見出し画像

映画『あんのこと』につきつけられた永遠のクエスチョン

上映されている映画館が限られていて、上映時間が自分の仕事のスケジュールとはなかなかかみ合わなかったこともあり、映画館で観ることはあきらめた映画『あんのこと』。

幸いAmazonプライムで観られるようになったということで、早速観てみました。

たいていの映画は同じケースの場合、「やっぱり大きなスクリーンで観れば良かった」という後悔をしがちです。でもこの映画に関しては、これで良かった…。もし映画館の大きなスクリーンで観たら、心に受けた衝撃を自分一人ではとても抱えきれなかったと感じるので。

この映画が実話に基づいた作品であることは分かっていながらも、これが実話であることに対してのやり場のない複雑な感情をもて余している自分がまだいます。

ごみ屋敷に住み、幼い頃から毒母に暴力を振るわれ、十代半ばから売春を強要され…その流れで覚醒剤にまで手を出していた主人公のあん。

ここまで過酷な人生を送ってきた子が実在していたかと思うと、自分自身がいかにぬるま湯の中で育ってきたのかを改めて痛感させられました。

そんなあんに手を差し伸べてくれて、初めて信用することができた大人があんを覚醒剤使用容疑で逮捕した刑事・多々羅でした。多々羅の無償の優しさ(と信じたい)は、あんにとっての救いだったと思います。

あん役の河合優実の演技はもちろん、毒母に徹しきった河井青葉。刑事・多々羅役の佐藤二朗…出演された俳優陣の演技に心をわしづかみにされました。多々羅を密かに追う週刊誌記者・桐野役の稲垣吾郎も、友情と仕事との狭間で揺れ動く難しい役どころを、静かな演技で魅せてくれました。

河合優実は実にさまざまな表情で、あんの心情を見事に体現していました。自分の置かれている環境が徐々に変わっていくにつれて、あんの表情が穏やかに柔らかく変化していくその様を自然に演じきる河合優実の演技力には脱帽でした。

あんがぎこちなく微笑むシーンが特に印象に残っています。

毒母の元からシェルターに逃げ込んだとき、キレイな部屋と窓からの風景を見て「すごい…」とつぶやいたあん。あの荒んだ狭い部屋から初めて外の世界に触れたような、そんな喜びの気持ちに溢れていました。

多々羅が関わる薬物更生者の自助グループ「サルベージ」の人たちを前に、これまでの自分の人生について語るあんのシーンも心に残っています。

万引き、売り、覚醒剤…淡々と壮絶な人生を振り返るあんの姿に涙が流れましたが、語り終えたあんへのみんなからの温かい拍手に照れ笑いする姿は、きっと等身大のあんでした。

もう一度勉強をしたいからと、夜間学校に通い出したあんがみんなと楽しそうに給食を食べるシーンも、微笑ましくてホッとできました。

対して毒母があんのことを「ママ、ママ」と呼ぶ声には虫酸が走りました。我が子に体を売らせて「一家の大黒柱のあなたをいつも頼りにしているのよ」と言わんばかりのその呼び方に、毒母の腐りきった心根が感じられてやりきれませんでした。

毒母があんの働く介護施設に乗り込んできて、最後に「母さん死んだらお前のせいだからな…」と言い残して去って行ったのは、あんが祖母のことは見捨てられないことを分かっていての”あえての”言葉だったのかもしれないと感じました。まさに、鬼ですね。

やっと「はじめて、生きよう、と思った」、未来への希望を感じられようになったあんの居場所を奪ったのは、あのコロナでした。

介護施設の非正規職員は当分休むように言われ、学校はお休みになり…。あんが他人とのつながりをようやく手に入れられた矢先のコロナ。

コロナ禍において緊急事態宣言が出て「STAY HOME」になったとき…家の中で家族とずっと一緒にいるしかなかったあの特異な状況下。唯一傍に居るのが本来は家族であるはずなのに、その心許せる家族すらいなかったあん。

実のところシェルターの隣人に無理矢理押しつけられた子供・ハヤトとの時間は、唯一”人の温もり”を感じることのできた貴重なものだったのかもしれません。ハヤトのお陰で″孤独″ではなくなったあんにとっては、母性にも目覚め、愛情を注ぐ対象を得られた幸せな時間だったのではないかと思います。

そんなあんを執念で見つけ出し、祖母がコロナになったと嘘をついてまで家に連れ戻した毒母には憎しみの気持ちしか沸きませんでした。

あのとき、家に戻りさえしなければ…

誰もが感じたことでしょう。祖母がコロナになったかも?はあんにとっては殺し文句ですからね。嘘だと気づいたときのあんの絶望を思うと、言葉になりませんでした。

ハヤトを殺すと毒母に脅され、結局また売春の道を選ばざるを得なかったあん。泣き声がうるさいからと、ハヤトを勝手に児童相談所へ追いやった毒母。

心の拠り所になっていたハヤトを失ったあんは包丁を手に取ったものの、祖母の声と「お前、親刺せんのか?やれるもんなら、やりな」のひと言で、こんな毒母でも血のつながった親は殺せない…と真面目なあんは思ってしまったんでしょう。

とぼとぼと繁華街を歩きながらシェルターへ戻るあんは、もはや生気すら感じられませんでした。

薬をやらなかった日に○をつけ続けてきた日記帳にはもう○をつけられない…再び覚醒剤を打ってしまった自分自身に絶望し、過呼吸になるあん…。

大切な日記帳を燃やしかけたものの、火を消してあるページだけを切り取りました。そのページを抱き締めて、あんは自ら命を絶ちました。あのとき、ブルーインパルスをどんな想いで眺めていたんでしょう。

この結末を最初から分かっていながらも、ただひたすら胸が痛くて痛くて…。

多々羅が「サルベージ」の参加者の女性に、性的暴行を働いている事実を知ったときのあんのショックは計り知れなかったと思います。でも実話ではあんの死の後に刑事が逮捕されたそうなので、多々羅の逮捕があんの自殺の直接の原因ではなかったんだろうと思います。

多々羅が桐野に言った「彼女が死んだのは、それまで積み上げてきたものを自分で壊してしまった自責の念だと思います。彼女は薬を止められていたんです」この言葉が原因の一つだったのかもしれません。いや、そう思いたいだけなのかもしれません。

あのとき手を差し伸べていれば…
あのときこうしてあげていれば…

多々羅も桐野も、あんに関わったすべての人があんが亡くなってからこんなことを感じたと思います。

公式ホームページに「彼女はきっと、あなたのそばにいた」という言葉があります。

あんのような人間は自分が気づいていないだけで、本当はごく身近にきっと存在していると思います。だからといって「自分になにができるのか?」というクエスチョンの答えが簡単に出るわけでもなく、なにを言っても単なる”きれいごと”のようになってしまいそうです。

それでももし気づいてあげられたなら、なにかできることがあると信じたい!

この映画はひたすら″悲劇″だと感じました。それでもあんという人間が確かにこの世の中に生きていたという証を残したいという、入江監督の想いや情熱が伝わってくるまさに”叫び”のような映画でした。出逢えて良かったと心から感じています。

河合優実の底知れぬ才能は、やっぱりどこか樹木希林とダブるんですよね…。彼女の今後の活躍にも、さらに期待が高まりました。

長い文章、最後まで読んでくださりありがとうございました。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?