街道ウォーク 日光街道 その1
日光街道 その1 日本橋→南千住
日光街道その1は、日本橋→南千住を歩きます。
距離は18,2Km、所要時間は4:50時間 23027歩、消費カロリー2245kcal
日本橋→蔵前
甲州街道、中山道、東海道のシーズン1に続き「日光街道」スタートです。
起点となる「日本橋」に立つのも4回目。いつもは欄干の彫刻の美しさに目を奪われていたのですが、今日は視点を変えて橋の脇から眺めてみました。アーチも風格を感じるところがお江戸日本橋。
日光街道は三越の前を進みますが、すぐ先の「室町三丁目南の交差点」を右折します。すぐ右手奥にあるのが、家康公も参詣された「福徳神社」。芽吹稲荷とも呼ばれ、真赤な鳥居が印象的です。
ここで、街道を少し離れて人形町方面に向かい「椙森神社」を目指します。江戸城下の三森(烏森・柳森・椙森)の一つに数えられています。
当たりくじの富興行が行われ、大いに人々を楽しませた場所。境内には「富塚の碑」が立っています。富くじといえば時代劇にも登場しますね、箱の中に入ってる木札を長いキリのようなもので突くシーンが印象的です。
「小伝馬町」まで戻ります。伝馬町牢屋敷跡の十思公園にはこの地で処刑された「吉田松陰の碑」、「石町時の鐘」があります。
馬喰町の交差点を過ぎれば、右が隅田川と両国橋、まっすぐ進めば神田川と浅草橋、浅草橋へ向かいます。
浅草橋からは神田川にずらりと並ぶ「屋形船」の景観が見事。揚げたての江戸前の天ぷらを肴に一杯やりながら、東京湾の景色を楽しめる屋形船は情緒があってお勧め。
途中、おみやげ専用船なるものが海賊船のように船を横付けしてくるのにはビックリしました。
橋を渡ると浅草橋公園、「浅草見附跡」があります。浅草観音への道筋にあたるこの浅草御門は、江戸防衛の要で江戸三十六門の一つ。警護の人が配置され浅草見附とも呼ばれました。
蔵前一丁目の交差点脇には「天文台跡」があり、交差点を蔵前橋と反対方向へ歩いていくと右手に「鳥越神社」の鳥居が見えてきます。
蔵前→南千住
街道にもどり蔵前橋へ向かうと、手前に「浅草御蔵跡碑」があります。浅草御蔵は天領からの年貢米などを保管した倉、大阪、京都二条の御蔵とあわせて三御蔵といわれる重要なものであったそうです。
今で言えば公務員の給料を保管している場所ですから、その重要度がうかがえます。蔵前という地名の謎が解けました。
隅田川を走る水上バス、後ろに聳えるスカイツリー、すっかり東京らしい風景として定着しましたね。隅田川デッキに降りると川面はすぐ目の前、蔵前橋の横からの姿も素敵です。
街道に戻り厩橋方面に歩いて一本裏通りに入ると「蔵前神社」。
美しい黄色が華やかなミモザが咲き始め、早咲きの桜と相まって人気のスポットとして知られているようです。黄色とピンクが織りなす美しい光景は一見の価値あり。
駒形橋に向かって歩くと街道沿いに「おすわさま」として親しまれてきた「浅草駒形諏訪神社」があります。承久の乱の後、諏訪大社の御分霊を勧請したものと伝えられています。お賽銭箱には諏訪大社と同じ「梶の葉」の神紋が描かれています。
お隣のバンダイ本社の先が有名な「駒形どぜう」。1801年創業といいますから200年以上続く、どじょう料理のお店です。江戸の大火で店が類焼した際に、「どぢやう」の四文字では縁起が悪いと有名な看板書きに頼み「どぜう」とかいてもらったのが、のれんの由来とのことです。
「駒形橋の交差点」まで来ると、スカイツリーも目の前に迫ってきます。ここから見る、スカイツリー、アサヒグループ本社ビル、浅草むぎとろ本店、そしてこれから訪ねる駒形堂の景色が浅草らしくて好きです。
交差点を渡って「浅草寺駒形堂」にやって来ました。628年に浅草寺の御本尊「聖観世音菩薩」さまが、隅田川より現われてはじめて奉安された地。
ここからは並木通りを正面の「雷門」に向かって歩きます。今日も国内外の観光客が大勢いらっしゃいます。存在感抜群の雷門、風雷神門ともいい風神・雷神が浅草寺を守っています。大提灯は幅が約3m、重さが約700kあり、底には龍の彫刻が施されています。
「本堂」の創建はご本尊が現れた推古天皇36年(628年)、幾度も消失し最も長いのは家光が願主となって再建された慶安の本堂で昭和20年の消失まで約300年とあります。
現在のものは鉄筋コンクリート造りといいますから驚きです。そして、屋根はチタンで軽量化に成功しています。
こちらの提灯には志ん橋(新橋)の文字、当時から浅草寺で宣伝していたとは新橋の人々は広告センスあったんですね。さすが、今もサラリーマンの聖地として名高い新橋。私もサラリーマン時代は、色々お世話になりました。
本堂脇から馬道通りに向かいます。二天門前の交差点を渡った先、「言問橋」までやって来ました。スカイツリーが大きくなりました。
街道を隅田川沿いに少し進むと黄色の派手な山門が見えてきます。ここ「待乳山聖天」(まつちやましょうてん)は浅草寺の支院で創建は601年と古く、隅田川を臨む名所で浮世絵にも描かれている場所。
本堂入口上をはじめ、各所に大根と巾着の絵がありますが、これはご利益を表したもの。大根は一家和合、巾着は商売繁盛。
大根は体に良く、胃腸の調子も整えてくれるので大根おろしで頻度高めに頂いております。健康だけじゃなく、一家和合の御利益もあるとは、ありがたさが増しました。
お隣の「今戸神社」は新選組「沖田総司」終焉の地として、また縁結びのパワースポットとしても知られ、訪れる方も大勢いらっしゃいます。大きな招き猫が福を呼んでくれそうです。
日光街道はスタート早々見どころが多く、時間も大分経過してしまいました。街道に戻って先を急ぎます。
先には、源義家が陸奥に向かう際、この地で愛馬「青海原」が絶命し葬ったと伝えられる「駿目塚」があります。
そして「東禅寺」です。甲州街道では新宿の太宗寺、中山道では巣鴨の真性寺、東海道では品川の品川寺で拝んできた「江戸六地蔵」、日光街道はここ「東禅寺」に鎮座していらっしゃいます。品川に次いで2番目の銅造地蔵菩薩坐像となります。
泪橋の交差点までやって来ました。東海道を歩いたとき鈴ヶ森刑場跡近くにもありましたが、こちらは小塚原刑場跡の近くです。東海道同様、罪人と家族の別れの場所ということです。
荒川区に入りました。前方には南千住の駅、道路標識にも日光街道の文字が登場。JRの陸橋を渡ると、小塚原刑場跡です。磔・獄門など刑罰の他、刀の試し切りや腑分け(解剖)も行われたとあります。
こちら、「浄土宗延命寺」には、無縁供養のために建てられたといわれる「首切り地蔵」も鎮座されています。
線路の向こう側にある「回向院」には安政の大獄により刑死した橋本左内、吉田松陰らが葬られています。また、杉田玄白らが刑死者の解剖に立ち会い、後に解体新書を翻訳したことなどの記念碑もあります。
国道4号線にでて少し駅の方へ戻ると曹洞宗の「円通寺」が右手に見えてきます。観音様が屋根の上で金色に輝いていますのですぐに分かります。
791年に坂上田村麻呂によって開かれたと伝わる曹洞宗の寺院。戊辰戦争で戦死した彰義隊士の墓があり、寛永寺に建っていた「黒門」も移設されています。弾痕が数多く残っていて戦いのすさまじさが伝わってきます。
ゴールの南千住駅に向かいますが、先程回向院のそばに、「重盛の人形焼き」がありましたので寄りたいと思います。名称や七福神のイラストなど人形町の重盛と同じなので暖簾分けなんでしょうね。
南千住の駅に到着して本日は終了。改めて駅前を見てみるとタワーマンションも聳え立つおしゃれな街、昔のイメージとは随分変わりました。
江戸らしさ、江戸のの情緒が感じられるコースという印象です。立ち寄り先が多く、北千住までは届きませんでしたが、次回は千住宿をじっくり満喫できそうです。
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