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街道ウォーク 日光街道 その10

日光街道 その10 間々田→小山

日光街道その10は、間々田→小山を歩きます。
距離は15,7Km、所要時間4:32時間 23,517歩、消費カロリー1954kcal

間々田→神鳥谷

前回終了の地、間々田駅に向かいます。高崎線に乗車したので大宮で宇都宮線に乗り換え。大宮駅は東北・山形・秋田・上越・北陸と新幹線5路線の駅で、駅構内はエキュートはじめお店が充実しています。めずらしい玄米食堂がありました。ヘルシーな朝食を頂きます。

あえんの玄米 朝定食

お腹も満たされて間々田駅にむけて出発、車内で食後休憩タイム。間々田駅で前回見落としていた駅前の「蛇がまいた」の像をチェックしてウォーキングのスタートです。

街道は「間々田宿問屋場跡・本陣跡」へとやってきました。左手に「八幡宮の鳥居」と参道が続いていますが、先に少し先の「浄光院」へ向かいます。山門は鐘楼門、二階部分は年代を経ていますが一階部分は修繕されていて新しい造り。これは珍しいパターン、修復の苦労が見て取れます。

浄光院 鐘楼門

このあたりで間々田宿も終わり、街道から外れて奥へ続く参道を進み「間々田八幡宮」へ向かいます。前方に広がる自然豊かな境内、これぞ鎮守の杜と呼ぶにふさわしい景観、二万坪もあるそうです。

境内には「頼朝手植えの松」、力石、「樹齢250年夫婦杉」があります。「拝殿の彫刻」も見事。社殿の再建には東照宮大修理にあたった宮大工さんということですから納得。狛犬も時代を経て威厳が増しています。

間々田八幡宮 拝殿

「浅間神社」に向かいます、古墳の頂上に祀られているというから珍しいですね。村社の道標と「千駄塚古墳の石柱」が立っています。古墳は正確なことは分かっていませんが6世紀代の物といわれているそうです。

墳丘の頂上へ

「粟宮の交差点」までやってきました。地酒、若盛というしゃれた看板が目に飛び込んできました。歴史が感じられる長屋門には「杉玉」も吊るされています。

西堀酒造 直売所

市街へ入る前に街道を少し離れて「安房神社」の鳥居をくぐり長い参道を奥へ進みます。延喜式には「阿房神社」として記されており、栃木県内にある「延喜式内社」十二社の一つ、崇神天皇代の創建で仁徳天皇代に再建されたと神社由来に書かれています。

安房神社 拝殿と親子狛犬房神社

神鳥谷→小山

国道50号線の高架をくぐると小山宿もすぐ。交差点には神鳥谷の文字、「しととのや」と呼ぶそうで(ひととのや、とも呼ばれる)、難読地名。神の鳥の谷とは、ありがたい名前です。

左手に見えてきた鐘楼門は「持宝寺」、772年に弓削道鏡が開基と伝えられている寺院。道鏡といえば平将門、足利尊氏とともに日本三悪人なんて称されることもありますが、男性には少々うらやましい風説がありますね。

持宝寺 鐘楼門

街道は小山宿に入ってきました、街道沿いには「須賀神社」の大きな社標。赤の常夜灯がずらりと並び、銀杏並木の参道が奥へと続いています。

石畳の参道わきの整備された歩道を進みます。途中、右手に入り「現聲寺」(げんしょうじ)に立ち寄ります。東海道藤沢宿で参拝した遊行寺が総本山の時宗のお寺です。

一遍上人像

須賀神社へ向かう途中に「妙建寺」がありますので参拝して行きましょう。建武元年(1334)、成就院日念聖人により建立された日蓮宗の寺院です。

山門は明治時代の建立、境内には日蓮聖人像、本堂には百人一首の天井画があり「百人一首をひろめる会」が開催され見学ができるようです。天井画は枝垂桜とともに「おやま百景」に選定されています。

「二の鳥居」が見えてきました、「神門」が大きく見事なものです。「須賀神社」は藤原秀郷が天慶の乱に際し戦勝を祈願、成就することが出来たので、京都の八坂神社から勧請しました。

須賀神社 神門

南門をくぐると、小山朝政・義政の碑と「七ツ石(夜泣き石)」があります。七ツ石は小山城内にあったのですが落城によって結城の城主に接取されます。すると夜中に小山の地を懐かしんであわれげに泣いたとのこと。小山城は廃城になったため鎮守の須賀神社に戻され、泣かなくなったという話が伝わっています。

七ツ石 夜泣き石

本殿裏手に8つの摂社・末社が祀られています。境内には他にも、神楽殿、藤原秀郷碑などを有する開運神社にふさわしい規模の「須賀神社」。人生の勝利祈願をして先へ進みます、ご利益が期待できそうですね。

須賀神社 拝殿

広々とした敷地の中に聳え立つのは小山市役所、駐車場の中に「小山評定跡碑」があります。上杉景勝を討つべく、ここ小山に到着した家康は、三成が兵をあげたと聞き軍議を開きます。

関ヶ原の合戦に結び付く歴史上重要な場所、秀忠をはじめ本多、井伊、福島、山内、黒田、浅野、細川、加藤、蜂須賀、オールスターの面々と同じ場所にいるかと思うと感慨もひとしお。

小山評定跡碑

少し先は「思川」観晃橋、祇園坂へと続きます。橋の手前、右手の坂道を登れば城山公園、小山城址となり、春は桜、秋は紅葉の名所、高台からの思川と日光の山並みの眺めが素晴らしい。

思川と日光の山並み

街道を挟んで、「元須賀神社」の扁額がかかった鳥居が見えます。先ほど参拝した須賀神社が当初祀られていた場所ということです。

歴史ある神社ですから、移転元もしっかりと祀られています。コンパクトにまとめられており、これはこれで、ありがたみが感じられる祠です。

元須賀神社 鳥居

街道を小山宿の中心に戻ってきました。「若松脇本陣跡」や「問屋場」「控本陣」があったとされる場所です。

脇本陣跡には玄関の唐破風の屋根が残されています。明治天皇が巡幸の際、行在所として利用されており、御駐輦(ごちゅうれん)の碑もあります。現在は銀行や呉服屋さんなど商店街になっています。

小山宿 問屋場跡あたり

本日はここまで、「小山駅」に向かいますが最後に商家を利用した造りの「思季彩館」に立ち寄ります。小山市まちの駅との案内があり、地元の新鮮な野菜、ヘルシーなお惣菜やお弁当、8種類のクラフトビールも。

思季彩館

本日のゴール「小山駅」に到着です。東北新幹線、東北本線の他、両毛線、水戸線が乗り入れているターミナル駅だけあって大きく駅ビルも充実しておりお土産のお買い物にも便利です。和菓子屋さんがありました。「蛸屋総本店」さんに寄ってみましょう。

駅ビル内 蛸屋総本店

インスタには元禄11年仙台の地で伊達政宗公より命名とある老舗。お菓子で蛸とは面白い、つかみはokです。種類が多くて目移りしました。

カスタードをスポンジで包んだ「みかもの月」、女性に人気の鳴門金時を小豆餡で包んだ「大開運」「たこ壺最中」を購入。

おみやげといえば、途中パッケージに惹かれて手に取ったのが「桜あんぱん」。ずっしり重くて思わず買ってしまいました。

街道土産

日本橋を出発して今回で10回目。日光街道を歩く、シーズン1はこれにて終了となりました。奥の細道でおなじみ芭蕉の痕跡が多く残る街道筋、関東武士の歴史、古河公方、関ケ原の戦いに通じる小山評定や徳川家日光参拝。

甲州街道に始まり、中山道、東海道、日光街道と続けてきた街道歩き。この後、シーズン2として甲州街道を相模湖から山間の街道を甲府に向けて進むか、都内の歩いていない川越街道など五街道以外を歩くか、二回目の秩父三十四か所札所巡りへ出発するか、楽しい悩み事がしばらく続きそうです。

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