蛇14年 蛮軍→趙燕国24番領攻略戦
☯時代背景
時代背景のほとんどは20番領攻略戦に類似しているので、こちらの記事を参考にしてほしい。
蛮軍の総大将には趙偉龍大将軍で、今回初めて任命された。本国には相高や南郷政君が軍神に昇格してい入るが、彼らと趙偉龍は蛇元年に登用された同期であった。
しかも更に相高は登用された当初、階級5の一番末端の将校から登りつめた為、趙偉龍にとっては自身の非力さに嘆いていたため、今回は最高の機会が巡ってきたと意気込んでいた。
一方、趙燕軍総大将は袁仁大将軍であった。袁仁また階級15で彼もまた軍神に昇格しようともくろんでいた一人であった。
更に袁仁もまた現在趙燕国で唯一の軍神である、白蓮と同時に戦場を駆け巡っていた為、早急に白蓮と肩を並べたがっていた。
以下、当時の戦の様子である。
☯1日目
先に侵攻した蛮軍を紹介する。
・総大将:趙偉龍大将軍 (15)
・副将:太鳳大将軍 (15)
・第一軍長:趙偉凰将軍 (8)
・第二軍長:壌謄将校 (7)
・第三軍長:太鍾将校 (7)
以下、将校1名
総勢6将で構成される。
次に防衛する趙燕軍を紹介する。
・総大将:袁仁大将軍 (15)
・副将:廉破大将軍 (15)
・第一軍長:韓術大将軍 (11)
・第二軍長:張龍将軍 (9)
・第三軍長:天勝将軍 (9)
以下、将軍6名、将校4名
総勢15将で構成される。
蛮軍総大将の趙偉龍は軍神に昇格する一歩手前の将だが、これまで総大将を務めたことはなかった。
その為、趙燕軍総大将の袁仁も僅かに警戒はしたが、袁仁の好戦的な戦い方は変わらなかった。
蛮軍は錐形に布陣し、少数精鋭で突破する構えを見せ、趙燕軍は広域に布陣した。
やはり趙燕軍の主攻は廉破大将軍が担っていた。
その脇に布陣する張龍は、先年討たれた張淡大将軍の次男である。
蛮軍もこの両者をうまくすり抜け、総大将の袁仁を狙おうとしていた。
しかし、趙燕軍の攻めの強さに少し蛮軍は引けを取った。
以下、当時の布陣図である。
趙偉龍は蛇元年に蛮国の建国に貢献したが、総大将のような大きな功績をあげる機会が無かった為、意気込んでいた。
勿論、かつての筆頭将軍の馬豹や屯諒銀軍に参戦して、袁仁軍とも交戦したこともあり、その攻めの強さは身をもって知っていた。
しかし、袁仁も今回の戦より力任せの作戦から脱しようとしていた。軍神に昇格することを狙っている手前、白蓮の戦い方も積極的に導入していた。
☯2日目
開戦初日は蛮軍副将の太凰が奮闘したが、逆に太凰が集中砲火に合ってしまった。
それでもなんとか趙燕軍と対峙できたと思っていたが、袁仁の目的は別にあった。
蛮軍総大将が前線に出ない為、どこに布陣しているか索敵する為に初日は全面で押し込んだが、この日は違った。
以下、当時の布陣図である。
この日も廉破が先陣を切り、初日と同じように攻めた。
蛮軍も安心してこれに応戦したが、なんと趙燕軍は初日の索敵に成功し、趙偉龍のありかを把握していた。
その為、第三軍を小帯に編成して、第一軍の背後に紛れ込ませ、直接趙偉龍を狙うように命じた。
作戦通り、第一軍長の韓術大将軍が蛮軍の右翼を攻め、これらを引き付けた。
そして、第三軍長の天勝将軍が直接趙偉龍を狙うことに成功し、完全に奇襲に成功した。
しかし、さすがは大将軍の趙偉龍は自ら交戦し、多少負傷したものの、天勝軍を退けた。どうしても天勝では攻撃力が足りなかったのである。軍神に昇格する手前の大将軍の力を少し侮っていた。
以下、当時の布陣図である。
☯3日目
20番領で行われている別の戦場のように、開戦3日目から徐々に討たれる将が出てきた。
しかし、こっちの戦の開戦3日目の戦況は比較的緩やかであった。
開戦2日目の戦果は、天勝が趙偉龍を打ち損じた結果となった。
そこからなんと、趙偉龍は自ら前線に押し込んできた。
以下、当時の布陣図である。
昨日囮になり、蛮軍を打っていた韓術は後退を始めたが、なんと趙偉龍はこれを大いに攻めた。趙偉龍自身もこれまでは前線で奮闘する将であったので、武力にも自信があったのだ。
第一軍軍長を務める韓術もこれには不意をうたれ、兵を多く失っただけでなく自らも負傷して趙燕軍本陣へ撤退した。
これを見ていた天勝だったが、展開が早すぎた為趙偉龍軍の背後から少し追討する程度であった。
更に趙偉龍が韓術を追うと、趙燕軍は本陣にいた第二軍を動かし、趙偉龍軍と交戦させた。
これも急な編成によるものであった為、完全ではないものの、足止めをするには十分であった。
さすがにこれ以上進めなく、趙偉龍は副官の蒙凱宮を殿に後退していった。
しかし、ここで天勝軍も挟撃を加えてきて、少し撤退に苦戦した。
それでもうまくこれを退け、趙偉龍は撤退することに成功したが、後退に時間がかかり、殿を務めていた蒙凱宮に負担がかかった。
その為、趙燕軍第二軍副官の趙牙子将軍により蒙凱宮将軍は討たれてしまった。
☯4日目
他にも趙燕軍末席の将校の犠牲もあったが、結果的にはお互いに一進一退の戦果であった。
しかし、この日蛮軍は完全に守りを捨てた猛攻体制を取った。数の上で不利な戦況で、この体制を取るのには訳があるようだった。
勿論趙燕軍もこれに応戦するように布陣を動かした。
左の戦場では、、。
蛮軍では太鳳大将軍。
その階級15。
趙燕軍では廉破大将軍
その階級も15。
お互い、軍神へ昇格する手前の大将軍同士が相まみえた。
右の戦場では蛮軍総大将の趙偉龍自身が趙燕軍に臨もうとし、これを趙燕軍は三軍で防衛する形となった。
まず左の廉破と太鳳が交戦を開始した。
最初は両者さすがの武威で戦っていたが、太鳳は開戦初日の深手が影響した。
徐々に太鳳が力負けし、廉破は同格の将を討てる好機で、帰還すれば堂々と軍神に昇格できると高揚していた。
しかし、ここで太鳳が後軍に合図を出した。
合図とともに後ろの壌謄が割り込んで、太鳳を逃がした。これには廉破は憤った。
同時に、右では趙偉龍が張龍軍と交戦したが、早急にいなして、後ろの韓術軍を狙った。
そして、見事韓術軍に届き、韓術を守りに出てきた副官の曹尭を趙偉龍が自ら討ち取った。これで開戦3日目に副官を討たれた事に対する事態へ報いる事が出来た。
しかし、ここで総大将の趙偉龍と副将の太鳳までもが瀕死と蛮国に知らせが行き、撤退の指令が下された。
これにより趙燕軍がこれに勝利する形となった。
つまり、趙燕軍は蛮国第4,5将が総大将を務める精鋭軍を同時に退け、更に第4将の厳介大将軍の首を挙げる事が出来た。
以下、今回の戦の詳細戦闘ログである。
☯戦闘ログ
ここから先は
¥ 100
この記事が参加している募集
サポートは本ゲーム運営に有意義に使わせていただきますので、是非とも宜しくお願いいたします。加えて、サポートしていただいた方は参戦抽選で有利に働かせていただきます。