0505

実は私は3月くらいに謎の足の痙攣、痺れを感じていました。

きっとこれは筋肉痛かな、でも座っていると痛みが治りました。

やがて、その痛みは500メートルも歩けないくらい悪化していきました。
この当時はベッドで仰向けに寝ることもできずに横向きで寝ており、
慣れない姿勢で寝ていたので肩こりや頭痛も毎日ありました。

自分の体がおかしい。

そう思い、近所の整形外科へ。
1発で推間板ヘルニアだねと診断されました。

しかも2か所に症状が出ており、
かなり悪いよ、何かスポーツでもしていたの?
と聞かれました。

スポーツは高校の体育以来、散歩程度です。
心当たりがありませんでした。

先生に生活に支障が出ているのだからより治療をと、
大学病院の紹介状とヘルニアの説明冊子をくださいました。

冊子に、ヘルニアは
”重いものを日常的に持つ”ことも原因の1つであると書いてありました。

心当たりしかありませんでした。

男手がいない我が家で一番体が大きいのは私でした。
体の小さな祖父母や母の代わりに、
小学校高学年の時から、いつも荷物持ちをしていました。

中学高校では、受験勉強のため毎日7kg近い鞄を持って、
電車で通学していました。

きっとそれで、今更になって、
体が悲鳴をあげ出したのです。



歩けないというのは、思っているよりずっとストレスです。

ノタノタ、曲がった腰で歩く私を、
道で通りすがるみんなが追い越していきました。

なんだか、私だけ成長していなくて、社会のみんなに置いていかれるような孤独感を味わいました。

電車に乗っても、私は年齢が若いため、腰を曲げてゆっくり歩いていても、
誰も席を譲ってはくれませんでした。
むしろ歩くのが遅いと舌打ちをされました。

日本も昨今は物騒ですから、何を理由に因縁をつけられるかわかったものではありませんし、
私は一生懸命人の流れに乗って歩きました。

顔をひどく歪ませ、しゃがみ込んでも誰も手を差し伸べてくれることはありませんでした。
電車に乗っているような人というのは、毎日懸命に時間と何かに追われ生きている人なのです。
他人に目もくれませんでした。

なんだか寂しくなりました。

たかがヘルニア如きで、こんなにも振り回されている自分が、
情けなくなりました。

でも
私にとっては、たかがヘルニア、されどヘルニアなのです。


そんな中、

毎日少し沈んだ気持ちでいた私に、祖母が言い放ちました。

”ヘルニアなんてみんななってる、私もヘルニアなのよ?”


励ましてくれているつもりなのかもしれません、
でもそうじゃない。



確かに、ヘルニアの患者は珍しくありません。

でも同級生や身内、周りの知っている子の中では私一人です。

世間でどれだけの人がヘルニアかなんか、どうでもよかったのです。

だって私はその人たちを知りませんから。

みんなが健康的な生活を送っている中、幼児より遅くにしか歩けない私は、
心も体も辛かったのです。


それに祖母はヘルニアではありません。

彼女は常に話題の中心にいたい人なので、
親族にいつも心配される私が、
無意識のうちに羨ましかったのでしょう。


そして彼女の冷たい一言で、
私はますます自分が情けなく感じました。

たかがヘルニアで、もしかして自分は大袈裟で怖がりなのかと。

そして同時に苛立ちました。
なんでお前にそんなことを言われなければいけないのだと。

言われた一言にびっくりして、
拍子抜けしてしまい、
大したことも言えませんでした。

少し時間が経ってから、
怒りが沸々と湧いてきました。

彼女は、
人が病気になっていても自分が一番可愛い人なのです。

私は一体、いつまで彼女に振り回されるのでしょうか。
早く、寿命がきてほしいと毎日願うばかりです。

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