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映画『PERFECT DAYS』はすべての欲をそぎ落とした先に見える人間の幸せを描いた見事な作品でした
観終わってからすぐに、頭の中でその余韻と共にあれこれと考えてしまいたくなった映画『PERFECT DAYS』。
映画の公式サイトでは、役所広司演じる主人公・平山のまったく無駄のない毎日のルーティンが文字で延々と流れてきます。
近所の老婆が竹ぼうきで掃除している音で目覚め、布団をたたみ、歯を磨いて髭をそり、植木に水やりをする。
青い清掃員のユニフォームに着替え、玄関脇の棚に並んだ持ち物を迷いなくいつもの順番でポケットに入れていく。
玄関を出て空を見上げて、少し微笑む。
駐車場の古い自販機で缶コーヒーを買う。
車に乗り込み、その日のカセットテープを選ぶ。
大通りでカセットテープを押し込んで、お気に入りの音楽を聴きながら仕事先のトイレに向かう。
トイレ掃除の仕事を終えて、自転車に乗って銭湯へ行く。
その後行きつけの居酒屋に行くと、チューハイとつまみが頼まなくても出てくる。
家に帰り、読みかけの本を読み、眠くなれば読書灯を消して眠る。
映画の序盤はその静かで淡々としたルーティンをこなしながら生きている平山の日常が、セリフもなくただ描かれていきます。
観始めた頃はこれがずっと続くのかと少々戸惑いを感じたものの、そこにこそこの映画の描きたい世界観が集約されているということに気づいてからは、なんだか楽しく思えてきたから不思議です。
同じことの繰り返しの日々に見えても”完全に同じ日”は一日としてなくて、平山は毎日を”新しい日”として生きていました。
その象徴が、木々が作る木漏れ日。その木漏れ日の写真をフィルムカメラで撮影するのがまた、平山のルーティンでもありました。一瞬たりとも同じ瞬間がない木漏れ日。
一秒一秒”光と影のゆらめき”が変化していく様は、まさに平山の人生そのもの。
平山は寡黙ではあるけれど決して”人間嫌い”というわけではなく、むしろ”人間が好き”だと感じました。淡々とした毎日の中で誰かと関わったことがあったとき、平山は必ず微笑んでいました。
その微笑みだけで平山の心情が手に取るように伝わってくる役所広司という俳優の存在感は、まさに圧巻でした。ビム・ベンダース監督がインタビューで「役所広司がいて、私たちは幸運だ」と称賛していましたが、平山という役どころを演じ切れるのは名優・役所広司しかいないと確かに感じました。
平山の淡々とした日々に変化が訪れるのは、他者が予想外にそこに踏み込んできたとき…。
平山の”完璧で美しい日々”がかき乱される出来事が起きたとしても、平山はそれを寛大に受け止める優しい心根の持ち主でした。誰かを見つめる平山のまなざしは、常に穏やかで優しかったのが印象的でした。
ある日妹の子供、ニコが家出をして突然平山の元に訪れてきた…。ここからの話の流れで平山は家族とは疎遠になっていること、実は裕福な家柄だったことがうかがえました。
謎多き平山という人間が形成されてきたバックグラウンドが、初めてここで明かされたわけです。
ニコを迎えに来た妹に「本当にトイレ掃除をやってるの?」と聞かれ、うなずいた平山の胸中を思うと複雑でした。
父親が認知症になっていて、昔とは違うから会いに行ってあげてほしい…と妹が言いました。このセリフ一つで平山という人間が抱える”心の闇”が静かに浮かび上がってきました。
妹を抱きしめて二人を見送った後に平山の流した涙の意味は、実にさまざまなものが含まれていると感じました。そこにはもしかしたら”後悔”の二文字もあったかもしれません。
平山が眠るシーンのたびに、モノクロの木漏れ日の様子と共に平山の夢が幻想的に描かれていて、その一つ一つをじっくり観直してみたら平山のことがもっと深く理解できるような気がしました。
すべてを捨てて今の生活を選んだ平山。トイレ掃除は「マイナスをゼロにする修行のような作業」と公式サイトに書いてありましたが、もしかしたら平山は今の生き方にたどり着くまでの自分の人生を「マイナス」と捉えていて、毎日トイレ掃除をすることで「ゼロにリセット」できると考えたのではないでしょうか?なんとなく私にはそんな風に思えました。
ニコと自転車で出かけたときに「この川の先は海につながっているの?一緒に行こうよ」と言われた平山が「今度」と答えました。
「今度は今度、今は今」とニコとおどけて歌ってみせた平山ですが、今の一瞬一瞬を刹那的に生きるのが”平山流”なんだと感じました。「先のことは誰にも分からない。けれど、今この瞬間を自分らしく生きる」と、そんな気がしたんです。
人間は煩悩に支配された生き物で、あれもほしいこれもほしいと、つい自分の欲求を満たしたくなりがちです。さらに常に他者との関係性の中で生きなければならず、わずらわしさとの闘いの繰り返しです。
平山の”生きざま”はそういったものをすべてそぎ落とした先にあって、清々しく潔く、それこそが平山にとっての『PERFECT DAYS』なんですよね。
でもそこに至るまでの過程は壮絶なものがあったであろうことは想像にかたく、そういったことすべてを乗り越えて貫こうと決めた道だからこそ、日々”完璧”を追い求めながら生き続けていられるのだと感じました。
ラストシーン。仕事先に向かう車の中で「Feeling Good」を聴き、微笑みながら涙を浮かべている平山の顔を見ていたら、平山にとって今その瞬間も”完璧な一日”を生きている幸せに満ち溢れているように思えました。
こういう生き方ができたら確かに幸せなのかもしれません。でも誰でも簡単にはできない生き方だからこそ、尊く美しく感じられるのだと思いました。
この映画は、観た人それぞれに捉え方が千差万別だと思います。今回書いたのはあくまでも私個人の感想です。今はとにかく、いろんな人たちとこの映画について話をしてみたい欲求にかられています。
残念だったのはパンフレットが売り切れで買えなかったことです。すでに高値がつけられて転売されているようですが、増刷されることを期待したいところです。
渋谷のアートな公衆トイレにも非常に興味を持ちました。そこで働いているトレイ清掃員の方を見かけたら「お疲れ様です」と思わず声をかけてしまいそうです。
映画『PERFECT DAYS』はぜひ映画館で観てください。大スクリーンで観るからこその意味が、必ずそこにはありますから!また一つ素晴らしい映画に出逢えました。
長い文章最後まで読んでくださり、ありがとうございました。