戦時下の子どもたちに皇国史観を教えたのは、教科書だけではありませんー絵本だってこんな調子に
「日本ヨイ國」と題したこの絵本、岩手県出身の金子重正氏の作・画となっています。発行は1941(昭和16)年12月20日、太平洋戦争開戦間もなくの発行ですが、内容は当然、日中戦争時に検討し、作られたのでしょう。この年、金子氏は「小象物語」で文部大臣賞を得ている実力者でした。
12ページの本分は、出だしが天皇への感謝から。「ワガクニハ カミサマガ オツクリニ ナッタ タットイ クニデス」と、世界に例のない、現実と神話を結び付けた皇国史観を丸出しにします。
続くページでは、肥沃な土地と気候に恵まれて何でも取れる農業、周囲を取り巻く海の産物、都会や風光明媚な島々、活気のある港を描いていきます。御国自慢が続くかと思いきや、いきなり登場するのが、この下の見開きです。
「カミサマガ オツクリニ ナッタ ニッポン!」と再度強調するのは、わけがあります。どんなことがあっても守るため国に尽くせと「滅私奉公」を説き、将来は兵隊になって日本を守れと、教育勅語の「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉ジ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」の精神をかみ砕いて示すためでしょう。かっこよい攻撃機と共に並べ、組み立てが見事です。
最後は1937(昭和12)年から続く日中戦争の説明で、日本兵がなぜ中国にいるのかを、「ナカヨク シテユカウト イッシャウケンメイニ ツクシテイマス」の一文で、なんとなく悪い奴をやっつけて中国を助けているというように持っていきます。多くのプロパガンダ写真同様、中国の子どもと日本兵が仲良くしている様子としているのが興味深いです。
最後の「お母様方へ」で、狙いを明確にしていますが、子どもがこれらの話を受けて、心から教育勅語などの精神を引き出すようにと。まあ、この絵本を見せられれば、そんな気分に自然になったでしょう。著作者の狙い通りというところでしょうか。
さて、作者の金子氏は、太平洋戦争中の1943(昭和18)年にも「ボクハ ツヨイコ」と戦争ごっこの少年を表紙にした絵本を描くなど、童画作家として活躍しています。1945(昭和20)年には現在の岩手県二戸市に疎開。敗戦後も、雑誌などで男女向けに多くの漫画を描いています。「せき・しろ」「しのぶ・いっぺい」「しのぶ・みゆき」といったペンネームを使っていて、「おどるひばりちゃん」などのシリーズでヒットしたとか。1979(昭和54)年の国際児童年に向けては、世界の子どもを題材にした作品もつくられています。
もはや故人となられた方に、敗戦によってどんな考えで自身を整理し、戦後の創作をしたのか。確認する手立てがないのは残念なことです。多くの文化人同様、時代に合わせた、のでしょうか。
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