蛇18年 蛮国戦況中継
☯蛮国関与戦全容
・蛇18年侵攻先一覧
☯時代背景
昨年大蛇と趙燕国を同時に対戦し、芳しい成果は上げられなかった。むしろ大蛇国に首都の喉元である「25番領、偏堵」までも攻略される事態に陥り、国は混乱した。
この結果を踏まえて、筆頭将軍の相高は昨年とほとんど同じように侵攻するが、同時に奪われた25番領の奪還にも兵を送った。
相高自身は26番領への侵攻に総大将として出陣し、25番領は趙偉龍を総大将とした。他にも数多くの軍神が蛮国に在籍するので、より広範囲に侵攻する事ができるようになった。
この侵攻に対し、大蛇国は26番領を無血開城して、25番、28番領の防衛戦に兵力を集中させた。これまで多くの大蛇軍を葬ってきた相高と交戦することを避け、25番領の趙偉龍、28番領の貞昌権軍神を確実に葬ることにしたようだ。
そして、趙燕国と交戦するのは新しく軍神に昇格した羅琉金軍神である。羅琉金は総大将として趙燕国20番領に侵攻した。
以下「蛮軍→大蛇国25番領攻略戦」についての戦況中継を掲載する。⚔
☯1日目
先に侵攻した蛮軍を紹介する。
・総大将:趙偉龍軍神 (19)
・副将:琉之西大将軍 (15)
・第一軍長:趙偉凰大将軍 (11)
・第二軍長:蔡暴大将軍 (11)
・第三軍長:屯諒萬将軍 (10)
以下、将軍1名、将校1名
総勢7将で構成される。
次に防衛する大蛇軍を紹介する。
・総大将:鎖蛇軍神 (17)
・副将:海朕大将軍 (14)
・第一軍長:蛇様大将軍 (11)
・第二軍長:獣女大将軍 (11)
・第三軍長:幽慶将軍 (10)
以下、将軍3名、将校5名
総勢13将で構成される。
三方向に分かれ大蛇国を侵攻する蛮軍の一角、趙偉龍軍は大蛇軍第二将の鎖蛇軍と交戦する。
大蛇国は26番領の防衛を放棄することで、蛮軍の倍数の兵力を用意して応戦した。
両軍国内第二将が率いる軍同士の衝突で、この戦は大いに注目された。
以下、当時の布陣図である。
開戦早々、圧倒的な力を見せたのは大蛇軍だった。
趙偉龍の速戦即決な戦い方を研究した鎖蛇は、それを上回る初動の速さで勝負した。
蛮軍前線に立つ3人の将に向け、大蛇軍先鋒隊は突撃を開始した。
趙偉龍はこの速さに驚き、少し対応が遅れてしまった。
趙偉龍が懸命に大蛇軍の突撃に対処している時、一名足並みが揃わない者がいた。
それは趙偉龍の副官として従軍した堅介将軍だった。
堅介は昨年、趙燕軍元筆頭将軍の白蓮軍神を討ち取った将である。
この功で急に地位が上がった為、今回の戦でも活躍しようと必死だった。
趙偉龍はこれを制止したが、堅介は指令を聞かなかった。
むしろより敵軍深くまで潜り込んで、軍を率いる事より、自分が武功を挙げる事に精一杯だった。
この深追いにより趙偉龍は懸念もしたが、実際はそこまで深手を負うことなく、大蛇軍を適度に殲滅し、帰還した。
☯2日目
結果的には昨日の堅介の活躍により蛮軍はこの日、大蛇軍を圧倒する事が出来た。
これにより、堅介はより高揚して小隊を率い眼前の幽慶軍を討ちに走った。
幽慶は昨日堅介により最も被害を被った為、この突撃には徐々に後退するしかなかった。
以下、当時の布陣図である。
しかし、堅介は幽慶軍の防衛陣を圧倒し、幽慶の副官である幽山を討ち取った。
幽山は幽慶の弟で、この犠牲により第三軍は本陣まで後退せざるを得なかった。
これにより、この戦で最初に首級を挙げた将は堅介となった。同時に蛮軍からより期待も寄せられるようになった。
☯3日目
この日は両軍大きく布陣を変えた日だった。
蛮軍はこれまで前線で活躍した趙偉凰軍を後方予備隊に下げ、新しく精鋭軍を前線に出した。
対する大蛇軍は精鋭軍を予備隊に下げ、第一、二軍を中心として蛮軍に対峙した。
以下、当時の布陣図である。
蛮軍の堅介はこの日も前線に立ちたがっていたが、本軍がわずかに後退した為、不満を抱いていた。
この日の主攻はあくまで精鋭軍である。
蛮軍副将の琉之西大将軍と大蛇軍第一軍長の蛇様大将軍がにらみ合い、突撃号令によりこの日の戦が始まった。
両者の力量は、格上な琉之西の方が上回っていて、蛇様は苦戦を強いられた。
しかし、蛇様の狙いは琉之西ではなかった。
琉之西が調子付いてきた時、蛇様は急旋回して蛮精鋭軍を受け流し、近くに布陣している総大将、趙偉龍を狙った。
以下、当時の布陣図である。
この急襲に趙偉龍は冷静に対処しようとしたが、ここで足並みを乱した者がいた。
それはまたもや堅介だった。
目の前に転がってきた好機に、守りの布陣を捨て数騎で応戦しに出てしまったのである。
これにより堅介は蛇様の元にたどり着き、交戦を始めた。
ここで堅介は力量の差を思い知った。
堅介は追い詰め切った白蓮のとどめを刺しただけで、実力は相応の物だった。
対する蛇様は大将軍で、経験の差がありすぎた。
堅介は蛇様によりあっさり討ち取られてしまい、蛮軍本陣に大蛇軍の侵入を許してしまった。
副官の堅介を失ったのは痛手で、趙偉龍自身もかなり負傷してしまった。
しかし、歴戦の軍神なだけであって、大蛇軍の侵入を対処して無事に巻き返すことが出来た。
趙偉龍の失策としては、白蓮戦で功を挙げた堅介を安易に自身の副官にしてしまった事である。
☯4日目
趙偉龍はやはりこの日は自身が最前線に立ち、蛮軍の士気を上げに行った。
大蛇軍も慎重になり、押し込んでいた第一軍長の蛇様を後退させる等、綿密に布陣を組みなおした。
両軍総大将同士、蛇元年より活躍する将な為、色んな戦況が見え、慎重にならざるを得なかった。
以下、当時の布陣図である。
趙偉龍はこの日、大蛇軍の攻勢に対し、的確に防衛陣を展開した事により犠牲を出さず着実に蛮軍を守り抜いた。
大蛇軍も数の上で優勢なうちにある程度、戦況を有利にしておかないと今後不利になる。
しかし、これはうまくいかなかった為、総大将鎖蛇は苛立ちを隠せなかった。
☯5日目
ここで、蛮国からは援軍が到着し、その軍容は以下の通りである。
蛮国から派遣された援軍を紹介する。
・援軍大将:南郷政君軍神 (18)
・援軍副将:陀早鱗軍神 (16)
以下、大将軍2名、将軍3名、将校2名で構成される。
生存した蛮軍6将に加えて、計15将で構成される。
大蛇軍は援軍が無かった為、生存した12将でこれに応戦する。
今日は蛮援軍が大いに牙をむく日となった。
既に負傷している蛮軍は後方に下げ、まだ戦える兵と援軍で来た将を中心に前線が組まれた。
大蛇軍も同様に負傷兵は多くいたが、兵の補填もなく兵力も蛮軍に劣る為、苦境に陥った。
以下、当時の布陣図である。
開戦直後、蛮軍は南郷政君と陀早鱗軍神を中心として突撃した。
そして、ほとんど同時に彼らは2人の将軍首を挙げた。
総大将の趙偉龍の息子の趙偉凰も負けじと突撃し、将軍首を挙げた。
開戦と同時に大蛇は将軍を3名も失い、大いなる混乱を招いた。
趙偉龍もこの戦況には笑みをこぼした。
堅介亡き後、孫の趙偉鎌を本軍の副官に招いたが既に鎌は大いに負傷していた。
その為、匿う為に本軍へ下げようとしたが、ここで大蛇軍の反撃が始まった。
動いたのは先日副官かつ弟を堅介に討ち取られた幽慶将軍だった。
ここで幽慶は趙偉龍自身が手厚く守っている人、つまり趙偉鎌を見つけた。
当時はなぜこれほど手厚く守られているのか疑問だったが、確実にこれは要人と判断した。
そこで、趙偉龍自身に襲い掛かると見せかけ、守りが薄くなった趙偉鎌を討った。
以下、当時の布陣図である。
そして即座に幽慶は脱出した。
この出来事で、趙偉龍は放心してしまった。
しかし、他の蛮軍はこれを知る由もなく、特に南郷は敵軍第一軍長の元まで迫っていた。
そして南郷の副官である蔡丹大将軍が、大蛇軍第一軍長の蛇様大将軍を討ち取った。
ここで日暮れが訪れた。
☯6日目
遂に軍長を失った大蛇軍はこの日より布陣を大きく変えた。
守りの布陣から、ついに攻撃に布陣に移った。
その証拠として総大将の鎖蛇自ら前線に立った。
対する蛮軍は優勢を活かして、大蛇軍を徐々に包囲していった。
以下、当時の布陣図である。
大蛇軍総大将の鎖蛇は自ら先陣を切って、蛮軍に突撃した。
これを待ち受けるのは予備隊で十分休息を取っていた蔡暴大将軍だった。
同時に、獣女大将軍も眼前の趙偉凰と交戦を始めた。
ほとんど蛮軍に囲まれ、大蛇軍の士気は下がり続けていたが、それでも将は諦めなかった。
まさしく戦況は一瞬だった。
鎖蛇がまず蔡暴大将軍と交戦し、数太刀で討ち取った。
その拍子に趙偉凰にわずかな隙が生じた。
そこで獣女大将軍も趙偉凰を討ち取った。
この一瞬で蛮軍は2名の指揮官を失ってしまった。
特に趙偉龍は息子まで失い、茫然とした。
☯7日目
6日目の戦いが終わり、趙偉龍は失墜すると思われた。
しかし、現実は全くの逆の現象が起こった。
この日、趙偉龍は自らが最前線に立ち、大蛇軍の殲滅を高らかに宣言した。
大蛇軍はここで戦意を奪う作戦が通じず、かなり焦りを感じた。圧倒的に不利な兵力を賄えなかった。
趙偉龍の号令により蛮軍はこれまでにない程、猛攻を加えた。
南郷はすでに大蛇軍左翼に布陣していた為、眼前の第二軍を掃討した。これにより青山将軍が討たれた。
これを契機に挟撃を受けた大蛇軍は崩壊し始めた。
以下、当時の布陣図である。
次いで、趙偉龍は自ら大蛇軍副将の海朕大将軍の元に迫った。
海朕は大蛇軍の前線指揮に勤しんでいた中、急襲されたので対応が遅れた。
その為、大きく斬撃を受けてしまい、その背後から相斯大将軍がこれを討ち取った。
相斯は蛮軍筆頭将軍、相高の長男である。
☯8日目
ここまでで、一度は形勢逆転したと思われた大蛇軍は再び窮地に追い込まれた。
当初12将いた大蛇将も今や4将となり、指揮官を務める将ばかりであった。
そんな中、昨日副将の海朕を失ったのは大きかった。
総大将の鎖蛇軍神も既に詰んでいる戦況に絶望せざるを得なかった。
蛮軍は3将失い、12将従軍している為、単純計算大蛇軍の三倍の軍勢で大蛇軍の包囲を始めた。
大蛇国に2名しかいない軍神の一角を落とせば、確実に大蛇軍の勢いを抑えることが出来る。
その為、総大将の鎖蛇を討ち損じないように包囲網を崩さないよう、兵に呼び掛けた。
蛮軍が逃がさないように布陣することを察知した、鎖蛇は既に脱出の準備を進めていた。
生存した第二、三軍長率いる軍を中心に総大将の身を守りつつ後退していった。
しかし、左翼に布陣する南郷政君軍神がこれを許さなかった。
以下、当時の布陣図である。
南郷の追討は恐ろしい物で、大蛇軍を全く物ともせず行進した。
もはや無事に脱出させることは不可能と察した第三軍長、幽慶は反転し、南郷に立ち向かった。
この犠牲により鎖蛇一行は蛮軍の包囲網が完成する前に何とか脱出口を見つけていた。
☯9日目
ここで撤退すると思われたが、なんと大蛇国は「戦を継続せよ」と指令を下した。これには残存する大蛇兵ともども、絶望の顔をするしかなかった。
大蛇国の指令により、鎖蛇軍神は数少ない大蛇軍を集結させ籠城の準備にかかった。
籠城といえども、実際に城があるわけでもなくわずかに小高い丘がある程度だった。更に前もった準備も無い為、作業は難航するはずだった。
これを予測し、蛮軍は大蛇軍を徹底して包囲した。
しかし、蛮軍が想定したよりも大蛇軍の動きは速かった。
大蛇国から戦を継続するとの指令に感傷的にならず、その命に徹した鎖蛇の統率力が垣間見えた。
蛮軍は大蛇軍を包囲する事に成功したが、徹底した守りの布陣は中々攻めづらい物だった。
以下、当時の布陣図である。
完全防戦を決め込んだ大蛇軍には蛮軍も猛攻を加えていったが、大蛇軍の徹底した意識の硬さにより、崩れる事は無かった。
むしろ、攻め疲れた蛮軍を徐々に蝕んだのは大蛇軍だった。
この事態に、蛮軍総大将趙偉龍は苦悶の表情を浮かべ、作戦変更の試案をした。
☯10日目
趙偉龍は蛮軍各位に日数をかけて大蛇軍を疲弊させよとの指令を出し、昼夜を問わず交代制で大蛇軍を攻める事にした。
少数で籠城する軍にとってはこの作戦が最も守りにくい作戦で、総大将鎖蛇は冷や汗をかいた。
これにより、開戦10日目も両軍有力な将の犠牲は無かった。
☯11日目
この日も蛮軍は凡戦を重ねて、大蛇軍を疲弊させることに専念した。
夜襲を仕掛けたり、虚兵を使って大蛇軍を脅したりした。
流石にこの日から至極堅甲だった大蛇軍の守りの陣が徐々に崩れ始めた。
しかし、ここで焦らず趙偉龍はこの日も凡戦を重ねさせた。
☯12日目
丸2日昼夜を問わず微力で大蛇軍を攻め続けた蛮軍は、今日開戦12日の朝より明らかな大蛇軍の戦力低下を肌で感じ取った。
大蛇軍は12日末に大蛇国本国から追加の指令が下される為、精神力で守っていたが、わずかに及ばなかった模様だ。
趙偉龍はこの日を決戦日とした。
趙偉龍はこれまでまばらな布陣で攻撃していたのを、打って変わって整然とした布陣に整えた。
一気に殺気立った蛮軍に大蛇軍も覚悟を決めた。
まず、蛮軍総大将趙偉龍が号令をかけると大蛇軍を包囲した蛮全軍が全方位で攻め立てた。
以下、当時の布陣図である。
まず、趙偉龍が大蛇軍右翼を守っていた蛇江将校を討ち取った。
それと同時に、大蛇軍左翼を守っていた獣女大将軍と南郷政君軍神が交戦を開始した。
勿論疲弊しきった獣女が南郷に敵う筈もなく、かなり押されながら応戦した。
それだけでなく、四方八方から襲い掛かった。
そしてしまいには大蛇軍総大将、鎖蛇軍神のみ生存し、蛮軍に囚われてしまった。これにより、蛮軍は25番領の攻略に成功した。
以下、詳細の戦闘ログです。
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