“絵本”と“ライブラリー”で生まれた「一生の思い出に残るかぞくの時間」:絵本作家、編集者、建築家が旅館「扇芳閣」5代目と語ったこと
伊勢志摩の鳥羽にある扇芳閣(せんぽうかく)は、70年以上の歴史を持つ老舗旅館。
2020年に5代目を継承した社長のせんとくん(谷口優太)は、コロナ禍を機にこれからの旅館がどうあるべきかを模索し、旅館のリブランディングとリニューアルを進めました。
「世界中の子育て家族から、最も愛される上質な旅館になる」をビジョンに掲げたリニューアルは、2年以上かけて大規模に進められています。
多世代が家族旅行を楽しめる「スイートルーム」やコーヒースタンド&お菓子づくりの工房が設けられました。また、1階には子どもも楽しく過ごせるライブラリー&プレイスペースが誕生し、宿泊客だけでなく地域の家族にも愛される空間へと変貌を遂げました。
リニューアルに先駆けて、リブランティングの象徴となったのが「オリジナル絵本」の制作。
旅先で“家族の時間”が生まれるきっかけになればと、クラウドファンディングを実施。150名以上の方々に応援していただき、絵本『オーギーのおやど』が完成しました。
今回のnoteでは、絵本を創作した作家のはっとりひろきさん、絵本の編集やライブラリーの選書に携わった編集者の大宮まり子さん、そしてライブラリーとプレイコーナーの設計を手がけた建築事務所「フジワラテッペイアーキテクツラボ(FUJIWALABO)」の木村七音流(ないる)さんがオンラインで対談し、せんとくんとともに当時を振り返りました。
完成したオリジナル絵本とライブラリーコーナーは、旅館「扇芳閣」を訪れる子育て家族にどのような時間をもたらしているのでしょうか。
そこでは、せんとくんも想像していなかった新たな“家族の景色”が生まれていました。
絵本を通して作る、家族がつながる体験
——まず、みなさんの自己紹介と、扇芳閣のリニューアルやリブランディングでどのような関わり方をされたのかを教えてください。
せんと:谷口です。1950年頃から営業している旅館「扇芳閣」の5代目として生まれ、2020年に事業承継しました。
「世界中の子育て家族から最も愛される上質な旅館になる」というビジョンのもと、赤ちゃんがお腹のなかにいるマイナス1歳から、小学生や中学生のお子さん、そして親御さん、おじいちゃん、おばあちゃんまで、子育てに関わる家族全員が快適に旅行や宿泊を楽しめるような旅館を目指しています。
はっとり:絵本作家のはっとりひろきです。
三重県の桑名市に住んでおりまして、今回絵本『オーギーのおやど』の物語と絵を創作しました。編集者の大宮さんに声をかけていただいたことをきっかけにせんとくんと出会い、オリジナル絵本の制作に携わることになりました。
大宮:フリーランスで編集やライティングをしている大宮まり子です。オリジナル絵本の編集とライブラリーの選書を担当しました。今は長野県在住なのですが、出身は三重県四日市市。扇芳閣さんに仕事で行くたびに、里帰りのような気分を楽しんでいます。
木村:フジワラテッペイアーキテクツラボ(FUJIWALABO)スタッフの木村七音流(ないる)と申します。私たちの事務所では今回のリニューアルの基本構想から関わらせていただいています。旅館全体の改修計画のなかでも、私はとくにライブラリーとキッズスペースの設計をメインで担当しました。よろしくお願いします。
——今回のリニューアルでは館内の改修にとどまらず、まずオリジナル絵本を制作し、自費出版を果たしました。その経緯を教えていただけますか?
せんと:コロナ禍で私たちが真剣に考えたのは「新しいかぞく旅行のあり方」でした。
家族旅行って、楽しい瞬間が多い一方で大変なことも多いんです。例えば荷物が多いとか、移動が大変とか、子どもの気まぐれなど...。その結果、楽しみに来たつもりが喧嘩しちゃったとか…。そういう課題をできるだけ解決したい。そして家族全員で楽しみながらつながりを深めるような場所を作りたいという想いが根底にありました。
その時に考えたのが「絵本」。
小さい頃に母親に絵本を読んでもらったり、逆に僕が妹に『じごくのそうべえ』っていう絵本を読んでこわがらせたり(笑)。
この経験から僕自身、家族の中で絵本がどれだけ特別な存在であったかを実感していました。その思いから「旅館で絵本を作るようなことができないかな」と考えたんです。
まずは大宮さんに簡単な企画書を送ったところ、「この絵本を読んでチェックインする、そんな旅のしおりみたいな一冊になるといいんじゃないか」とアドバイスをいただいて。「それだ!」と動き始めたのがきっかけですね。
——大宮さんはせんとくんからこのお話を聞いたときに、どう思いましたか?
大宮:せんとくんとは以前から友人として親しくしていて。宿を継ぐ前から「この宿を継ぎに戻るんだ」という覚悟をずっと聞いていたので、相談を受けたときはぜひ応援したいという気持ちがありました。
私自身もちょうど子どもが産まれたばかりだったので、絵本自体への興味もあったんです。鳥羽は幼い頃からよく訪れた場所だったので、その土地ならではの絵本を一緒に作りたいという気持ちになりました。
そこで同じ三重県で絵本作家として活躍されている、はっとり先生にオファーさせていただきました。
はっとり:ありがとうございます。いわゆる商業出版ではなく、旅館から依頼を受けて自費出版するかたちは初めての経験だったので、大宮さんからお話をいただき、ワクワクしました。
——どのようなプロセスで絵本を作っていったのでしょうか。
はっとり:制作に先立ち、まずは扇芳閣さんにうかがいました。宿の成り立ちから現在に至るまでいろんなお話をお聞きし、館内のあらゆる場所にも連れて行っていただきました。
大女将や女将から扇芳閣さんの歴史を教えていただけたことはすごくよかったなと思います。そのときは情報をインプットすることに一生懸命でしたが、とにかくせんとくんや今回のプロジェクトに関わるみなさんが素敵な方たちばっかりだったので、最初からすごく楽しそうな絵本ができそうだなと感じていました。
——普段も絵本を作る前には、現地や題材に近いところに足を運ぶことは多いのでしょうか。
はっとり:基本的に、僕は自分のなかにあるものや自分が楽しいと思える出来事から絵本を作っていくので、「自分の頭のなか」からストーリーやキャラクターが生まれることが多いです。
今回はそうではなく、外にあるものから絵本を作るという逆のアプローチだったので、すごくいい体験ができましたし、幅が広がったと思います。
林野庁に問い合わせ、キャラクターを森の動物に
——『オーギーのおやど』のキャラクターやストーリーは、扇芳閣のどういうところから生まれたのでしょうか。
はっとり:最初、みなさんと話してるときに「扇芳閣さんなので、扇のキャラクターにしましょう」となり、そこから「オーギー」っていう名前が出てきました。
ただ、扇をキャラクターに絵本を進めていくのが設定上どうしても難しくなってしまって...(笑)。
「オーギー」の名前自体はすごく気に入っていたので、扇芳閣さんの近くでほかにキャラクターにできるものはないかなと探していたんです。すると、リスがいいんじゃないかと思って。「リスって実際にいますか」と大宮さんやせんとくんに聞いてみました。
せんと:たしか、大宮さんがいろんなところに確認してくださったんですよね。
大宮:鳥羽市役所や林野庁に電話しましたね。リスでもいろんな種類がいるので(笑)。ちゃんと「リスがいる!」ことがわかり、そこから絵本に登場するほかの動物についても確認をとって、そこからストーリーを組み立てていただきました。
はっとり:キャラクターが扇からリスに変わるまでは、ストーリーが進まなくて苦労しました。決まってからは一気にできたので、本当に良かったです(笑)。
せんと:確かに、扇をモチーフにするだけでは話が限られてしまいますね(笑)。リニューアルの際には、旅館のテーマとして「扇」を取り入れた家具や空間をつくっていました。しかし、森の動物、特にリスをキャラクターとして取り入れることで、視点が一気に広がったと感じています。
小さい時に遊んだ森には思い入れがあるので、リスでいくんだなと決まってからは、もう安心してお任せしていました。
家族の思い出が蘇る、アルバムのような一冊に
—— 絵本を編集する上では、どんなことを心がけていたのでしょうか。
大宮:せんとくんは「絵本を通じて、子どもと親御さん、おじいちゃんおばあちゃんが交流する時間を作りたい」という話に加え、「子どもたちが絵本を読んで、宿の外にある森やアスレチックに出ていきたくなるような、宿をひらいていくきっかけにしたい」という点も大事にしていました。
『オーギーのおやど』の舞台は、扇芳閣の隣にある森。実際にある場所を踏まえてストーリーを展開してくださったので、絵本を読んだ後に、宿の外にみんなで出ていこうという動きが描けたのはすごくよかったなと思っています。
はっとり先生には“3世代”や“バリアフリー”など、扇芳閣として打ち出したいメッセージも入れたいと、無茶なオーダーも聞いていただきありがたかったです。
—— はっとり先生から届いたラフを見て、いかがでしたか?
せんと:元々はっとり先生の絵本は拝見していたので、柔らかい筆の運びが、僕がイメージしている家族やあたたかさに合うなと感じていました。そのイメージ通りのラフ画だったので、すごく嬉しかったのが第一印象です。
絵本では、オーギー自身がバリアフリーの部屋作りに取り組むシーンが描かれています。これまで僕や僕の親、祖父母のことなどヒアリングしていただいた内容が、思った以上にたくさんストーリーのなかに盛り込まれていて、まるで自分の家族写真のアルバムを見ているような感じになったんですよね。
僕は父を結構早くに亡くしているので、これまで家族写真も実はあまりなかったんです。この絵本はその代わりになるなと思うと感極まってしまって。ラフが届いたのは出張中だったのですが、出先で泣いてしまいました。
はっとり:嬉しいですね。絵本ってあんまり意味のあることを出しすぎると、説教じみてしまったり、広がりがなくなったりしてしまうので、あえてぼやかすようにしているんです。そのなかで、うまく想いを汲み取っていただけたのなら、この絵本はうまくできたのかもしれないなと思いました。
——クラウドファンディングでも150人を超える方に応援してもらい、2022年の12月に絵本が完成しました。実際に読まれている様子を教えてもらえますか?
せんと:絵本は各客室に一冊ずつと、1階のライブラリーに置いています。親子で読んでくださっている姿を見ると嬉しいですね。
せんと:実際に客室のなかではどのように読まれているかはわからないのですが、駐車場から見上げると客室の窓が見えることがあって。時々、親御さんがお子さんを膝に乗せて一緒に絵本を読んでいる姿が目に入ることがあります。
スタッフからも「絵本をきっかけにお客様にお声がけしやすくなった」という声もあります。
はっとり:いつも絵本を作るときは「自分が楽しい」という想いが中心で作っていますが、今回、みんなで一緒に作る感覚を味わうことができました。一つ一つ直していくたびにみなさんの顔が浮かんでくるので、ここは手抜いたら駄目だなとか、こうしたら喜んでくれるかなとか。とても新鮮な経験でした。
大宮:ずっと大事にしていきたい一冊になりましたね。この絵本が作って終わりではなく、これからもいろんな人の大切な本になったり、読み継いでくださるような一冊に育てていけたらと思います。
たしか、地元の幼稚園で演劇にしてもらったんですよね。
せんと:そうなんです。今回クラウドファンディングで応援していただいた方のなかに地域の保育園の園長先生がいらっしゃって、この絵本を題材に演劇にしてくださったんです。
そういう広がり方はまったく想定はしていなかったのですが、嬉しかったですね。絵本自体を気に入ってくれたからこそ劇につながったのかなと思うので。今後も地域で読んでいただく機会をもっと作っていけたらと思っているところです。
「旅館の魂」のスペース、令和の時代にリニューアル
——今回のリニューアルでは客室に加え、もともとラウンジがあった1階をライブラリーとプレイスベースに改修しました。
せんと:扇芳閣は元々大人向けに作られていた施設だったので、1階のパブリックスペースにはカラオケスナックや、夜食のラーメンを食べる場所などが設けられていました。
リニューアルにあたり、子どもや家族に優しい場所作りを考えるなかで、プレイスペースとライブラリーの構想が生まれたんです。
ただ子どもたちが遊べる・本が読める場所というよりも、「上質で、子どもだけではなく大人がいても心地よいライブラリーとプレイスペースを作りたい」と、建築家のFUJIWALABOの藤原徹平さんに伝えました。実際に設計を手がけてくれた木村くんは結構大変だったんじゃないかなと思います。
木村:いえいえ(笑)。谷口さんとはたくさんお話させていただき、すごくいい思い出になりました。事務所としても「対話から設計する」ことを大事にしているので、谷口さんにはとてもフラットに接していただき、率直にかつ徹底的に意見交換ができてありがたかったです。
——ライブラリーとプレイスペースの改修はどのように進んでいったのでしょうか。
せんと:扇芳閣は標高330メートルぐらいの山の中腹に建っているので、自然を感じる要素もこの1階のスペースに取り入れられないかと考えていました。
特に、かつて1階には昭和風情の残る滝が流れていた場所があり、そこは「旅館の魂」を感じさせるものでした。この滝が館内にあることで、お客様が「旅館に来た」と感じていただけるという独特の雰囲気がありました。
旅館がこれまで積み上げてきた味わい深さみたいなものを、滝とは別のかたちで継承して「旅館の魂」をうまく令和の時代に再編集してほしいという想いがありました。
木村:その話をうかがい、今回のリニューアルのなかでも大きな意味を持つ場所になるんだろうなと思いました。
朝6時から子どもたちが遊ぶプレイスペース
——プレイスペースの改修は、どのように進んだのでしょうか?
木村:谷口さんとはたくさん議論を重ね、谷口さんの2歳の息子さんと一緒に各地のキッズスペースに視察に行きました。
遊んでいる時に息子さんがどういうふうに動くんだろう、何を楽しみにしてるんだろうと観察しながら、「こういうのは意外と楽しそうかも」「こういうところが危ないかも」という気づきを共有し、それをチームに持ち帰って検討するかたちで進めていきました。
せんと:妻の美里にも視察や議論に参加してもらいました。彼女は結婚前からずっと発達障害の子どもの支援にかかわる仕事をしているんです。
普段から発語が難しいお子さんや癇癪があるお子さんなど、多様なお子さんの活動を見ているので、「どんなお子さんも楽しめるプレイスペースになればいいね」という話をしていました。
例えば、遊具に丸みをつけるといっても、どれぐらい丸みがあればお子さんがこけても大丈夫なのか。段差を一段何センチぐらいにしたら何歳ぐらいのお子さんが登れるのか。設計の中心になるようなところに深く関わってくれました。
木村:あとは、音楽家であり藤原のパートナーである沙良さんからも意見を聞いて、「オノマトペ」を使って空間を考えるアプローチも試みています。“ぴょんぴょん”と飛ぶ、スーッと流れる、“にょーん”と伸びているなど、「オノマトペ」は実際の遊び方に直結しているので、設計のヒントになりました。
せんと:普通であれば、コンタクトパーソンの数が増えるのは設計者としては避けたいと思うはずなんです。でも、藤原さんが度量を大きく受け入れていただいたので、本当にありがたかったですね。
木村:いろんな人の視点を入れるのは事務所としても大事にしていることなので、療育の観点からの優しい視点やオノマトペを取り入れて子どもたちの動きにつながるような設計ができてよかったと思います。
——「これは予想外の使われ方だった!」というシーンはありますか?
せんと:遊び方に関しては、おおむね予想通りでしたが、使われる時間帯がめちゃめちゃ予想外でしたね。もともとはチェックインする時やチェックイン後にお子さんが利用されるかなと思っていたのですが、今お子さんが利用される時間帯で多いのが、朝6時とかですね。
一同:早い…!!
せんと:お子さんはいつもの自宅と環境が変わると、朝早く目覚めてしまうことが多いんです。客室には遮光カーテンを入れて朝日が入らない工夫もしているのですが、朝起きちゃうんです。
リニューアル後は3世代の旅行も増えたので、それこそ朝の早いおじいちゃんおばあちゃんがお孫さんと一緒にプレイスペースで遊んでいることも多くて。夏休みの期間はほぼ毎日朝早くから誰かが遊んでくれていました。
最初は利用時間を朝8時からにしていたのですが、そっとその張り紙を取り除きました(笑)。「ああいう光景は、以前の扇芳閣にはなかったですよね」とスタッフも言ってくれています。
木村:その話は知らなかったので、私もすごく嬉しいです。
親子で遊ぶシーンが多いかなと思っていたので、今のお話みたいにおじいちゃんおばあちゃんとお子さんで過ごしてもらえて、親御さんは夫婦水入らずで部屋で過ごせるようになっているなら、すごくいいなと思いました。
新しい“木の根っこ”を中心に「流れ」を作る
——ライブラリーの改修は、実際どのように進んでいったのでしょうか。
木村:当初、ライブラリーは図書館のように四角い本棚が並ぶような設計を考えたのですが、藤原に見せると、「こんな機能的なものではないと思う」と言われてしまいました。
「これまでお客様をお出迎えしてきた滝は『旅館の魂』の中心的な存在。その意味を残しながら作り変えることがこの改修の一番大事なところだから、ただの機能的なライブラリになってしまってはいけない」と。なので、この場所が中心となる空間にすることを意識しました。
設計に加え、選書についても同時並行で進めていたのですが、「検索性が高い本棚よりも、旅館という非日常の場所だからこそ、胸にささる一冊に思いがけず出会える体験を提供したい」という話もしましたね。
一段上がって本を選ぶ、その場にちょっと座って本を読むといった能動的なふるまいがあると、本との出会い方としても面白いんじゃないかと思ったんです。
さらに館内にありながら自然を感じるようなものにできればと、トトロが寝ているような大きな木の根っこみたいなものをイメージし、進めていきました。
大宮:あの本棚は、木の根っこのかたちだったんですね。
木村:もう一つ、大事にしてたキーワードとして「流れを作ること」でした。ライブラリーとプレイスペースはチェックインをして客室に向かう動線の外にあるんです。
——1階の奥にあるんですよね。
木村:はい、放っておいたらわざわざそこに行かないような場所でした。
もともと奥行きがある空間で、スナックとラウンジで分設されていたのですが、その壁を取っ払い、エントランスから来た人が自然にライブラリーやプレイスペースに向かっていくような流れを設計のなかで意識していました。
本の周りをぐるぐる回り、その中でたまたま気になる本に出会って手に取ったり、そのままプレイスペースに持ち込んだりする。そんな動きが生まれたらと思っていました。
せんと:ライブラリーは奥まった場所にあって、エントランスから100mほどの距離があるんです。実はリニューアルしてから、お子さんたちがエントランスからライブラリーを目がけてめっちゃダッシュするんですよ(笑)。
大宮:目に入って思わず走っちゃうみたいな感じですか。
せんと:そうそう。「あっちに森がある!」って走っていっちゃうんです。お子さん同士で徒競走を始めることもあって(笑)。ちょっと危ないから、今一時的に柵を置いてるんですけど、壁を取っ払ったからこそ楽しんでいただけるのかなと。
せんと:あと、木村くんにはまだ話していないんですが......。
実はリニューアル後に大女将に「今回のライブラリーは、滝に代わる『旅館の魂の中心』の意味で作ったんだよ」と伝えたら、僕も知らない話をしてくれたんです。
木村:え、何ですか?
せんと:扇芳閣は僕が生まれた30年前に一度増築したのですが、それ以前は滝があった場所、つまりライブラリーの場所に当時のエントランスがあったんです。
一同:へえー!!
せんと:ライブラリー部分で一部構造上抜けない壁があったんですが、実はそこがエントランスで、裏側がチェックインカウンターになっていたそうなんです。
増築する時も「ここは大事な場所だから」と壁を残して滝にしたという経緯を聞きまして。昔からあの場所はお客様との出会いが生まれる、まさに「旅館の魂」の中心だったんだなとあらためて感じました。
一同:すごい!!
扇芳閣の歴史から生まれた選書の5つのテーマ
——ライブラリーの本は「海」「森」「旅」「かぞく」「私」という5つのテーマで選書されているそうですね。どんなふうにテーマが決まっていったのでしょうか。
大宮:せんとくんや木村さんと話し合いつつ、私の方で30〜40代の子育てをしている方にヒアリングをしました。
「宿にライブラリーがあればどんな使い方をしたいのか」「旅先でどんな本が読みたいか」。なるべく普段本を手に取らない人や本を読む時間が取れない人がどういうことを考えてるのかを意識して聞くようにしていましたね。
いただいた声のなかには、「じっくり読むよりも、子どもを見ながらパラパラ読める本がいい」とか「子どもが寝静まった後に、ゆっくり読めたら最高」みたいなリアルな声をいただき、ライブラリーのニーズをあらためて感じました。
せんとくんは、扇芳閣のリニューアルにあたって、宿で「一生心に残る、大切な一瞬」をつくりたいと話していました。そんな一瞬がどんな時に生まれるかを想像しながら、テーマを5つに絞り込んでいきました。
それには、やはりライブラリーの改修に先駆けて、はっとり先生と絵本を作った経験が大きかったですね。絵本の制作にあたり、扇芳閣の歴史や成り立ちを知るインプットが、選書の大きなヒントにもなりました。
せんと:旅館が建っている「森」は大きなキーワードの一つでした。
この森がある山は「樋ノ山(ひのやま)」という名前で通称「(雨)樋の山」と言われるくらい、雨が多いんです。たくさん降った雨が土に染み込み海に流れていく。そんな場所なので、「海」も旅館を表す大きなキーワードでした。
「かぞく」は旅館作りの大きなテーマだったので、必然でしたね。大宮さんの提案でひらがなにしているのは、いわゆる血縁というファミリーだけではなくて、英語で言う「someone precious(大切なだれか)」も含めているから。
人にとってはワンちゃんかもしれないし、学生時代に一緒に過ごした親友かもしれない。「あなたにとっての“someone precious”」と一緒に旅行できるような場所になるといいな、という想いを込めています。
せんと:「旅」と「わたし」は旅行者目線といいますか、「旅」そのものを楽しむことや「わたし」を見つめ直す時間など、いろんな意味がありますね。みんなでディスカッションするなかで、この5つのテーマがひとつの物語にできるね、という話になって......覚えてますか?
木村:それ、僕が言ったような気がします。
「わたし」が大切な「かぞく」とともに鳥羽の豊かな「海」と「森」を「旅」する。そんな1日の体験とシンクロするような本と出会える場所になればいいねと話していました。
大宮:一つひとつのテーマも興味深いですが、どのテーマもそれぞれつながりながら意味のある分類になっているのも、この選書の特徴かなと思います。
——テーマが決まってから、どのようなポイントで選書していったのでしょうか。
大宮:ライブラリーの隣にはプレイスペースがあり、大人も子どもも利用する場所だったので、家族で一緒に楽しめる本が基準としてありました。本もあえて年齢で分けないようにしています。子どもが大人の本を綺麗だなと思って眺めてくれてもいいし、子どもたちが普段読んでいる本を大人が手に取って読んでくれてもいい。
ライブラリーは全部で150冊ありますが、せんとくんやFUJIWALABOのみなさんにも選んでもらいました。
せんと:選書は初めての経験だったのですが、子どもがもう少し大きくなったら一緒に読みたい本は何かなと考えながら選びました。
僕が選んだものは森に関する本も多いですね。小さい頃、あまり運動が得意ではなかったんですが、森のなかだと友達より早く木にのぼれたり、山を駆け降りれたりするのが自信になっていて。僕に取って森で過ごした時間は特別だったんです。山に関する本やツリーハウスをテーマにした本など、僕のこだわりをライブラリーに置かせてもらっています。
木村:FUJIWALABOからは、自分たちが読んでいた絵本やちょっと手に取りたくなるようなものなど、一人ひとりが旅先で読みたい本を自由に選ばせてもらいました。また、藤原夫妻からもテーマに関する絵本をいくつか提案しました。
大宮:なかでも一冊ご紹介したいのが、昭和に活躍した作家・山本周五郎の『扇野』という本。短編集なのですが、そのなかの『扇野』という物語は扇芳閣をモデルにした恋愛小説なんです。
時代小説なので読みづらいかなと思っていたのですが、すごくイキイキとした描写で、当時の様子が目に浮かぶような物語なので、ぜひ宿泊された方には読んでいただきたいと思います。
世代をつなぐ絵本、扇芳閣の体験を一生の思い出に
——先ほどプレイスペースでは、早朝からおじいちゃんとお子さんが一緒に遊んでいるというお話を聞きましたが、ライブラリーではどんな様子が見られますか?
せんと:おじいちゃんやおばあちゃんが「この本、昔読んであげたね」と話していたり、親御さんがお子さんに「お母さんも小さい頃に読んだのよ」と言っている姿を見ることがあります。そういう声を聞くと、やはり本は世代を超えてつながっているんだなと感じますね。
木村:リニューアル後も何度か扇芳閣にお邪魔しているんですが、訪れる度に「こんな本もあったんだ!」と新しい発見があります。そういう意味でも良い選書になっているんだなと感じています。
大宮:時々ライブラリーの様子の写真をせんとくんが送ってくれるんです。真剣に本を読んでくれている子どもたちの姿を見ると嬉しくなりますね。
せんと:最近ではプレイスペースとライブラリーを会場にして鳥羽市のこども食堂を2カ月に1回くらいのペースで開催しています。地域の親子に来ていただき、ご飯を食べてプレイスペースで遊び、本を読んで帰っていただく。多い時で80名くらいの親子が参加してくださっています。
鳥羽を含め地方は人口が減ってきていて、子どもたちが街の中で遊べる場所も減っているんですよね。なので、ふだんから遊びに行ける場所として“旅館を日常使いする”というか、“旅館のなかにまちを作る”みたいな感覚で遊びにきてもらえるよう、今後もプレイスペースやライブラリーを使っていきたいなと思っています。
——「旅館のなかにまちを作る」っていいですね。最後に、これからもまだまだチャレンジを続けていく扇芳閣へのメッセージをお願いします。
はっとり:せんとくんをはじめ、このプロジェクトにかかわるみなさんがすごく素敵な方ばかりなので、ご一緒できて光栄でした。今後もどこかで読み聞かせするなど、絵本を通じて扇芳閣を知っていただくきっかけづくりができればと思ってます。
大宮:今回の改修で終わりではなく、30年先の姿も思い描いているとせんとくんから聞いています。扇芳閣がまだまだ変わっていく姿を、何度も泊まりに行って実際に見届けたいですね。
木村:リニューアルして、扇芳閣は家族の思い出に残る要素がたくさんある旅館になりました。今の子どもたちが20年、30年後、大人になって自分の子どもに『オーギーのおやど』を読み聞かせることがあったら最高だなと思います。
せんと:みなさん、ありがとうございます。リニューアルした館内で楽しんでくださる家族の姿を見るのが僕の夢でした。27歳で旅館を継いで大変なこともありましたが、こうやって少しずつ目標に近づいていることが本当に嬉しく思います。
旅行は家族にとって一生の思い出に残るもの。この扇芳閣がいつしか本当に世界中の人たち家族から愛される旅館になるよう、これからもさまざまなチャレンジを続けていきたいと思います。
(取材・文:石原藍 編集:笹川ねこ)
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