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26.にをいがけのひながた①

 心から、お道の教えは素晴らしいと思う。
 言葉では表現できないほど、教祖の教えは魅力的だ。
 

 だから、まだ知らない人には是非、この御教えを知って貰いたいし、一人でも多くの方に、魅力を実感して頂きたいと思う。

 これは、とても美味しいラーメン屋に出会った時、それを誰かに伝えたい! とか、感激する映画を観た時、この喜びを仲間とも共有したい! といった感覚にちょっと似ている。
 素晴らしいものは、自分だけの喜びに留めず、多くの人の喜びになった方が良い。単純に、そんな気持ちで日々にをいがけに励むのだが、なんとこれが、驚くほど難しいのである(汗)💦。

 良いものなんて、すぐに伝わるだろうと思っていたが然にあらず、ラーメン屋や映画とは少し訳が違うらしい。耳を傾けてくれる人さえ少ないのだ。

 どうすれば、この道の教えを知って頂けるだろうか。
 どうすれば、教えの魅力を共感して頂けるだろうか。
 
 道を歩む上で、私の根底にある永遠の悩みかもしれない。


   

   ◆


 さて、この問題を考えるにあたり、私は以前まで、誤った思案をしていたことに気づかされる。

 なんとか未信の方に、信仰の喜びを伝えたいと努力するが中々上手くいかない。だから、種々学んでみることにしたのだ。

 布教熱心な先生の講話を聞いてみたり、おたすけ名人と言われる先人先生の本を読んでみたり。あるいは、世間の物凄く賢い学者から、科学的根拠に基づいたデータを集めたり、ビジネスの世界から成功者の広告宣伝術を学んでみたり。
 はたまた布教の家に入寮し、自らひたすら実践してみたり……。

 どれも良き学びとなり、今でも大いに役立っていると思うし、これかもそれを続けていくつもりである。

 しかしある時、もっと大切なことに気づかされた。否、もっと大切なことに気づいていないことを自覚したのである。

 それは、にをいがけについても、他ではなく、まずは教祖から学ばなければ、ということである。

 憧れの布教師に話を聞くことも尊いし、文献の渉猟も重要であるが、もっと根本には、教祖のひながたから学ばなければならないではないか。私は最も大切なことをすっ飛ばしていたのである。

 どういうきっかけでそう気づかされたのかは忘れた。けれど、天理教校本科へ入学し教祖伝を勉強している時に、ハッとした瞬間を今でも覚えている。

 教祖が月日のやしろとなられた時、親神様の存在を知る者は誰もいなかった。誰一人、神の話を聞こうとしない状況から教祖は、ぼつぼつと得心させていかれたのだ。

 私たちは、何にも勝るお手本がここにあるではないか。他から学んでいる場合ではない。教祖がどのように人々へ伝え弘めていかれたのかを学び、まずはそれを手本とすることが先決ではないか―。

 こんなこと、自明だと思われるかもしれないが、私は分かっていなかった。私にとっては重要なく気づきだったのである。

 よって、教校本科では教祖のひながたを学ぶことに夢中になった。とりわけ教祖の教導的態度(どのように人々へ教えを得心させていかれたか)を掘り下げることに関心が高まり、それはそのまま卒業論文の題目となった。

 これから数回に亘り、そこで考察してきたことをもとに綴らせて頂きたい。



   ◆

 教祖は、どのように教えを得心させていかれたか。と一口に言っても幅広いので、私は主に「順序」に着目した。

 五十年の道すがらにおいて教祖は、その時々に思い付きのように、教えを説かれた訳ではないと思う。一貫した神意を持ちながらも、段階をもって導かれたのではないか、と仮定したのだ。不規則的ではなく、そこには確かに、順序という配慮があったのではないか―と。

 ところが論を進めるにあたり、非常に困難かつ重要な問題に突き当たる。その順序や段階とは、なにを基準に区分すべきかという問題である。

 五十年の道すがらを、年数で区切るのか。それとも『教祖伝』に出てくる特筆すべき出来事をもとに線を引いていくのか。段階の仕切り方にしばし悩んだのだ。この基準を誤れば、以降の考察は無意味になってしまいかねない。

 しかしその悩みは、有難き先行研究のお陰で一気に解消された。その研究とは、二代真柱様の「『神』『月日』及び『をや』について」 (養徳社) というおふでさき論攷である。


 二代真柱様は、おふでさきの説話者が、「神」「月日」および「をや」と変化している点に着目され、その解釈を試みられた。そして「結語」において、

聴く人間側の都合を思はれて親神が『おふでさき』を執筆されたものと解するのであつて、『神』『月日』及び『をや』の三語を漸次に使つて教理を説かれてあるのも亦、求道者の信仰の進展につれて、解し得られる様に漸次深い味ひのこもつた文字を用ひ出されたと解するのである。

65頁、太字筆者

と記されている。

また、

要言すれば『おふでさき』は、求道者の悟りやすい様に、教祖親しく筆を執られて、順序を立てゝ書かれたものであつて『神』『月日』及び『をや』の名称もその求道者の信仰過程に応じて解し得る様に用ひられたものである。  

66頁、太字筆者


とも、お述べ下さっている。


 教祖は常に、口と筆と行いが一致されている。故に、このおふでさき解釈は、そのままひながたにも当てはめて考えられないだろうか。

 そして二代真柱様の仰せの通り、順序の分け方においても、その基準は年数や出来事ではなく、人間の信仰過程による成人度合ではないかと考えたのである。

 もちろん、当時教祖の周囲におられた方の信仰度合など、厳密に調べることはできない。しかし以下のように、ザッと三つの段階に整理して考えられないだろうか。

① 信じていない人
 教祖を神のやしろと信じていない人に対して。それどころか嘲り罵っていた人たち。

② 信じはじめた人
 教祖を生き神様と信じ始めた人に対して。たすけて貰いたいと願いに来だした人たち。

③ 道を求める人
 教祖を信じ慕う人に対して。道を弘める為、苦難の中もおたすけに奔走される人たち。

 このように分類して考察を進めると、教祖が人間の成人に応じて順序性をもって導かれているご配慮に気づかされる。
 
 もちろん、たすけ一条の親心こそ一貫しているが、その伝え方・導き方には、人々の成人段階によって、少しずつ異なっていることを発見するのだ。

 私はここに、ひながたに込められた親心を拝したのである。

 教祖は、分からない人間に対して得心のいくよう、これほどまでにご配慮下さっている。親が赤子を育てるように、這えば立て、立てば歩めの如く順序をもってお導き下されている。

 二代真柱様のおふでさき研究に基づき、私はひながたに込められた思召をもっともっと掘り起こし、教祖の親心を求めていきたい。

 そして、それは同時に、私たちが未だ教えを知らない人に、どのように伝え弘めていけば良いのかという、にをいがけのひながたを学ぶことにも繋がるだろう。

 次回より
①「信じていない人」に対してから考察を進めて参りたい。

R186.11.1

この人間を、元初まり以来の長の歳月、時により所に応じて成人に相応しく、修理や肥で仕込みつつ、這えば立て立てば歩めと、導き育てて来られたのも親心であり、この度、旬刻限到来して、陽気ぐらしを、もう一度、この世に現わしたい。と、たすけ一条の道を創められたのも、正しくこの子供可愛い一条の親心からである。

『稿本天理教教祖伝』173頁「第八章 親心」


◆参考文献
・澤井勇一「ひながたの論理」『天理教学研究』第17号

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