として「モケイ防ドク面組合せ」なるものも登場しました。こちらは、長野市内の学用品店が使った案内チラシで、1942(昭和17)年の年末に、1943(昭和18)年度用の教材として売り込んだものです。物資不足はかなりきている時期ではありましたが、こうした軍事傾向の物ならば、材料を確保できたのかもしれません。
さて、この「モケイ防ドク面組合せ」は、和紙で角胴型の本体を、ボール紙で正面や呼吸口を、セロファンで目の部分をつくるほか、呼吸口部分の補強用木片、そして首回りを止めるひもの4種類の部品でワンセットとしてあります。活性炭などのろ過装置はないので、外見だけですが、そうした工夫をすれば少々は実用にも耐えるのかと。
「製作品は相当使用に耐ゆる簡便折りたたみ用品なり」と説明してあるので、作った後は実際に防毒面を着けて避難する訓練なども想定していたのかもしれません。何度も言いますが、形だけですが、視界の狭さなど、いろいろ体験はできるでしょう。
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しかし、こんな工作材料、実際に注文したところがあったのかと思っていたところ、新聞に載っていました!
1944(昭和19)年2月5日の長野県の地方紙、信濃毎日新聞夕刊に「敵襲も平気! ぼくらは手製の防毒面」と見出しをつけた記事で、長野県諏訪郡豊田国民学校の4年生男子が工作の時間に作ったと紹介。「防空演習で学童の心構えを練るとともに、毒ガスに対する認識を童心に刻み込む」のが狙いだったということで、商品の狙いそのままです。
そして、実物そこのけの出来栄えだったということで「次の時間にこの手製防毒面をかぶって授業を受け、これさえあればいくら毒ガスをまかれても平気だと張り切っている」と締めくくっています。おそらく、当時の大日本帝国の国民学校では、同様の光景があちこちに見られたことでしょう。
しかし、これは、よくある子どもたちの戦争ごっこのつもりの行動を教師が見逃してくれているのでしょうか。わざわざ新聞記者が来訪し、写真付きで紹介しているところを見ると、そんな子どもの遊び心を利用した、一般向けのプロパガンダではないかと思えてなりません。
戦争ごっこがごっこのままであればいい。でも、戦時下ではそうはいかない。ごっこのつもりが本番に組み込まれていく。いつの間にか。世の中の変化は、徐々に、しかし確実にやってくるのです。