ドラマ『舟を編む~私、辞書つくります~』映画とはひと味違う世界観が楽しめそうです!
映画『舟を編む』を観たあと、もしも生まれ変われるとしたら”辞書の編纂者”になりたいと真剣に思ったことを懐かしく思い出しました。
それくらいこの映画は私自身の”言葉”に対しての向き合い方を、180度ガラッと変えてくれた大切な作品でした。
もともと大学も文学部日本文学科なんてところを卒業したわけなので、日本語そのものに対しての興味は深かった方だと思います。
でも在学中音楽にどんどん傾倒してしまい、今思い返せばもっとどっぷり日本語と向き合うことができたのでは?とたまに後悔してみたりもします。
blogやFacebookの時にはここまで深く考えませんでしたが、noteを書き初めてからは皆さん「書くこと」に特別な想いを抱いている方ばかりなので、自分が使う”言葉”に対してはかなり慎重に丁寧に接するようになった気がします。
今回のドラマ『舟を編む~私、辞書つくります~』は、ファッション誌の編集部から辞書編集部に異動になった池田エライザ演じる岸辺みどりの視点から描かれることになるようなので、映画とはひと味違う世界観が観られそうでさらに楽しみになりました。
辞書そのもの、ましてや辞書づくりになんてまったく興味がなかったみどり。
「(辞書は)言葉と説明が並んでいるだけですよね?」
「辞書なんて持ってないし、ほしいとも思ったことないし。だから、作りたいなんて思ったことないです。辞書なんて」
みどりの歓迎会で、こんな風に発言したみどりに対してバイトの天童くんが怒って帰ってしまった…。その後の柴田恭兵演じる日本語学者・松本先生、野田洋次郎演じる上司・馬締との一連の会話が、”言葉″への″辞書″への愛が溢れていてとても素敵でした。
物がすべて収まるところに収まっている…そのみどりの何気ない才能。限られた文字数で、何かを説明することが必要な辞書。右を説明するのに「→」を書いたみどり。そのみどりの柔軟さが辞書という舟を強くしてくれるという松本先生の言葉。みどりがどんな風に変化していくのか、これからの展開に興味津々です。
みどりがよく使ってきた「なんて」という言葉。辞書を引いてみると「相手のことを軽視している」という意味があることに初めて気づくみどり。
彼氏からも距離を置かれてしまい、自分の使う”言葉”の選び方と初めて真剣に向き合うことに…。
これからみどりは「用例採集」という辞書に載せるべき言葉やその使用例を集める作業をしたりする中で、これまで自分でも気づかなかった才能が開花していくことでしょう。
たった一冊の辞書を作るには、十数年におよぶ時間と手間がかかります。根気のいる作業の連続で、とてつもない情熱がなければ務まらない仕事だと思います。
このドラマを通して、″もしも生まれ変われるとしたら″の想いがまたよみがえってきそうな私がいます。楽しみなドラマがまた一つ増えました。