ドラマ『御上先生』は、単なる学園ものとは一線を画す最高傑作になる予感がします!
日曜劇場ならではの、重厚感のあるドラマ『御上先生』。今クール一番期待していたドラマで、書きたいことが山盛りでついつい長くなってしまいました…。
主演の松坂桃李は俳優としての風格が出てきて、今作でもその圧倒的な存在感を遺憾なく発揮しています。
松坂桃李が演じるのは、東大卒のエリート文科省官僚の御上孝。昨今は、東大生たちの就職先希望としてコンサルタント会社が第1位らしく、官僚になりたがる人は減っているそうですね。
御上のように、文科省に入ったからには「日本の教育を変えてやる!」という熱い想いを抱いている人も少なからずいてほしいと個人的には思います。
でも現実的にはそんなこと簡単に叶うわけもなく、結局は自分の権力と地位を守ることに固執するだけの一官僚として終わる人が多いのではないかと想像します。
御上は、新たに設けられた官僚派遣制度によって私立隣徳学院高校への出向が命じられます。実質は、エリート官僚にくだされた左遷人事。“官僚教師“…これが御上の肩書きです。
でも御上自身は、これをチャンスと捉えたのではないでしょうか。制度を作っている側にいても日本の教育を変えられないなら、現場から声をあげて制度の内側からぶっ壊せばいい…。
御上が初めて教壇に立ったとき「君たち、自分のことエリートだと思ってる?」と、わざと生徒たちを煽るような言葉を投げかけます。エリートという言葉の本当の意味は「神に選ばれた人」だと。
日本人はエリートは高い学歴を持ち、それにふさわしい社会的地位や収入のある人間のことだと思っているけれど、そんなものはエリートなんかじゃない!ただの「上級国民予備軍」だと御上は言い放ちます。
まるで、生徒たちの中に眠るモヤモヤした焦燥感に火をつけていくような感じでした。
私立隣徳学院はお金持ちの子どもが多く、いわゆるエリート校。令和という難しい時代を生きる18歳の高校生たちは、自分たちの置かれた立場を十分理解していそうな頭のいい子たち揃い。御上の挑発に乗るほど単純ではないけれど、それぞれの心に響いたものは確かにありそうでした。
以前神崎という報道部の生徒が学校の先生たちの不倫を暴く学校新聞記事を書き、その先生たちが学校を辞めたことがありました。
自分の父親も記者をやっている神崎は「自分のペンで日本の報道システムを変える」という、高い理想があるようです。それは危険でもあり、驕りでもあるんですが…。
そんな神崎の次なるターゲットは、御上。ある民間天下りの不正なあっせんに手を貸したのが御上で、そのせいで隣徳学院に出向させられたという内容の記事を書きました。これは″文科省の闇″だと。
御上はそんな神崎に、自分のことを取材もしない、確認もしないでこんなゴシップ記事を書くとは…と一刀両断。官僚自ら何でも答えるという機会を「くだらない」という言葉で断ち切るのはもったいないと…。
御上は身に覚えのない罪を誰かに着せられたと言い、なぜそれを簡単に受け入れたのかと神崎に問われると「なにも成し遂げないまま文科省を手放すわけにはいかない」と御上の信念を口にしました。
御上は、その後でなぜ不倫をした女性教師の方が辞めさせられて、男性教師の方は系列の学習塾教師として働けているのか?と生徒たちに疑問を投げかけます。
【パーソナルイズポリティカル=個人的なことは政治的なこと】
このドラマの大きなキーワードであるこの言葉を引用して、御上はこの言葉を知っているならなぜゴシップを垂れ流して想像力を使わなかったのか?と神崎を非難します。
御上の言葉は神崎にぐさりと刺さったようでした。御上はもしも“本当の闇“を見る気があるなら、話をしようと神崎を誘います。
御上は神崎に、不倫で学校を辞めた女性教師・冴島先生の今の写真を見せます。騒動の後で夫と離婚し、今はコンビニで働いているようです。
そこからの御上と神崎の会話。
御上は神崎の思い上がった考え方に対して、メスを入れたかったんでしょうか。ここで、踏みとどまらせたかったんでしょうか。
御上の過去にはどうやら神崎に似ている青年(兄)?がいて、その青年の回想シーンがたびたび出てきます。この青年が、御上の考え方に多大な影響を与えていそうですね。
第2話では、御上に言われてから冴島先生のことが気にかかる神崎の姿が描かれました。冴島先生は最初門前払いでしたが、神崎に「あなたの記事は自分の人生を変えたけれど、責任感じられても困る。もしこれから何があっても、あなたのせいじゃないから。もう絶対に来てはだめよ」と言います。
この冴島先生の言葉の意味を、すぐ後に神崎は知ることになるのですが…。
隣徳学園と国家公務員総合職試験での殺人事件の関係がマスコミにかぎつけられ、学校は大騒ぎ。実は逮捕された容疑者は、冴島先生の子どもでした。
和久井の提案で、神崎の学校新聞が今回の殺人事件の発端ならば、クラスで話をした方がいいということになりました。
侃侃諤諤生徒たちが意見を出し合い、本音の話し合いが進みました。途中で御上が「ハゲワシと少女」という、報道における究極の選択として必ず出てくる有名な写真について語り出しました。
長い対戦で貧困にあえいでいたスーダンで撮られたもので、大きな賞をとったけれど同時に激しい批判にさらされることに。シャッターを押す前にこの子どもを助けなければいけなかったのではないか?
この写真の後日談は、この子どもは食糧センターで保護されて生き延び、批判にさらされたカメラマンは精神を病んで自ら死を選んだ…。
なぜ辞めたのは女性教師で男性教師ではなかったのか?吉岡里帆演じる副担任の是枝先生が担任を下ろされたのも同じ理由?
「いけにえの羊なら、下等な生き物がいいだろうと選ばれただけ」
まだまだ男性優位の考え方が根強い日本に対する、御上の想いがうかがえました。
「ケビン・カーターがシャッターを押さなければ、誰にも届かなかった貧困があった。だからシャッターを押すべきだと俺は信じて…。でも、あのときの俺は冴島先生を喰おうとするハゲワシの正体を見ようとしなかった…。だから、これからでも俺は絶対それを捕まえる」
自分の行動でバタフライエフェクトが起きていることを痛感した神崎が、これから少しずつ変化していく予感がしました。
一方で御上は、殺人事件の容疑者・真山弓弦に会いに行きます。てっきり青年だと思っていたら、女性でした。この時点で、自分の勝手な思い込みにハッとさせられました。
真山弓弦の行為は、あまりにも安直だったかもしれません。でも、人間の中に眠る“悪“は誰もが持ちうるもので、何かのきっかけでそれはいとも簡単に溢れ出てしまうものなのかもしれないという恐怖を覚えました。
このドラマは、御上のセリフから学べることがたくさんあります。名言だらけなので、思わずメモしたくなります。あえて「御上語録」と呼ばせてください。
官僚の世界は謎めいていて、正直分からないことだらけです。そういう意味では、このドラマでいろいろ勉強させてもらっています。
御上の同僚、岡田将生演じる槙野、及川光博演じる塚田。この二人の動きからも目が離せません。槙野と御上は今のところ敵対していますが、最後には手を取り合う姿が描かれるような気がします。
学校という教育現場にいる御上が、どんな風に腐った権力に生徒と共に闘っていくのか?ここからの展開が非常に楽しみです。
「御上語録」もどんどんメモしていきたいと思っています。
ドラマ『御上先生』は学校が舞台ではあるけれど、単なる学園ものとは一線を画す最高傑作になりそうな予感がします。