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蛇16年 趙燕軍→蛮領漆貞攻略戦

☯時代背景

いよいよ、趙燕国は窮地に追い込まれた。それは蛮国による防壁で国土の西部一帯が首都との連絡網が機能不全に追い込まれたからだ。このように国土が分断されると首都からの律令が効能を発揮せず、最終的には反乱が起き、無所属領に帰する。

そして西部一帯が反乱を起こす兆しが見えかけた蛇16年、国内筆頭将軍白蓮軍神を総大将に任命し、22番領、欧亜を攻めた。

一度ここで、当時の布陣図を確認しよう。

戦国n雄 蛇年16年 出陣図

しかし、ここで趙燕軍が最強の白蓮を派遣してくる事は承知の上だった。そこで、蛮軍はなんと22番領を無血開城した。

これにより白蓮一行の精鋭軍の足止めを食らわせ、23番、24番領の侵攻に全力を注いだ。この作戦が成功すればどちらにせよ、趙燕国西部一帯を落とすことが出来る。

対する趙燕軍は24番領への侵攻を無血開城した。

これにより趙燕軍と蛮軍の両方の作戦は23番領、漆貞の地に集結した。以下、この漆貞での戦について戦況を中継する。

☯1日目

先に侵攻した蛮軍を紹介する。

・総大将:片韓軍神 (18)
・副将:貞昌権大将軍 (14)
・第一軍長:羅琉金大将軍 (14)
・第二軍長:屯諒國大将軍 (14)
・第三軍長:嬰瑠央大将軍 (11)

以下、大将軍1名、将軍2名、将校4名
総勢12将で構成される。

次に防衛する趙燕軍を紹介する。

・総大将:袁仁軍神 (17)
・副将:厳妙大将軍 (14)
・第一軍長:趙我氏大将軍 (13)
・第二軍長:劉朱大将軍 (11)
・第三軍長:張龍将軍 (10)

以下、将軍13名、将校3名
総勢22将で構成される。

今年より、蛮軍では片韓が相高を追い抜き、新筆頭将軍に就任した。

対する趙燕軍筆頭将軍の白蓮は絶対負けられない22番領の攻略戦に出向き、23番領にはいなかった。

代わりに第二将の袁仁が総大将で出陣した。
その分蛮軍の約倍数の軍を用意し、蛮軍を迎え撃つ。

蛇16年 蛮軍→趙燕国23番領 1日目 ①

蛮軍の先鋒は第一、三軍が務めた。
その軍長、嬰瑠央と羅琉金は歴戦の猛者で他の戦でも数多くの首級を挙げてきた猛将である。

対する趙燕軍は第一、二軍がこれを先鋒として迎え撃った。
同様にその軍長、趙我氏と劉朱も名のある大将軍で負けずと対抗した。

☯2日目

数の上で趙燕軍が圧倒すると思いきや、開戦初日の蛮軍の猛攻は凄まじかった。

趙燕軍の斜陣に対して、蛮軍も対応して斜陣で攻略してきた。

数の上で優勢な趙燕軍がここまで圧倒されるのは、さすがの総大将袁仁は焦りの顔を隠しきれなかった。

以下、当時の布陣図である。

蛇16年 蛮軍→趙燕国23番領 2日目 ①

ここで猛威を振るったのは蛮軍第一軍長、羅琉金であった。

蛮軍の斜陣から抜け出し、中央に布陣していた劉朱軍に目を付けた。明らかに各軍長の中で一番指揮がとれてなかったからだ。

そして、まずは劉朱軍の脇から追撃し応戦してきた趙子虎将軍を羅琉金自ら討ち取った。

討たれた趙子虎は第一軍長の趙我氏の長男で、この凶報には動揺を禁じえなかった。

これにより趙我氏は前線を押し込まれてしまった。

更に蛮軍は本軍までも動き出した。
防衛が厚い袁仁軍の軍勢をかき分け、なんと総大将自ら袁仁軍に到達した。

以下、当時の布陣図である。

蛇16年 蛮軍→趙燕国23番領 2日目 ③

片韓は自軍に在籍していた安楠将校に命じ、なんと袁仁本人に一太刀浴びせる事に成功した。

しかし、もちろんこの攻めで袁仁を攻略できるとは思っておらず、片韓一行は一度後退した。

これには袁仁は挑発されていると感じ、いらだちを隠せず、手ごたえのない一日だった。

☯3日目

第二軍長を失っても、趙燕軍の兵力で容易く立て直した。

しかし同時に、現在蛮軍総大将がみすみす趙燕軍本陣まで攻め込んでいる事は事実である。これは一度、趙燕軍の犠牲をもたらしたが最大の好機でもある。

その為、第三軍長の張龍を反転させ、片韓の足止めをさせた。

以下当時の布陣図である。

蛇16年 蛮軍→趙燕国23番領 3日目 ①

同時に精鋭軍を率いる副将の厳妙も前進させ、片韓の退路を断ちつつあった。

これには危機感を抱き脱出しようとする片韓だったがうまくいかず、深追いしすぎた事を悔やんだ。

しかし、このままやられる片韓でもなかった。
即座に軍を削る覚悟で脱出の構えを諦めなかった。

ここで先日袁仁に一太刀浴びせた安楠が殿を名乗り出た。包囲された状態で殿を務める事は決死の覚悟の顕れだ。

させまいと張龍と厳妙が奮闘するが、片韓の突破力には叶わなかった。

代わりに安楠は片韓軍が完全に脱出するまで耐え抜き、最後は廉双将軍に討たれた。

同時に羅琉金の追い込みにより、趙燕軍と蛮軍はどちらも勢力が分断された。

これには趙燕軍は苦しかった。
特に急に指揮官が入れ替わった第二軍は少し対応が遅れていた。

しかし、それでも奮闘していて趙仁と趙我氏一行は耐え抜いた。

以下、当時の布陣図である。

蛇16年 蛮軍→趙燕国23番領 3日目 ②

☯4日目

開戦3日目は蛮軍が少し押し返された一日となった。
しかし、またもやこの日は蛮軍が反撃に出る日となった。

数の上で劣っている蛮軍は押し込みすぎると兵力差が大きく影響してきてしまう。

その為、総大将片韓が脱出に成功し、総指揮を執りなおすと蛮軍が一度後退した。

先日より袁仁と片韓の戦い方は似ていた。
この日も、両軍の本軍に属する副官同士が、前線に出て戦った。

蛮軍は昨年活躍した轟山大将軍、趙燕軍は天勝将軍だった。

特に轟山は昨年将軍首を挙げた事で、かなり勢いが増して、天勝を圧倒した。
しかし、これは失敗だった。

袁仁は天勝が押されることは承知の上だった。

この囮作戦に引っかかった轟山は前進した厳妙軍の背後から回り込んだ第二軍、趙仁将軍により討ち取られてしまった。

これで片韓は自身の副官を失ってしまった。

しかし、またもやこれで引き下がる片韓ではなかった。

以下、当時の布陣図である。

蛇16年 蛮軍→趙燕国23番領 4日目 ①

片韓はみすみす前進してきた厳妙に狙いを定めた。

総大将自ら厳妙に切りかかり、大きく負傷させた。
厳妙も有力な大将軍だったが、軍神の一撃にはかなり堪えてしまった。

ここで、嬰瑠央軍の副将嘉均庄が動き、なんと厳妙大将軍を討ち取ってしまった。

蛇16年 蛮軍→趙燕国23番領 4日目 ③

☯5日目

蛮軍に援軍が到着した。その軍容を紹介する。

・援軍大将:趙偉龍軍神(17)
・援軍副将:南郷政君軍神(17)

以下、大将軍2名、将軍6名の計10将で構成される。

これにより生存している蛮将と合わせると計19将で蛮軍が構成される。

対する趙燕軍は3将失い、計19将となった。

最初は数の利をもって開戦した趙燕軍だったが、蛮軍に援軍が到着したことで、同数となった。

更に蛮軍には軍神級の武将が計3名となり、将の強さにおいては蛮軍に劣っていた。

この力量の差は、この日の戦果で明らかになった。
それにより趙燕将が多く討たれる一日となった。

軍に余裕ができた蛮軍総大将、片韓は本陣へ下がりゆっくりと作戦を練った。

これには早急に総大将の首を狙う趙燕軍にとっては都合悪く攻めあぐねていた。

特に趙燕左軍が担当する蛮軍の援軍の猛威は凄まじく、瞬く間に前線を押し上げられた。

以下、当時の布陣図である。

蛇16年 蛮軍→趙燕国23番領 5日目 ①

蛮軍は精鋭軍を中心に、趙燕軍を淘汰していった。

特に末端将が懸命に前線を押されないように抵抗するも、既に5人の将軍や将校が討たれてしまった。

その中には白輪将軍もいた。
彼は筆頭将軍白蓮軍神の直系の孫で、その死はすぐさま別戦場にいた白蓮に伝えられた。

しかし、その中でも一人深追いしすぎた将軍がいた。
それは蛮軍精鋭軍副官の戸須馬将軍で、貞昌権の制止をも聞こえてはいなかった。

その結果、袁仁が少し後退した間に伏せられていた張龍軍を派遣し、戸須馬を張龍自ら討ち取った。

以下、当時の布陣図である。

蛇16年 蛮軍→趙燕国23番領 5日目 ②

☯6日目

趙燕軍は末将を多く討たれたが、蛮軍の精鋭軍を惑わせたのは大きかった。

しかし、この日も昨日程ではないが多くの将が討たれた。

まず動いたのは先日自らの副官を失った貞昌権だった。
この軍はまず、眼前の敵軍総大将袁仁を狙った。
疲弊した趙燕軍の防壁なら十分破れると判断したからだ。

更に逆に押されてしまった張龍軍を横から嬰瑠央軍が追討した。

この奇襲によりなんと張龍軍長は陀早坪将軍により討ち取られてしまった。
これでいよいよ趙燕軍は三人目の指揮官を失い、軍の士気を保つ事が難しくなってきた。

最終決戦が近づいている事を両軍察していた。

蛇16年 蛮軍→趙燕国23番領 6日目 ①

☯7日目

趙燕軍第三軍長、張龍が討たれたのでその副官の颯呉周将軍が指揮官となった。

そして後がない袁仁は精鋭軍に蛮援軍の全てを相手してもらい、残りの軍を全て右翼に集めた。

精鋭軍の甚大なる被害を代償に、一点突破を狙う陣を敷いた。

以下、当時の布陣図である。

蛇16年 蛮軍→趙燕国23番領 7日目 ①

ほぼ完全に包囲されている趙燕軍だったが、なんと総大将の袁仁が最前線に立ち、蛮軍に立ち向かった。

勿論、蛮軍総大将の片韓もこの好機を逃さず、近辺の軍に総攻撃を命じた。

しかし、さすがは趙燕軍の第二将なだけあって、かなり手負いはしたが、持ちこたえた。

むしろそれどころか、眼前の羅琉金と嬰瑠央との前線を押し上げた。この時の袁仁はまさに鬼人の形相であった。

更に第一、二軍までも蛮軍を圧倒した。
しかし、袁仁ほどの力はなくここで数人の将校が討たれてしまった。

この逆転劇には蛮軍も少し怖気づいてしまった。

しかし、趙燕軍左翼はかなり苦戦していた。

厳妙大将軍の代わりを務める、連楚将軍は全力を尽くして防衛するも、蛮軍の軍神二名が率いる猛攻は凄まじかった。

とてもではないが、連楚将軍だけで守り切れる相手ではなかった。

以下、当時の布陣図である。

蛇16年 蛮軍→趙燕国23番領 7日目 ②

いよいよ連楚将軍は南郷政君と趙偉龍の攻めにより精鋭軍もろとも総崩れにされた。そして同時に連楚将軍はここで討ち取られてしまった。

しかし、袁仁の考えていた時間稼ぎには十分だった。

袁仁は自ら間もなく眼前に迫る敵軍総大将、片韓の姿を捕らえていた。これだけで、突撃する勢いは徐々に増していった。

しかし、手前で羅琉金自らの手によって完全に足止めを食らってしまった。

袁仁もこれまでの突撃で疲労がかさんでいた為、これ以上の突撃は叶わなかった。

それでもどこか袁仁は焦りの顔を見せる事は無かった。ここで、袁仁は背後から同時に攻めた颯呉周将軍を呼んだ。

颯呉周は指令を受け入れ、袁仁を守ることなくそのまま前に突撃した。

その狙いは蛮軍総大将、片韓だった。
これには選りすぐりの大将軍らが率いる蛮軍に対し、強行突破されることは想定していなかった為、片韓は焦った。

以下、当時の布陣図である。

蛇16年 蛮軍→趙燕国23番領 7日目 ③

颯呉周は蛮軍をすべて突破し、片韓の元へ着いた。
脇には父の颯呉漢を討った嬰瑠央の姿もあり、闘気は漲っていた。

しかし、到着しても討てねば意味がない。

こうなっては片韓も応戦せざるを得なく、武器を取った。

これで片韓軍神と颯呉周将軍の一騎打ちが始まった。

その結果はすでに手負いの片韓だったこともあり、なんと颯呉周将軍の勝利だった。

これにより、趙燕軍の執念が発揮され、見事22番領を蛮国より奪い取った。

趙燕軍戦勝

以下、今回の戦の詳細戦闘ログである。

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