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ウィリアム・フォークナー『死の床に横たわりて』

 フォークナーといえば? 響きと怒り? 八月の光? アブサロム、アブサロム? どれもちょっと太いし、難しいというイメージはないだろうか? 僕にはある。いきなり『響きと怒り』を読み始めて何度挫折したことか(最初の方とか後ろの解説がなければ何が起こっているのかすらわからない! いや、読んでも分からない! そして四苦八苦してなんとか読み終わったのはもうずいぶん前。今では、もうどんな感じだったかすら覚えていない! ので、そのうちまた読みます。はい)。そこで、はじめてのフォークナーとして僕がお勧めしたいのが、今回紹介する『死の床に横たわりて』。この小説は面白い。上にあげた小説のようにここは今は理解できないけど、二回目には理解できるはず(そしてたいてい二度目はない)と思って読み進めるような箇所は(そんなに)ない。なのに今Amazonで見ると中古だけで、3450円(講談社文芸文庫版)、送料をいれると3800円! こういう大切な本がどんどん手に入りにくくなっていますね。むう。
 理解につまるところはないと書いたが、そこはフォークナー、一筋縄ではいかない。この小説は語り部が二十人くらいでてくる。大抵の小説では物語の語り部は一人だ。それは一人称であろうと三人称であろうと変わりない。ときどき前に紹介したジョセフ・コンラッド(『青春』)とか、W・G・ゼーバルト(『アウステルリッツ』)とか、あるいは柴崎友香(『エブリバディ・ラブズ・サンシャイン』)みたいにトリッキーなことをして、全体の語り部とは別に、小説内に第二、第三の語り部が登場するものもあるが、それは稀だし、そういうものにしても全体の語り部は一人だ。いや、語り部が完全に入れ替わってしまう小説もあるにはあるが、まあ小説内で一回切り替わるくらいが関の山だ。それが二十人なんだから、それは大抵の小説とは全然、枠組みが違う。
 と書いてすぐに滝口悠生の小説を思いついた。あれは沢山語り部がでてくる。たとえば『高架線』。文頭に『新井田千一です。』とか『七見歩です。』とか、一言挨拶があって、その後の文はその人が語り部ということになっている。そして語り部が十人くらいいる。
 『死の床に横たわりて』も同じ形式だ。ぽんぽん語り部が入れ替わる。だが入れ替わる頻度は『高架線』よりずっと多い。短いときは二行とかで交代ということもある。どうしてそんなことができるのか? 今の語り部が誰なのか迷ってしまわないのか? 大丈夫。ページの下に、ダールとかジュエルとか語り部の名前が書いてある。それが最初の内はちょっと気になる(形式が前にですぎている)。一々設定に引き戻されて没入感が損なわれる感じ(映画ならこんなことはないだろう。と思って、ググったら映画版も2013年に公開されたらしい)。だがすぐに慣れる。それにこの小説では多くの場面で登場人物が同じ場所にいるから、ぽんぽん語り部が変わることで、どういう場面なのか迷うことは少ない。いや、同じ情景が人物を変えて語られることで、語り部一人の場合とは全く異なる現実が浮かび上がってきて、それが他の小説とは異なるリアルさ、生々しさを読者に抱かせる(ラストの方にはそのことを利用した企みもあって、クライマックスを演出する)。
 しっかし同じ場所で彼らはそんな大人数でなにをやっているのか?
 遺体運びだ。一家総出で母親アディーを埋葬するため棺を運ぶというのが、この小説の筋書きだ。どこに? 母親の生まれ故郷のジェファソンに。なんで? そうして欲しいと母親が言ったから。ただそれだけのために一家は棺を運ぶ。その旅路が過酷なのだが、この一家は旅を諦めるなんてことは思わない。ちょっと危ないというか、いかれてるというか、一家はどこまでも決めたことを決めた通りに行おうとする。
 前置きが長くなったが、まずはこの棺を父親と長男のキャッシュが作る場面を引用する。講談社文庫、84ページ、語り部は次男のダール

 空気は硫黄の匂いがする。大気のとらえ難い表面に、二人の影が、壁にうつる影のように浮かび、まるで音のように、遠くへ落ちてはいかずに、一瞬凝固して、じかに、じっと止まっている。キャッシュは弱い光のほうへ全身を向けて仕事をつづけ出す。片方の腿と、棒のように細い片腕をはりつめ、はすに光のほうを向いた顔は、疲れを知らぬ肘の上に、じっと動かずうっとりとして、しかも力強さをおびている。低くたれた幕雲(雲への反射による幕状の稲光)が、浅くまどろんだように見え、幕雲を背にして浮かび上がった木々は、不動のまま、不意に若々しい活気をおびたようにふくれ上がり、小枝まで一本あまさず、逆立ったかのようだ。
 雨がふり出す。最初の、険しいまばらな早い雨粒が木の葉をくぐり、地面を横ざまにかすめ、耐えがたい不安から解き放たれたような、長い吐息をもらす。大きな散弾みたいに大粒で、銃から発射されたばかりみたいに熱い。カンテラをかすめて、じゅうっと意地悪な音をたてる。親父が顔をあげると、しまりない口許の、歯ぐきの底に湿った黒い噛み煙草がはりついている。しまりのない顔付きで茫然とした親父は、まるで時間を超越したところから、この駄目おしの災難を眺めとるみたいだ。キャッシュは一度空を見て、それからカンテラを見る。鋸はその間も、たじろぐことなく、ピストンのように動きつづける歯の光もとぎれない。「ランタンに何かかぶせてくれ」奴はいう。
 親父は家のほうに行く。雷も鳴らず、何の予告もなしに、急に雨が激しくなる。親父はその勢いに押されたようにポーチにすべりこみ、キャッシュは一瞬にずぶ濡れになる。それでも鋸の動きは、たじろがない。まるで鋸と腕とは、雨なぞ心の幻影にすぎぬと悠々と信じこんで、動いているかのようだ。それから彼は鋸を下において、カンテラのところへ行き、その上に屈みこんで、からだでかばっている。シャツも何もかも、不意に裏返しにされたみたいに、濡れたシャツごしにやせて筋だった背中の線が浮き上がって見えた。

 どうですか、雨がざあざあ降る中、そんなこと知ったこっちゃねぇとばかりに棺をつくりつづけるキャッシュ。やばい感じがただよってますね。この棺を馬車にのせて一家はジェファソンを目指す。馬車をひくのは二匹のらば。ここらへんは聖書の世界って感じ。
 道中に川があり、渡らなければならないのだが、増水していて橋が流されてしまっている。そこでどうするか? 渡るのを諦めるなんて選択肢はこの一家にはない。引用するのは棺がのった馬車ごと川をつっきろうとする場面。ジュエルという三男がロープを自分の馬の鞍の前輪に巻き付ける。もう一方の端は馬車の座席の支柱に巻き付けられる。馬に馬車をひかせて渡ろうというのだ。語り部は次男のダール、157ページから。

 ジュエルは馬に向かってどなる。馬を丸ごと膝にはさんで持ち上げたように見えた。奴はちょうど渡り場の上にいて、馬も何か足掛かりがあったらしい。さっと飛び上がり、水からぬけ出た。濡れた半身を光らせながら、立てつづけに何度か突進した。うそみたいな早さで進んで。そこで、ジュエルにもとうとうロープがはずれたのが判った。奴がふり向きながら手綱をたぐり寄せるのが見えた。と、丸太は奴と馬車とのあいだでのろのろと飛び上がり、突っ立って、らばのほう目がけて、落ちかかってきた。らばにも判った。一瞬、奴らの黒いからだが、水面から飛び上がった。と、下流のほうの奴が水中に没し、もう一匹も同時にひきずられた。馬車はぐっと真横に向いてしまい、渡り場の突起の上にのっかったと思うとたんに、丸太がぶつかってきて、ぐらりと傾き、横倒しになった。キャッシュは半ばふり向いた。手綱がさっと手もとからすりぬけて、水中に消え、もう一方の手でお棺を押しもどし、傾いた馬車の床に押しつけようとした。「飛びおりろ」奴は静かにいった。「らばには近づくな。とり押さえようなんてしちゃいかん。曲がり目にはうまく行きつけるさ」
「お前もこい」おれはいう。ヴァーノンとヴァーダマンが土手を走り、親父とデューイ・デルは立ち止まってこっちを見、デューイ・デルはかごと包みをかかえている。ジュエルは馬をとり押さえようと努めてる。一匹のらばの頭が現われ大きく見開いた眼が見えた。一瞬おれたちのほうをふり返って、まるで人間みたいな声を立てた。頭はまた隠れた。
「後ろにさがれ」キャッシュはどなる。「さがれ、ジュエル」次の瞬間、傾いた馬車に身をよせて、お棺と道具をふんばって支えてる奴の姿が見えた。と、突っ立った丸太の泡だらけの頭がまた飛び上がるのが見え、丸太の向こうで、ジュエルが馬を後ろにとめ、馬の頭をぐいと向こうむきにし、拳骨でぶんなぐっているのが見えた。俺は馬車から下流がわに飛び下りた。もり上がった水のあいだから、もう一度らばたちが見える。二匹とも相ついで水面に浮いて出、地面から足が離れてしまった時のくせで、足をつっぱったまま、くるりとひっくり返った。

 すごい臨場感。次のページも引用する。語り部はヴァーダマンという一家の末っ子だ。159ページ

 キャッシュが頑張ったけど、母ちゃんは落っこって、ダールが飛びおりて、沈んで、キャッシュが つかまえろとどなって おいらもどなりながら駆けだして どなって デューイ・デルがおれに ヴァーダマン ヴァーダマンってどなって ヴァーノンも母ちゃんが浮かび上がったのを見たんでおいらを追いこしていったら 母ちゃんはまた水の中へとびこんで ダールにもまだつかまらん

 読んでもらえば分かるとおり、ヴァーダマンは精神的に未発達なところがある。上の二つのダールが語り部の場合とえらい違いなのが分かる。こういう感じでいくつもの声がこの小説には響いている。ただ、とはいえ一番多く語り部を努めるのはダールだ。そこでの語りのヴァリエーションが最後の方で効いてくる。そうきたか! という感じ。そこは読んでください。
 結局上の場面でらば二匹は流されてしまう。では旅はおわるのか? とんでもない。馬車だけは何とか川から引き上げ、近くのアームスティッドさんかららばを二匹かりてきて、一家は旅を続行する。続行するのだが、水浸しになり、そのあと南部のきびしい日差しにさらされ遺体は腐っていく。近くの町に寄ると保安官から、みんな我慢できんといっとるから、どうしても動いてくれ、と言われる始末だ。それでも父親は言い返す。220ページ

「公共の道路じゃ」奴はいう。「止まって物を買うぐらい、わしだって、どのだれにも負けん権利があるんじゃ。わしら、金はもっとる。自分の好きな場所で、金を使っちゃ悪いっていう法律なんか、ねえじゃろ」

 いやあ、やばい感じ全開ですわ。その後も一家はただただ目的地を目指して突き進んでいくのでした。という辺りで今日は終わり。上にも書いたように最後に面白い仕掛けもあるので、是非(中古しかないけど)買って読んでみてください。

 ではまた!

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関澤鉄兵
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