街道ウォーク 日光街道 その4
日光街道 その4 南越谷→越谷宿→一ノ割(粕壁)
日光街道その4は、南越谷→越谷宿→一ノ割(粕壁)を歩きます。
距離は20,5Km、所要時間は5:10時間 23,748歩、消費カロリー1720kcal
南越谷→越谷宿
南越谷駅からのスタート、本日は越谷宿を超えて春日部までの20kmオーバーのロングウォークが予測されます。まずは朝食でエナジーチャージ、万全の体制で臨みます。
駅前に「むさしの森珈琲」の看板、モーニングのメニューの充実度がすごいと聞いていたので初入店。メニューを見てビックリ!確かにすごい、選べない、お店もきれい、ソファーもゆったり。
旧日光街道を北へ向かいます。瓦曽根ロータリーの右手裏通りには鉄格子に守られた「窮民救済の碑」。
お隣には真言宗「照連院」の山門、その先には「輪違の宗紋」が扉に描かれた大きな本堂が見えてきます。
瓦曽根秋山家の祖先は甲斐武田家氏の家臣、武田氏滅亡の際、勝頼の遺児幼君「千徳丸」をともなってこの地に潜居しましたが、千徳丸は早世。こちら秋山家墓所に「墓石供養塔」があります。
街道を越谷駅方面に進むと「新町八幡神社」の鳥居と社殿、住宅街に入り歩いていくと蔵を改造したオシャレな「まち蔵café」がありました。。
通りの向こうに大きな欅が見えてきました。こちら「中町浅間神社」には文化財の懸仏、天然記念物のケヤキがあります。幹回り7メートル、樹高はおよそ23メートルの大きさで樹齢およそ600年と推定されています。
日光街道へ戻り宿場の中心へ、現木下半助商店は「脇本陣四ツ目屋」跡、向かいが「塗師屋小泉市右衛門」跡、お隣が「鍛冶忠」、「金物屋」など素晴らしい蔵造りの建物が並びます。
「元荒川」までやって来ました。大沢橋の手前を右に折れて「元荒川橋」を超えて更に川沿いを歩き「越ケ谷御殿跡」を目指します。
家康が鷹狩り時の宿泊などのために設営したもの、秀忠、家綱も訪れています。明暦の大火で江戸城が消失した際、越ケ谷御殿を江戸城二の丸に移すため解体されたと伝えられています。この辺りは町名も御殿町、自分の住所が御殿町なんていいですよね。
街道からは外れますが、ここまで来たので越谷総鎮守、「久伊豆神社」まで足を延ばしましょう。新宮前橋まで来ると川向こうには大きな注連縄、参道の入口です。
御祭神は大国主命、広い境内には拝殿、本殿の他、摂末社、南洋神社、祖霊社、稲荷神社、神楽殿、「足止めの狛犬」、「三ノ宮卯之助銘の力石」など多くの見どころがあります。池のほとりにある藤棚は見事で樹齢200年程の古木、県指定の天然記念物です。
神社の隣には浄土宗「天獄寺」。家康より十五石の寺願寄進朱印状が交付され秀忠、家光も立ち寄っている格式が高い寺院。
黒塗りの山門に続き、二層の朱色の門が迎えてくれます。古くは小田原北条氏の城砦にも用いられたといわれています。
越谷宿→一ノ割駅
元荒川沿いを歩いて街道へ戻ります。大沢橋脇は大沢宿場跡公園になっており、「明治天皇大澤小休憩所」の石碑があります。
このあたりに大松本陣、虎屋脇本陣、玉屋脇本陣、問屋場があったそうですが、残念ながら今は往時の面影はなく静かな二車線の街道となっています。
北越谷駅方面へ進み街道から右手に進むと街道横に「香取神社」の鳥居があり参道は二の鳥居へと続きます。大沢総鎮守で室町時代後期に下総香取神社の御祭神を分霊し勧請造立との沿革。
街道は東武スカイツリーラインを横切って先へ続きます。路傍には「古い庚申塔が三基」並んでいますが道標も兼ねているようです。
しばらく進むと未舗装の直線道路の先に門が見えます。「宮内庁埼玉鴨場」の標識が掛かっており、黒の重厚な門が威厳を放っています。この屋根がない、二本の門柱に横木を通してあるシンプルな造りの冠木門、スッキリした造りには品格を感じます。
街道は再びスカイツリーラインを横切り4号線のガードをくぐって進みます。青面金剛像や古い石仏が点在し、地蔵堂や「阿弥陀堂」が続く街道は歴史を感じます。
左手の大袋駅を過ぎてさらに進んでいくと4号線と合流、陸橋入口の交差点となります。「日本橋から30km」、春日部まで5kmの道標、これも一つの節目。ちょっとした達成感が味わえるのも街道歩きのいいところです。
せんげん台駅を過ぎて戸井橋が掛かる新方川を渡り、まっすぐ伸びた街道をひたすら歩きます。かなり疲れてきましたが、もう一駅、二駅は進めておきたいところ。シニアに無理は禁物ですが、もう少し頑張りたいと思います。
ようやく「大枝香取神社」までやって来ました。先程の香取神社と同様、下総香取神宮の末社。お隣は「歓喜院」、香取神社が寺鎮守でした。本尊の十一面観音は武里観音として知られています。
街道を左に折れて野田岩槻線をしばらく進むと「西光寺」の参道が見えてきます。参道口には地蔵尊、庚申塔が並びます。日光街道は武里駅を過ぎて更に北へと続きます。
「建御雷(たけみかづち)神社」の社標から参道が続いています。元来は雷電社ということですから雷除けの雷神様ということでしょうか。
地蔵祠を過ぎて江戸から八里の「備後一里塚跡」を確認して進むと「善巧寺」が右手に見えてきました。本堂横には親鸞聖人旅姿の像、京都に生まれ、九十歳で波瀾の生涯を閉じられた旨の説明書きがありました。
本日の予定はここまで、一ノ割駅へ向かいます。駅前通りに羽子板もなか、「ちぐさ」の看板です。羽子板は春日部の特産品、お土産ができました。
ロングウォークでしたが春日部駅の一つ手前、目標だった東武一ノ割駅に到着しました。
都心から離れてローカルチックないい雰囲気の駅、駅前には懐かしい養老乃瀧があります。学生時代、コンパで養老ビールのお世話になった事を思い出しました。激安の養老牛丼なんて言うのもありましたよね。
次回、粕壁宿は舟運で江戸と結ばれ栄えた街、どのような展開になるか楽しみです。
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