街道ウォーク 中山道 その8
中山道 その8 吹上→熊谷
中山道その8は、吹上→行田→熊谷を歩きます。
距離は16,8Km、所要時間は3:58時間 19,150歩、消費カロリー1191kcal
吹上→行田
「間の宿碑」方面へ歩いていくと旧中山道がJR高崎線に遮られています。
歩道橋を登ると線路の向こうに道が続いている様子がよく分かります。
高崎線を渡り、旧中山道をしばらく進むと榎戸村。
熊谷宿まで二里と刻まれた平成の道標がります。
ここ榎戸堰公園には吹上から糠田村に至る村々へ用水を供給する元荒川の「榎戸堰」があり、水門からは水が流れ落ちています。
江戸時代に木造の堰として作られ、明治時代に煉瓦造り、そして現在のコンクリート造りと続いています。
街道を挟んだ向こう側が「元荒川起点」。
年代物のレンガがいい味出してます。
この後中山道は荒川方面へ向かっており、大きな土手が見えてきました。
土手の入口に「権八延命地蔵」があります。
権八は鳥取藩士で同僚を殺害し脱藩、江戸に逃れこの地で絹商人を殺害。
あたりを見廻すと地蔵様を祀った祠が。
良心が咎めいくばくかの賽銭をあげて、「どうか見逃してください」、「誰にも言わないでください」と手を合わせます。
すると、地蔵が
「吾は言わぬが汝言うな」と口をきいたと伝えられています。
この地蔵は「物言い地蔵」とも呼ばれているそうです。
祠の横から土手に上がっていきます。
目の前に広がる景色は荒川になりますが、広すぎて川は見えません。
日差しを遮るものは何もありません、夏場は熱中症に注意です!
こちらの一つ下段の道が旧中山道とのことですが、何もない土手道を昔の旅人も歩いたんですね。
この辺りは熊谷堤とよばれ北条氏邦が堤を築き忍藩が修繕を行い、江戸時代には熊谷の花見として江戸まで聞こえたそうです。
この見事な堤防の道をさらに進んでいくと、「1947年9月カスリーン台風による洪水で、この地点の堤防が決壊しました」との解説ボードがあります。
ようやく村落が見えてきて土手道を下ることに、長かった。
こちらにあるのは「久下堤碑」
修堤記録輪型の碑で、明治四十五年の建碑。
行田→熊谷
土手道とお別れして、久下村へ進みましょう。
100年前の久下新川村は舟運と養蚕で栄え、新川河岸の廻船問屋大小の舟は江戸までの60キロ間を往復。
80余りの河岸に荷の積み下ろしをしながらの舟便だったそうです。
久下村の鎮守、「久下神社」が村落に入りすぐ右手に見えてきます。
熊谷直実と境争いをした久下直光が崇拝する三島大神を居城地の守護神として創建したのが始まり。
古い常夜燈も見ることが出来る歴史ある神社です。
趣のある旧中山道が道幅もいい感じで続いています。
この辺り、大きな敷地の家が多いのは昔の名残でしょうか。
立派な「白壁の土蔵と土塀」が続いています。
まもなく、「熊谷堤の碑」が久下権八公園内に見て取れます。
あの伊藤博文による中国の古い書体で書かれた修堤の記録。
公園の向かい側には、「久下の権八地蔵」。
先ほど見た権八地蔵と同様の言い伝えの説明書きがあります。
街道を進むと「みかりや跡」。
旅人相手の茶店で「しがらぎごぼうに久下ゆべし」の言葉があり、忍藩の殿様が鷹狩りにくるとここで休んだので「御狩屋」と呼ばれたそうです。
開創1191年 久下直光・重光公の案内板を土手方面に少し入ると「東竹院」で久下一族の墓があります。
久下重光は石橋山の戦いで敗れ落ちのびる頼朝に駆け付けた功績により一番の文字を授かり紋には一番の文字。
確かに門や屋根など、丸に一の紋があちこちに見られます。
先へ進むと街道は元荒川の清流を渡ります。
この川べりに「ムサシトミヨ生息地」の案内板があります。
ムサシトミヨは世界で熊谷にしかみられないトゲウオ科に属する淡水魚で県指定の天然記念物。
秩父鉄道の踏切、高崎線の踏切を渡って市内に入っていきます。
熊谷総鎮守のお社、「高城神社」が見えてきました。
御神木で樹齢800年ともいわれている「巨大なケヤキ」は見事。
創建が奈良時代以前と伝えられている古い神社には天神社や熊野社、六社も祀られています。
「亀の石像」は東日本大震災の復興祈願と62回式年遷宮の奉祝事業として平成26年に建てられた石像。狛犬ならぬ狛亀?ということは無いでしょうが、愛らしくて参拝の方々に親しまれているそうです。
少し先に立派な山門が見えてきます。
こちらは「熊谷寺」、くまがや寺ではなく「ゆうこく寺」と呼びます。
熊谷直実は武士から一転、あの法然上人の門をたたき出家、蓮生と号しここに庵を結びます。
熊谷家の館がここにあったと伝えられており、本堂の西方には蓮生の墓と敦盛の供養塔があります。
すぐ隣は「八木橋デパート」。
デパートの中の通路が旧中山道跡ということで、石碑や店内にも中山道熊谷宿の案内がありました。売場の通路が街道だったとは驚きです。
旧中山道沿いの本陣跡から星川通りを抜けて「星渓園」に向かいます。
「池泉回遊式庭園」で池の周囲に通路を巡らせてあります。
さて、おみやげは。
熊谷と言えば五家宝が有名ですが、「中家堂」さんに立ち寄りました。
熊谷直実はじめ中世の武士に関わる史跡を訪ねてきたのでイメージは軍配モード。こちらで軍配せんべいと軍配もなかを購入。
熊谷駅に戻って中山道シーズン1は無事終了です。
最後に見どころがもう一つ、駅前に立派な「熊谷直実像」があります。
一の谷の戦いで討ち取った平敦盛を馬上から扇で呼び止めているシーン。
後に武士を捨て出家した直実の生き様。
「人として大切なことを忘れるなよ」と問いかけているような気がします。
中山道「シーズン1」終了です。
今シーズンは甲州街道に続き、全8回で126kmの中山道街道歩き。
江戸から西に向かう甲州街道、北へ向かう中山道。
それぞれの街道は宿場や道中の雰囲気が違います。
自分の足で歩き、身体全体で街の雰囲気を味わう。
自分が浄化されるようで爽快な気分。
心と身体の健康のためにも、長く続けていきたいと思いました。
次回からは東海道を歩きます。
五街道でメインの街道。
「東海道中膝栗毛」のように愉快な道中めざします。
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