武田百合子『遊覧日記』その2
このノートも始めて二か月が経った。何とはなしにえいやっと始めたのだけど、なんとかこうとか週二回くらいのペースで更新できている。これも『スキ』をつけてくれる人、このページを閲覧してくれる人がいて、えっまじで? 見てくれる人がいるんだ! と実感できているおかげだと思う。ありがとうございます!
さて今回は最初に戻ってというか、ほったらかしてあった『遊覧日記』の二回目だ。一回目を読んでない方はこちら。この本を紹介しようと思ったことがこのnoteを書くきっかけだった。前回は作者がビアガーデンから不忍池を見下ろして描写しているところを引用した。今回は隅田川にお花見にでかけたときの情景。川べりの土手道に植えられた桜の下には屋台が並び、その屋台の間を縫うようにビニールシートが敷かれ、男も女も老いも若きも歌い騒ぎ飲んで食べている。作者と娘の花さん(本の中ではHとなっている)も堤防のコンクリートの上に持参したものを並べ宴会を始める。引用箇所は宴会をしながら周囲の風景を作者が描写したもの。文庫本70ページ
眼に見えて対岸から風が吹きわたってくる。土手の桜の花びらが先ず震え、枝の先が左右に揺れ、一拍遅れてわっと花吹雪が起る。そのあとは風がなくても滑るように花が散って止まない。この花は、そういう具合になるように花びらがくっついているのだ。
太い首を振って歌う背中に、放歌高吟のあげく前後左右がわからなくなりシンとしてしまった背中に、放り出してあるゴムホースのたぐまった上に散る。ガスボンベやポリバケツの蓋の上にも、棄ててある小さな植木鉢の上にも散る。隣りの桜の花の上にも散る。
蝙蝠傘と傘のカバーを持ち、すごい金時計と金指輪をはめて寝倒れている眼がねの男。
いよいよ入日。対岸の桜が青ずんでくる。水上があわただしくなってくる。海から釣船がまっしぐら、全速力をあげて次々と戻ってくる。菱形の皺の寄った膠色の川面を、舳先がめくって作っていった波が、むくむくと押してきて、堤防の下に転がっている水苔と貝殻の沢山に付着した枕ほどの大きさの石を濡らす。
すたすたと手をふって言問橋を渡って行く背広の男。もう灯りをつけて満員の客をのせたバス。船尾に小旗をなびかせた水上警察船が、いまにも沈みそうなぐらい舳先を起てて上流へ向う。水門の方角から、白鉢巻の船頭が乗った屋形船が、ゆっくりと川面を斜めに横切って出てくる。そして舳先を上流へ向けると速力が増す。一羽だけ居残っていた鴎が、いつのまにかいない。
ちょっと長めに引用した。やっぱり素晴らしいですね。ところどころ非常に目がいいところ(一拍遅れてわっと花吹雪が起る。、とか、菱形の皺の寄った膠色の川面、とか)をみせながらも、全体としては緩やかに柔らかく描写されていて、なおかつリズムのある文章で、読んでいるとイメージが連鎖していき、どんどん気持ちがほぐされるというか、解放されていく感じがする。
それは多分、主語を省いた文であったり(太い首を振って歌う背中に、なにが散るのか書かない)、体言止めであったり(眼がねの男。とか、いよいよ入日。とか、背広の男。とか)、ちょっとユーモラスな感じがする副詞(むくむく、とか、すたすた、とか)の活用だったり、一文が短い(接続助詞を使って繋げない)ことであったり、文体研究ということでいうとそういう点が効いていて、このなんとも素朴でイメージ豊かで、自我を感じさせないというか、押しつけがましいところがない文章になっているからかもしれない。もちろん武田さんはそんなこと考えて書いていないだろう。天然自然でやっているにちがいないところが底知れないというか、まあすごいですね。
といったところで今回は終わり。次回は多分また海外の小説を紹介します。
ではまた!