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<戦時下の一品> 戦勝ゲーム

 箱には戦勝ゲームとありますが、日の丸マークの駒を軸に動かしながら、一番奥の蒋介石を手前中央に持ってきて追放するというパズルです。今ならロイヤルアウトゲームとか、当時なら箱入り娘とか言われたパズルの戦時版です。

右が戦後品の箱入り娘。バリエーションは多数あり、戦勝ゲームもそのひとつ

 普通は木製の台座に木製の駒を使うのですが、戦勝ゲームは紙箱に竹で枠を入れ、駒も竹製となっています。縦の長さが11センチ、横幅9センチと小さめ。竹と底紙の相性が悪く、駒を滑らせにくいのが難点、というか、面白みを半減させる感じです。なお、英仏ロの3か国が入っているのに、米国が入っていないのは、刺激を避けるためだったとは考えすぎでしょうかねえ。

紙箱に竹の枠。手前の竹は出口部分を切り下げています
竹製の駒が、どうもすべりにくくて、難解と重なりイラつきます(私だけ?)

 さて、この戦勝ゲーム、説明文では「重慶攻略」となっています。とすると、日中戦争開戦から一年余、蒋介石が政府を武漢から重慶に移した後の商品ということになります。また、木の統制も厳しくなっているという状況からか、やはり1939(昭和14)年から1940(昭和15)年ごろにかけてつくられたのでしょう。

遊び方の説明や狙い、参考の解き方を書いてあります
「日本軍の作戦攻撃は遂に蒋介石を下の出口より追放」が目的

 そして、箱のふたには「祈武運長久」「征地への慰問袋に」「各家庭の娯楽に」とあります。家で遊ぶというより、慰問に送ると言えば買いやすい心理を突いています。そして免罪符の「武運長久」。これで堂々と販売できたことでしょう。

武運長久と入れて堂々の販売

 一点、箱の題名と説明図のずれについては、最初は重慶に蒋介石が移る前に作られたゲームが、説明の題だけ入れ替えたのかとも考えましたが、そこまでロングセラーだったかどうか。そして1937年からここまで物資が不足していたのか。そのあたりを考えると、やはり1939(昭和14)年末ごろからというのが正しいように思えます。まあ、安くあげるため竹を使ったのかしれませんが。すぐに民需が苦しくなるような物資不足の国が長期の戦争をやったとみられる、一つの証人にはなるかもしれませんね。

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信州戦争資料センター(まだ施設は無い…)
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