不登校から試考する生活思創<リメイク版:その8>生成AIとの最適な距離ってあるのか?
今回は、やや不登校とは離れます。いずれ来るであろう、いや、すでに始まっている生成AIによる学習サポートについて試考します。でも、話が大きくなっても収拾がつかなくなるので、「生成AIとの最適な距離」っていうお題にしてみました。
最適な距離ってのも、よーわからん言葉なので、もっと書き砕くと、①生成AIを使う、使わないっていう学びの話があって、②生成AIの提示に従って学んでいく、生成AIがこちらの提示に従って学びの作業を補完する、っていうのもある。また、③生成AIを全面的に信用しても良い場面、疑ったほうが良い場面もある。
まあ、結構、生成AIとの関係がワイドなので、大きな見取り図を作ってみよう。そんな企画。でもって、その見取り図っていうのは、生成AIと利用者の間合いが窺い知れるようなものじゃないかと考えておるのです。
リメイク版ってことは、過去に元ネタがあるのですが、今回は無し。それでも、不登校の話から遠いかというと、そうでもないのです。だって、誰も生成AIを利用して学ぶことが避けられないなら、親としても早めに覚悟していくほうが得策と思っております。
父「AIは相手に合わせて説明してくれるから、知りたいことがある時なんかは便利でしょ?」
娘「あまり、使わないよ。漫画書くにも、小説書くにも、お手本は本物の好きなやつだからね」
父「そっかー、まあ、いつかAIをバンバン使う時とかくるだろうから」
娘「それにさ、分からないことはトーチャンに聞けば大体のところは教えてくれるじゃん」
父「ファーザーインテリジェンス・・・FIってか」
◼️AIとの関係性、「ボス」「ブカ」「パル」
まずは、大ぶりの塊に分けます。生成AIが利用者を指導することを期待して使うボス型、生成AIを利用者が補助役として使うのがブカ型(部下)、でもって、最後に対等であろう関係で創発に繋げようするパル型(友人)っていう設定にして、生成AIに投げてみたよ。
大きく整理すると図表393のような感じです。
生成AIの利用定番がボス型であり、ブカ型であるのはわかっているので、そことの対比から、パル型の姿を押し込んでいきます。
生成AI利用は効率性の追求が最も大きいでしょう。「次の段取りはどうすればいいか」を教えてもらえるなら、段取りの効率性はすこぶるいいです。また、同時に、微妙な部分や、大枠がわかっているものについては「あれ、やっといて」って指示して、サッと期待に応えてくれるんです。これもまた、効率性は高い。
これは表面的な「生成AIがすごい」っていう部分です。 図表394の左図
しかし、この使い方は大きな問題を孕んでおります。利用者の知見の範囲内の効率性が高まるってことは、「生成AIに任せればいい」ってことから外れている新たな発見が徐々に減っていくことです。「いつもの、あれ。よろしく」って、楽でいいんだけど、「あれ」以外を頼む知見は弱まっていくのです。ええ、知らないお店のドアを開ける勇気がなくなっていく感じ・・・。
対処したい課題自体には疑問を持たずに、課題の中にある謎だけを生成AIを使って解いていくわけです。利用者である私は、課題の前も課題解決の後も同じ「生成AIを使うと効率が良い」という信念は変わることなく続くのだ。
そこでパル型が生成AIを利用した学びの進化系になるわけです。つまり、利用者である私が変容するように生成AIを利用するってことです。そこには、生成AIを使って取り組む課題自体は「きっかけ」でしかありません。そこから「実は、本当に向き合いたかった課題」を発見したり、生成AI自体の使い方も再発見されます。
いや、再発見されるかどうかは未確定なのだが、生成AIからの「ゆらぎ」で、従来の延長線上にある私の課題解決パターンを「私が自ら否定」する方向に向かいます。(生成AIからの否定ではない)自己変容優先の使い方です。ええ、間違いなく、パル型はまどろっこしい使い方なので表面的な効率性は低いでしょう。しかし、奥行きがある(と思う)。
まずは、パル型をボス型、ブカ型との立ち位置の違いを描いてみました。ここまでは話の枕でございます。
この3つの型の話から、飛びます。
◼️学びの課題と生成AIの利用レベルについて
今度は、学びの課題の種類から、生成AIの利用に入ってみます。なんでもかんでも生成AIが相談相手にはりはしないけど、どんなお題にもそれなりに掛かり合えるという「いいやつ」な存在です。この辺りの解像度を上げてみましょう。扱う領域の違いで生成AIの貢献にも向き不向きといったメリハリがありそうだと想定してます。
課題を5分類して、生成AI自身にそのサポートがどのような感じになるのかを自己著述してもらいます。
身体、思考、感情、感性、霊性(スピリチュアリティ)の5領域。
さて、5領域にに対して、生成AIのサポートを積極的に取り込みたい人と、全くいらない人もいるだろうから、ここに向き不向きのレベル差を作ってみます。
今度も5という数字に合わせて5レベルにしてみたよ。 数字に、それ以上の他意はないのだw
「5X5」のマトリックスができるのだが、情報量が多すぎて、扱いに困ります。そこでです。極端な違いが、生成AI利用の特徴を炙り出してくれるはず、って試考してみました。
レベル1とレベル5の両端だけで、マトリックスを作ってみたのだった。それが下にある図表396だよ
学びの領域ごとに生成AIと共に学べそうな領域は限られていそうです。
・身体:これは事前に想定できる話。体は体を通じて学ぶのが本線です。もちろん、身体的なデータからのフィードバックは、感覚に対して理性的な視点をくれます。強いて言えば、ボス型の生成AI利用かな。でも、利用傾向は「レベル1>>レベル5」
・思考:これは身体の真逆にある本線。なんと言っても生成AI(LLM)は思考の代理&拡張を目指したものだからね。なので、利用傾向は「レベル1<<レベル5」。しかし、AIが描く創造的利用は楽観的すぎる気がする。なので、ここは「本当?」って疑疑問符が残っていることを示しておこう
・感情:他者の存在が中心になるはずなので、AIの出番は弱めだろう。しかし、自分の中のモヤモヤした気分が言語化されることで、自分の感情に向き合うっているのは十分あります。「こういうケースって、他の事例に置き換えたら、どんな気分のことをいうのか、小説や映画を引用して例示」とかやれば、いくばくかの感情の深掘りには貢献するからです。利用傾向は「レベル1<レベル5(<が一個だよ)」
・感性:センスっていうやつだが、これが生成AIの学習サポートには貢献が高そうです。もちろん、画像や動画の生成も含めた意味での生成AIなのだが、使っている間にインスピレーションが湧いてくるケースは多いだろう。デザイナーにとっての生成型の画集、ミュージシャンにとっての生成型の音源なんかは典型でしょう。ただし、生成AIの言う「共同での創作活動」は、明らかに話を端折りすぎだな。利用傾向は「レベル1<<レベル5」
・霊性(スピリテュアリティ):瞑想や慈悲などは生活での実践がないと幽霊みたいなものです。怪しいだけで不毛な話w ただ、倫理的な人々の具体的な実践行動などを集めてくれたりしますから、まったく参照できないことはないだろう。一応、この参照部分はロールモデル的なのでボス型としてみたよ。だが、生成AIのサポートの優先順位は低い。利用傾向は「レベル1>>レベル5」
まとめてみたのが下図の図表397です。思考と感性の領域がパル型。ただし、この表での整理段階のレベル5の内容は解像度が低すぎです。なので「←本当か?」が赤字で入ってます。
さて、この思考・感性に書いた「本当か?」から、もう一回話をジャンプアップさせるよ。
◼️生成AIの自己補正能力に疑問を持つ
生成AIの長期的な利用と貢献を試考します。まずは、ネガティブな方向を抑えておきます。生成AIの長期的で広範囲な利用が生む、望ましくない現象を提示してもらいました。
特に、ネット世界の平均値からの組み立てであるなら、長く使えば出てくるサポート知識は徐々にコモディティ化するでしょう。平たく言うと、魅力的でない、既視感があるものになっていく。そして、もう一つの問題。利用者が繰り返し使うことで、利用パターンが読み込まれてしまい、ますます、類似した知識群が集まってくる恐れがあります。実質、電脳エコーチェンバーになっていくかもしれない。
これらは、あくまでも「そんなネガティブもありそう」レベルの話です。「いやいや、AIはそんなヤワな輩ではございません」ってな視点も当然あります。そこで、未来の発展形について、生成AIの意見(自己著述)を聞いてみました。
現時点では「できます、やります、大丈夫です」って感じですな。整理してみましょう。こちらからの「本当か?」を具体的にして、小生のツッコミを図表398に重ねてみました。
「微妙な違いだって多様と言えそう→利用者は差異の差異感覚を喪失しないだろうか?」、「浅い理解からの離脱って、難しくない→学習時間は限られているので、手っ取り早さこそ生成AIの信条っすよね?」、 「効率と倫理の両立ができるんですか?」などなど。すみません、利用者側が教えてくれてる側にイチャモンをつけております。人間ができてないことに対する愚痴か?w
この生成AIが言っていることって、「全ては利用者の判断次第」ってことであり、「満足の基準を私に聞くでない!」という丁寧な言い回しではないかってことです。うむ、そこは確かに一理ある。
どうも、利用者には健全な深読みができる能力が求められている気がする。小生は、ここに2つのAIリテラシーを設定してはどうか?、と試考しました。
・AI・ファースト・リテラシー=プロンプト(指示・質問・意図)の言語化
・AI・セカンド・リテラシー=Aha!の言語化、「まてよ?」の言語化
生成AIが及ぼす負の部分が出てくるまでは、ファースト・リテラシーが重要です。今のところ言語を通じての作業についての共有なので、利用者がプロンプトを的確に言語化できることが望ましいスキルです。これは、子供が生成AIを使って学習する上でも必須です。
そして、特に思考や感性についてのAIの関わりをフルスロットルさせて、「気づき」を得ていこうとするなら、ファースト・リテラシーだけでは足りません。
いつもと同じようなAIからのアウトプットに対しても、「アハ体験(Aha!)」(あー、そうか、気が付いたぞ!)みたいな反応が起こせるかどうか? また、「えー、本当にそうなの?まてよ?」(書かれてない謎に気づく)みたいな読みができるかどうか? この2点は、よしんば生成AIが澱む世界が来たとしても、それがAI使いすぎの個人に起きる現象だとしても、創造性の入り口になると予想できます。これをセカンド・リテラシーと呼ぶことにします(名付けてみました!w)
他の人が気付けないものに気がつける。書かれてないから誰も問えないはずなのに、そこから問いを浮かび上がらす。これって自己変容した一つの姿だと思うんですよ。
といいながら、「アハ!」も「まてよ?」も今日のところ輪郭ぐらいです。スキル化できるかどうかは不明であり、今後の思創課題です。
◼️生成AIとの最適な距離の見取り図
さて、冒頭の生成AIとの最適な距離の見取り図にまで戻ってきました。一つにまとめてみるなら、図表400のような絵柄です。
しかし、出ている要素の分布はかなり偏ってまして、要素の密度が下にいくほど濃いのだった。
お気づきのように、この生活思創ラボはパル型のAI利用を心がけてました。生活だ!、思創だ!なんてことを、あーだこーだやっていると、セカンドリテラシーらしきものの原石にも出会したりします。幻覚かもしれんが。いづれにせよ、まだまだ解像度は低いのだった(メタ・リテラシーが弱い、とも言えるw)
自己変容とAIセカンド・リテラシーはどこかで道が繋がっている気がしてならないのだった。ラボが目指す思創の山の一つなのだろう。
娘「ファーザー・インテリジェンスって、かっこいいね」
父「あなたからの質問はいきなりだし、断片的だし、我ながら誠実に答えてます。そう思うと、いつも丁寧に回答するAIの凄さが一段と輝くなあ」
娘「でも、電源入れなくてもいいところなんかは、AIより遥かに上ですよ」
ということで、生成AIと学習サポートについてグダってみました。せっかくのリメイク版だったのに、新しい要リメイクなものを入れてしまった気がする。ラボらしいと言えばそれまでだけどさ。
Go with the flow.