ドラマ『フェルマーの料理』はパーツがいろいろかみ合ってきて、終盤に向けてますます面白くなってきた感じがしています
今クールのドラマ、結局なんだかんだかなりの本数観ています。『フェルマーの料理』は「数学的思考×料理」というコンセプトがまず面白いと感じたし、始まる前から楽しみにしていました。単に志尊淳くんが大好きというのもありますが(笑)。
それなりにずっと楽しく観てはきたのですが、いろいろなパーツが散りばめられすぎていて岳の”シェフとしての成長物語”的な側面が少しぼやけ気味なのがなんとなくもったいない感じがしていました。それと謎が多すぎ(笑)。
特に上半身裸の高橋光臣演じる淡島さんは一体何者?海はどこか体調が悪いの?”味覚障害”になりつつあるの?給仕長の宮澤エマ演じる福田寧々は只者ではない?などなど…。
第4話のレストランレビュアー・綿貫哲平に最高評価を得るために岳が前菜を任され蘭菜がメインの肉料理を任されて…という辺りから少しずつドラマ全体が動き始めて、第5話で蘭菜のお母さんと海との本当の関係性が明らかになり、第6話のホテルのパーティー料理監修のコンペの回で終盤に向けて大きくギアチェンジされた感じがしました。
「K」のすべてのシェフたちがそれぞれアイデアをひねり出して臨んだコンペでの海の容赦ないコメントからすると”味覚障害”ではないのかなー?と思いつつ、海ほどのシェフならば彼らの作り上げる料理の味の想像がついてしまうのかも…とかいろんなことを考えてしまいました。
岳が作り上げた「前菜・スープ・メイン」の3品は素晴らしいアイデアでしたが、スーシェフ・布袋の昔のスペシャリテをアレンジしたことで岳がすでに布袋を超えてしまったことの証明になってしまったという皮肉がなんとも切なかったですね。
スーシェフ・布袋に向けた海の「考えることをやめた時にお前は止まったんだ。感じるな!考えろ!シェフなら…」という言葉はズシンと重たかったですね。これは料理の世界だけではなく、例えば音楽の世界でもきっとそうだし、どの世界にも共通して言えることなのかもしれません。現状に甘んじて上を目指すことをやめてしまえば、落ちていくだけですからね。「本物のシェフに戻れ」という海の言葉を布袋はどう受け止めたんでしょうか。
時々出てくる2024年の「K」(というお店の名前のままかどうかは分かりませんが)でのオーナーシェフになった岳の姿は狂気に満ちていて、どういう経緯でそこに至るのかがここから終盤のカギになっていくと思われます。そこに海はいないし、シェフたちのセリフ「俺たちが岳を選んだんだ」という言葉が気になります。
ここにきて、ますます展開が楽しみになってきた『フェルマーの料理』、最終回までしかと見届けたいと思います。
このドラマ、音楽がまた素晴らしいと思っています。ドラマの世界観をより盛り立ててくれる感じがしています。メインテーマのあの曲が耳について離れません。久しぶりにサントラを購入したくなっています。