千遍書いて千遍読む📚平野琳太郎
『千読』のコンテンツ。ひながたの親心に思いを馳せる。『稿本天理教教祖伝』の一文をとりあげ行間を味わう。当時の時代背景や風景を想像し、現代におけるひながたの歩み方を探求。「ひながたそばにある。」とは、明治22年11月7日のおさしづのお言葉。
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雑誌編集の経験から学ぶこと。人間関係、生き方。読みやすい文章の書き方。読書法やメモ術など。雑誌編集は、あらゆることを学べる。
地域貢献活動【ほっとかーど】の体験から学んだメソッドをまとめたマガジン。有料なのは鍵をかけるため。ご購入いただかなくて大丈夫です。
超絶に面白かった本たちは別の「絶対読むべき本たち」マガジンにまとめていますが、それに属すほどではないが、けっこう面白かった本たちをまとめたマガジンです。
はじめまして。こんにちは。 平野琳太郎(ひらの りんたろう)と申します。 平成4年(1992年)9月18日生まれ。 広島県三原市に住んでいます。 よろしくお願いいたします。 ここではざっくりと 私の自己紹介と、このnoteの主旨を記しておきます。 1、雑誌『千読』について 私は、 『千遍書いて千遍読む』という雑誌を編集しています。 事の始まりは、新型コロナウイルスの感染拡大。 いろんな活動、行事、イベントが中止となり 自由な時間が増えました。 そこで私は、
「不思議」とは、とても不思議である。 日頃、私たちは「不思議」という言葉をよく使う。 「〇〇は不思議だね」とか「不思議な出来事だった」などと。 ただ、これらの日本語は少しおかしい。 「出来事」 の形容詞に「不思議」と表現しているが、厳密には出来事そのものに不思議が含まれている訳ではない。私たち人間の心が、不思議と感じただけである。 Aという出来事。太郎くんにとっては不思議でも、次郎くんにはそうでない場合もある。つまり、出来事Aが不思議な訳ではないのだ。 どん
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前回からの続き。教祖は、①「信じていない人」に対し、どのように導かれたかを考察して参ります。 ↓ 前回の記事 ご承知の通り、教祖が月日のやしろとなられ最初にされたのは、物凄い「施し」でした。中山家の財産を悉く難儀な人々に与え、貧のどん底の道を歩まれました。 この「施し」や貧に落ち切る意味については、以前の 『千読』 (22~24号) にて一部を考察しましたが、今回は「にをいがけのひながた」という視点から思案してみたいと思います。 ◆ 教祖の施しは、実
にをいがけを思案する上で、他ではなく教祖のひながたから学ばせて頂きたい。 前回の序章でそう述べ、とりわけ「順序」に焦点をあてて、教祖の周囲の方々の信仰度合を三つの段階に分けてみました。 今回より、①「信じていない人」から考察を進めて参ります。 ◆ これは、五十年のひながた前半部分の考察、と言い換えられるかも知れません。 教祖を神様だと「信じていない人」たちに対して、どのように導かれたのか。あるいは信じていないだけでなく、憑き物だとか気の違いだとか罵り、嘲
心から、お道の教えは素晴らしいと思う。 言葉では表現できないほど、教祖の教えは魅力的だ。 だから、まだ知らない人には是非、この御教えを知って貰いたいし、一人でも多くの方に、魅力を実感して頂きたいと思う。 これは、とても美味しいラーメン屋に出会った時、それを誰かに伝えたい! とか、感激する映画を観た時、この喜びを仲間とも共有したい! といった感覚にちょっと似ている。 素晴らしいものは、自分だけの喜びに留めず、多くの人の喜びになった方が良い。単純に、そんな気持ち
教会長の理のお許しを戴いて、はや半年が経ちます(令和5年7月現在)。 まだまだ分からないことだらけ。毎年この時期なりますと、県庁への提出書類、役員名簿や決算書、財産目録等を作成しなければなりませんが、その書き方一つ戸惑っており、勉強したり先生方に聞いたり、苦戦している毎日です。 書類作成の為、教会内の資料を整理していますと、ふと父の青年会時代のねりあいシートが目に留まりました。教会で住み込み青年をしていた頃です。 「毎日どんな仕事をしていますか」 という設問に対し
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長蛇の列ができるお店のラーメンも美味しいけれど、お腹ぺこぺこで食べるカップラーメンも美味しい。 高級なお酒も美味しいけれど、日中必死に働いた後のお風呂上りの発泡酒も、負けないくらい美味い。 人が感じる喜びの大きさは、必ずしも、与えの質とイコールではない。受ける心の状態や求める心の基準によっても大きく変化するのだろう。 ◆ 教祖の年祭活動が始まり、 「ひながたを辿る」ことに重点を当てて歩む旬。なんとか時間を見つけて筆を執り、ひながたに思いを馳せる時間
前回まで、貧に落ちきるひながたの道を「裸になる」というテーマで思案してきました。 そして、物の裸・形の裸だけでなく「心の裸」が重要ではないか。 そんな考察を進めてきました。 では、一体どうすれば「心の裸」に近づけるのか。 私は、ひながたを思案する上で二つのポイントを見出しました。 ① 阿呆になる。 ② 欲を忘れる。 「心の裸」を目指すことは、決して簡単ではありません。 けれども、この二点が手掛かりになるのではないかと考えたのです。 そこで今回は
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