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永乱12年 羽如国→秦国31番領、賀桟攻略戦

㊟この物語はかなり長くなります。お時間があるときにゆっくりお楽しみください㊟

昨年、永乱11年に羽如国は国内筆頭将軍、青大将大将軍が大軍を率いて、賀桟に侵攻するものの、秦国筆頭将軍、王騎馬陽大将軍の軍勢により討ち取られてしまった。

これまで、無敗の記録を持っていた青大将大将軍を失ったことにより、失意に満ちていた羽如国であったが、青大将の弟である黄大将大将軍と、青大将の子息である金大将大将軍が筆頭となり、また軍を興した。

羽如軍は黄大将が青大将に代わり、筆頭将軍に昇格する事で、また新たに永乱12年もまた秦国領、賀桟へ侵攻した。

同じく、再侵攻の知らせを受けた秦国も筆頭将軍、王騎馬陽大将軍が率いる大軍でこれを迎え撃つ準備を進めた。

以下両軍の軍容を紹介する。

開戦1日目

先に羽如軍を紹介する。

・総大将:黄大将大将軍(15)
・副将:金大将大将軍(15)
・第一軍長:虎武羅大将軍(14)
・第二軍長:一気大将軍(13)
・第三軍長:羽虫大将軍(13)

以下大将軍6名、将軍19名、将校6名
総勢36将

次に秦軍を紹介する。

・総大将:王騎馬陽大将軍(16)
・副将:東海眼藻大将軍(14)
・第一軍長:田那加広輔大将軍(14)
・第二軍長:翔王大将軍(13)
・第三軍長:千空大将軍(12)

以下、大将軍10名、将軍17名、将校18名
総勢50将

羽如軍はこれまで青大将が指揮を執っていたが、昨年度秦軍将軍田那加広輔により討ち取られて、黄大将大将軍に指揮権が入れ替わった。

田那加広輔は昨年の論功を受け大将軍になり、なんと秦軍第一軍長にまで昇格した。

彼は元浪国の将であった。浪国は永乱年初期に秦国、羽如国連合軍により滅ぼされた国であるが、その詳細はこちらの記事に記載されてある。


開戦初日、まずは敵国の様子見として羽如軍からは突撃隊長に絹蛇将軍が、副官に音蛇将軍が選ばれた。

絹蛇は羽如国で大将軍に昇格する手前の階級である階級10の将軍であり、将来が期待されている将軍のうちの一人であった。これらの将軍が5名いることにより、羽如国5将と呼ばれていた。

一方秦軍は突撃隊長に第三軍長千空大将軍と、副官に騰仏毅大将軍が選ばれた。

そして、秦軍の防衛陣の最前線には総大将、王騎馬陽大将軍の姿があった。いつもなら自らが殿を務めて、敵軍を蹴散らすことを得意とするものの、もしもの時、総大将自らが対応する為である。


先に仕掛けたのは羽如軍であった。しかし、突撃隊同士ぶつかると思いきや、なんとすり抜けて、その後ろに布陣していた王騎馬陽を直接狙った。

秦軍も動揺により、遅れはしたが羽如軍防衛陣と交戦を始めた。

突然の攻撃を受けて総大将軍に被害はそこそこ見られたものの、王騎馬陽は静かに笑った。開戦初日で総大将を直接狙ってくる事で、羽如軍総大将の戦法を諮れた為であった。

開戦2日目

開戦初日は秦軍総大将の軍に被害があった事でどよめきがあれども、両軍大きな被害はなかった。

それでもこの日、羽如軍は強い攻勢に出た。
第二軍長、第三軍長らが分かれて、殿に立ち二方向から秦軍を攻め立てて削っていった。

この際、大将軍昇格間近の将軍であった秦国6将の中の幸甚将軍と他将校が防衛陣の最前線で応戦するも力及ばず討たれてしまった。

これに気付いた秦軍からは阿修羅大将軍を急いで筆頭に、その副官に京町大将軍を付けて、羽如軍の攻勢を防いだ。

その際、京町大将軍羽如軍羽虫大将軍の姿を捕らえて、交戦した。両者の攻防は凄まじく一進一退であったが、羽虫大将軍が京町大将軍に夢中になっている隙をついて、同行していた将校派韋后によりこれを討ち取った。

他に羽如軍から末端の将軍2名を討ち取った。

しかし、秦軍はやけに手応えが無いと感じていた。
その予想は的中していて、既に黄大将は手を打っていたのである。

別動隊に空蛇将軍を隊長に立て、秦軍総大将が布陣する脇腹を突いた。空蛇将軍らが総大将の側近で布陣していた第二軍長の翔王と交戦し隙を作り、煎茶蛇将軍王騎馬陽に一太刀入れた。不意を突かれたとは言え、総大将の身に手負いが生じた事で、秦軍は一層慌ただしくなった。

開戦3日目

秦国総大将は二日目の手負いにより、一度引き下がった。

代わりに、元聖国から昇進した副将、東海眼藻大将軍が殿になり、秦軍を率いた。

ここには引き続き、第三軍長千空大将軍他2名の大将軍も共にしたことで、強い攻勢に出る用意をしていた。

羽如軍からは第二軍長一気大将軍が殿に立ち、副官に楽蛇大将軍と羅武羅大将軍を引き連れ、秦軍に突撃した。

両軍3名ずつの大将軍による攻勢で、かなり激しくぶつかり合った。

これに対する秦国防衛陣では阿修羅大将軍が指揮を執っていた。

この日秦国は攻撃を少数の大将軍の精鋭で行い、大多数の将軍、将校は防衛陣に布陣した。

羽如軍防衛陣は羽如軍末席の大将軍、百足が指揮を執っていた。彼は永乱元年の羽如国建国より活躍していた防衛に特化した武将であった。

そこに立ち向かったのが、同じく秦国を永乱元年から支えてきた姜斐巳大将軍であった。

ここで姜斐巳は百足軍の綻びを見つけた。姜斐巳はその隙をついて百足大将軍を討ち取った。

それを見た、羽如国内で最も強い将軍格の阿蛇が急行したが、彼もまた永政志功将軍により討たれた。

これにより、秦国軍が羽如国防衛陣深くまで進軍した。

この日は両軍将軍、将校が多く討たれた日であった。

開戦4日目

この日、秦軍は攻撃範囲を広範囲に広げて進軍した。

これに対応するように羽如軍防衛陣も広範囲に横陣を広げて、これを迎え撃った。

しかし、この防衛陣には羽如国大将軍以上の姿は見られず、羽如軍5将の将軍全員で横陣を指揮していた。

羽如軍は将軍格を中心に広範囲に横陣を展開した為に秦軍からすれば、大将軍と総大将の姿を捕らえることができず、この横陣を力技で抜くしかなかった。

それでかつ、多数の将軍を抜いてもその先には羽如軍大将軍格率いる軍勢と交戦しなければならないと想定される事により、力も温存して戦わないといけなかった。

秦軍の指揮は律会大将軍と元聖国の辺姜史慈、東海眼夜大将軍という、大将軍3名による大規模な乱戦を起こした。

秦軍の大規模な攻勢により、羽如軍も多くの将軍が対応するもすぐさま絹蛇将軍と東蛇将軍が討ち取られた。

絹蛇将軍は開戦初日活躍していた、羽如軍5将の内の一人であった。

これにより羽如軍には階級10の将軍が5名いたが、既に3名が討ち取られしまった。

それでも人海戦術で、羽如軍はしばらく持ちこたえ、かなりの砂埃が上がった。

近年、急速に武功を挙げ昇進してきた悪蛇将軍もまたもうじき大将軍昇格間近な将の一人であった。

これに対して、秦軍でも永乱11年に将軍として登用された銅鵬将軍もまた階級10の将である。

若手の将軍同士で対峙し、一騎打ちが行われ、銅鵬将軍が見事悪蛇を討ち取った。

一見、羽如軍の将来有望な将軍格が多数討ち取られて不利に見えるであろうが、これもまた総大将黄大将の惑思通りであった。

なんと羽如軍防衛陣を抜き、総大将の元まで迫れたと思った秦軍であったが、なんと既に黄大将の姿は無く、自ら秦国本営に姿を現した。

羽如軍総大将、黄大将大将軍と副将の金大将大将軍の連合軍が既に別動隊で動いていた。

出し抜かれた秦軍は急遽これに辺姜史慈将軍が立ち向かうも、すぐに討ち取られてしまった。

開戦5日目

なんとこの日までに羽如国総大将、黄大将軍は無傷な一方秦国総大将王騎馬陽の軍を限りなく壊滅させた。

王騎馬陽は未だかつてない、窮地に追い込まれたが、あえて自らが突撃隊長に立った。

やはり、総大将自らが軍を率いてこそ、秦軍の強さが活きるとしたのだ。

一方羽如軍からも初めて総大将、黄大将自らが突撃の殿に立った。副官に副将と第一軍長を立てて、羽如軍最大の攻勢に出た。

特に副将の金大将大将軍は羽如軍の中で最大の武力を誇る大将軍であった。

総大将同士が睨み合う事で、両軍の緊張感が高まった。

両軍総大将の檄により乱戦が始まると、真っ先に羽如軍副将、金大将が最前線に出てきた。

これに対して、秦国第一軍長、田那加広輔大将軍が出て、金大将と交戦した。

彼もまた、現在秦国内で最も武力が高いとされている将であった。

両軍最強武力がぶつかり合った。

一騎打ちの結果、田那加広輔が金大将を討ち取った。

田那加広輔は浪国から亡命してきた中で唯一の生き残りである。これによりまた急激に秦国内で名をはせた。

ここで、羽如軍至強大将軍が討たれた事により士気が下がった。

これには初めて羽如国総大将も焦りを感じた。

黄大将は勢いに任せ、秦国将校を切り伏せ、第二軍長一気大将軍を派遣した。

一気軍の近くには秦国大将軍末席の陽人軍がいた。
黄大将の意向としては堅実に末席から削り取る作戦に転向した。

これにより陽人大将軍は討たれて、羽如軍の勢いも戻ってきた。

羽如軍も秦国の大将軍の首級を挙げた事で士気を保っていたところ、更なる訃報が飛び込んできた。

豹武羅大将軍が秦国の大将軍手前の5将の一人風神将軍により討たれてしまった事だった。

秦国も大将軍を討たれてもその勢いは止まらなかったのである。

やはり、秦軍は総大将が殿に立つ時、最も力を発揮すると黄大将大将軍も痛感した一日であった。

しかし、既に手負いのある王騎馬陽であった為、これ以上の攻攻め込みは出来なかった。

開戦6日目

5日目に追い込みをかけた王騎馬陽は一度本陣まで引き下がり、殿に第三軍長千空大将軍を立て、防衛戦に切り替えた。

これを受けて、羽如軍は総大将自ら殿に立ち副官には一気大将軍赤蛇大将軍を引き連れて突撃した。

秦国前線には将校が多く布陣していた。

羽如軍は将校や将軍格のみで甘く見ていたが、秦軍の防衛陣は硬かった。

その中でも秦国5将の中の袁李趙将軍赤蛇大将軍が討ったことは、やはり有力な将軍を失った秦軍にとっては痛手ではあった。

しかし、羽如軍は秦国前衛を削りはしたものの、秦国に致命的な被害は与えられなかった。

開戦7日目

この日も秦軍は守りの体制であった。
潤沢な人数による横陣の強さは、兵力が削れてきた羽如軍にとっては、厳しいものである。

その中で、羽如国総大将の得意とする作戦が実行された。

黄大将は自ら突撃隊の殿に立ち横陣を削りに走った。

総大将が率いる軍なだけあって、羽如軍の半数が突撃した。副官として、一気大将軍の姿もあった。連日一気大将軍は活躍して、手負いもあるものの、その名に恥じない活躍を見せていた。

秦軍は持ち前の横陣を律会大将軍がその副官に元聖国で秦国6将の家馬廷但玖将軍が指揮した。

羽如軍第二軍長の一気大将軍が家馬廷但玖に目を付け、交戦した。

ここで突如秦国本営から悲鳴が聞こえた。

羽如軍第一軍長、虎武羅大将軍が秦軍本営の横っ腹を食い破った。流石に本営にいた王騎馬陽は小さく汗をかいた。

これに副将の東海眼藻大将軍と数々の武功を挙げた京町大将軍が応戦した。

虎武羅は先に東海眼藻を狙った。

東海眼藻と京町の個人の武力は強くはなかったが、協力して何とか虎武羅と対峙した。

しかし、その背後から楽蛇大将軍が京町を切り付け、討ち取った事によりなし崩しで東海眼藻は虎武羅に討たれてしまった。

東海眼藻は元聖国の亡命将の中で筆頭の将軍であった。

開戦8日目

7日目に本営の急襲により、秦軍は副将武功を重ねてきた大将軍を同時に失い、怒りに染まった王騎馬陽自ら応戦しようとするも既に羽如軍大将軍等の姿は無かった。

初めから横陣を削ると見せかけ、本当の狙いは秦軍副将を討ち取ることで戦況を五分に持ち込むことであった。

これを受け、今日は秦軍は猛攻に出た。

殿に第一軍長の田那加広輔大将軍、副官に蓮天将軍が任命され、朝一で羽如軍に攻撃を仕掛けた。

しかし、今日の羽如軍は逆に防衛陣を展開し、硬い守りを見せた。人数が少ないからといい、急編成した突撃隊の為攻略に難航した。

羽如国防衛陣では鎖蛇が指揮を執り、秦国軍の勢いをうまく殺していた。感情に任せた攻撃は冷静に対応すれば、上手くいなせるのは世の常である。

ここに先日本営を襲った虎武羅大将軍の姿があり、秦軍の激情をさらに煽る物となった。

全てが黄大将の思惑であった。

秦軍は釣られて、防衛陣に深く侵入した事により、包囲されてしまった。

これにより、秦国6将のうちの一人柴禅将軍始め、将軍格3名が討ち取られたことにより田那加広輔大将軍の軍勢は何とか包囲網を切り抜けることが出来た。

秦軍からすればかなりの痛手になった。

開戦9日目

総大将王騎馬陽第一軍長、田那加広輔大将軍も深手を負い、秦軍は守りに入るしかなかった。

これに対し、羽如軍はこれを好機とし、大規模攻勢に出た。

羽如軍第一軍長、虎武羅大将軍が他軍長等も率いて羽如軍のほとんどを攻勢に使った。

秦軍は防衛陣の大将に迷っている所、田那加広輔大将軍が立ちあがった。

自身も手負いであったが、総大将を行かせる訳に行かず決死の覚悟で本日の防衛陣の殿を務めた。

しかし、それでもなお、この日は秦軍にとって多大なる被害を免れることは出来なかった。

当初最前線の指揮を成怪毒矢将校が急遽取っていたが、羽如軍第二軍長一気大将軍により瞬く間に討ち取られてしまった。

絶望の中、秦軍から田那加広輔大将軍が立ちあがった姿を見て、秦軍の士気は一気に上昇した。

しかし、それもまた羽如軍の格好の狙いとなった。

羽如軍、虎武羅大将軍は、8日目に自ら囮になった為、田那加広輔が深手を負っている事を知っていた。

そこで、その近くにいた赤蛇第三軍長に田那加広輔の背後から討てとの指令を出した。

赤蛇は狡猾に背後をとり、見事田那加広輔の不意を突き、その首級を挙げた。

上がった士気を折ると秦兵は完全に挫けた。

それと同時に秦国は隔日で副将と第一軍長が討ち取られ、窮地に追い込まれた。

なし崩しにこの日は追加で、将軍、将校それぞれ1名ずつ犠牲になってしまった。

その中で秦軍将校定香は意志が挫けることは無かった。

将校定香は、羽如軍の一人の将軍に目を付けた。

それは京蛇将軍であった。

彼は、この戦で軍長手前の阿修羅大将軍や他、将軍格を討ち取って、帰国すれば6階級昇進が決まっていた。

油断した隙に定香は京蛇将軍を討ち取り、秦軍に将校という身分ながら檄をかけた。

開戦10日目

昨日は最後の定香の大金星の追い上げにより、この日は秦軍が追い上げる日であった。

羽如軍は強いながら、兵力の差が目立ち、疲弊もかなり見られた綻びを突いた。

これに気付いた羽如軍は守りの体制に切り替えた。
その殿は現在存命の大将軍末席の楽蛇であった。

一方秦国からは生粋の秦国生まれの大将軍翔王が猛攻に出た。

翔王が真っ先に立ち向かう将軍一名を討ち、追随する藨凱公紹大将軍が羽如軍防衛陣を切り開いた。

藨凱公紹はその勢いで楽蛇大将軍の姿を捕らえ、自らこれを討ち取った。

結果、秦国が存命の羽如軍末席の2名の将を討ち、なんとこの日は、秦軍からの将の被害はない状態で一日を終えた。

開戦11日目

戦が長引くと、それまでは持ち前の経験値を活かし、秦軍を圧倒していたものの、やはり羽如軍はかなり負傷が目立った。

そして、なにより秦軍にとって朗報は総大将の王騎馬陽が休養から復活し、手負いながらも今日の攻勢の殿に立った事だった。


これを受け、羽如軍は急いで鎖蛇、羅武羅大将軍を二枚立てで、応戦した。

王騎馬陽もかなりの手負いであるものの、鎖蛇、羅武羅も中々に深い傷を負っていた。

ここで王騎馬陽が駆け出し、真っ先に鎖蛇を狙った。羅武羅は勿論挟撃を狙い、王騎馬陽に迫った。

羅武羅大将軍が挟撃した事で何とか、王騎馬陽に立ち向かえていた。

しかし、その後ろには王騎馬陽の命により時間差で昨日活躍した翔王大将軍が迫って羅武羅大将軍を背後から討ち取った。

焦りを見せた鎖蛇大将軍も王騎馬陽により呆気なく討ち取られた。

一方、秦軍も疲弊と負傷が重なっていたものの、被害は最小限であった。

秦国防衛陣に対しては赤蛇大将軍の軍勢が善戦したが、それでも秦軍存命の末席の将軍格の蘭蝶を討ち取った程度であった。

長期戦が不利な羽如軍の様相が浮き彫りになった形になった。

開戦12日目

羽如軍は劣勢の兆しが見えたので、朝から総大将黄大将大将軍自ら殿を務め、羽如軍の士気を上げた。

それに留めず、第一、第二軍長までをも最前線に立たせることで、羽如軍の士気を最大限にまで上げた。

秦軍総大将はやはり傷が深く、この日は防戦に転じた。

存命中最強の三人の大将軍の勢いは凄まじく、秦国防衛陣を大いに削った

それでも今が開戦後12日であることもあり、やはり初日などに比べたら、至強の大将軍等もかなり厳しい戦いであった。

特に一気大将軍は今までかなり活動的であったので疲労が蓄積していた。
羽如軍総大将黄大将は真っ先に気付き、この日は後退の指令を出したが、既に遅かった。

羽如兵は既にかなりの数を失い、既に先頭はこの三人の大将軍の精鋭のみで、ほぼ壊滅していた。これに気付くのが遅れた黄大将の大きな失態であった。

黄大将は急いで力技で退却しようとしたが、一気大将軍はこの退却に耐えられないと分かっていた。

ここで、敢えて一気は最後尾に立ち、秦軍の勢いを一挙に受け止めた。

黄大将は愕然としたが、一気のこの行動により包囲網を抜けられた。

一気大将軍と対峙したのは秦軍の副将であり、兄であった東海眼藻大将軍の仇を追う、東海眼夜大将軍であった。

本来は、虎武羅が兄を討ったのでその姿を追ったが、目の前にしているのは一気であった。

一気は決死の覚悟で彼と交戦し壮絶に討ち取られた。

これにより、黄大将は命からがら逃げ延びて、このまま羽如軍は撤退した。

秦国戦勝

最新年度の勢力図も添付する。

戦国n雄 本戦第一回地図 永乱13年

以下、戦のデータである。

ただのデータであり、文字では記載されていないが、だれがいつ攻撃したなどの記載が数字でされているので、もしよければ参考にしてほしい。

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