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綿帽子 第七話

また眠れない夜が明けた。

眠らない夜か。

眠ってしまったら、もう二度と朝を感じることも、鳥の囀りを聞くこともできないような気がして、俺は眠らいのだ。

当然体力の回復は望めないが、人は本当に絶体絶命を間近に感じた時、眠らない選択をするのだと思う。

また朝が来てしまうのかと嘆く人もこの世にはいると思う。

だけど、俺は少しでも自分の人生を、自分の思うがままに生きてからこの世から消えたい。俺はまだ何もできてはいないのだから。

不安障害を発症してからの年月。
少なくとも2016年までの約15年間、俺は常に一人だった。

友人と会話を交わすことも少なく、配偶者以前に彼女すらいたこともない。空を眺めて息を吸って鳥の囀りを聞いて、毎日が過ぎ去っていく。
その繰り返しだった。

親父が亡くなる数年前に叔母を引き取ることになった。

この時点で家族は親父とお袋と俺に叔母の4人。その他犬2匹。
まさか親父があんなにあっけなく、この世からいなくなってしまうとは思ってもいなかったから俺には何の準備もできてはいなかった。

大好きだった酒も33歳でやめた。
毎日必ずと言っていいほど二箱は開けていたタバコも36歳で吸うのをやめた。

発症した当時はガラケーですら持っている人も少なかったような時代だから、医師の処方した薬を忠実に飲んでいたら必ず治ると信じるしかなかった。

情報が得られなければ与えられた事を全てやるしかない。体に良いと聞けば何でもやった。

常に自分は統合失調症という病名と、相反する自己との間で踠き、苦しみ、怯え、そして悩んでいた。

病院に行けば、貴方はこれからはそういう枠の中で生きていかねばならないと言われた。

両親共に俺には見えない所で告知を受けたのだが、これが後々の大きな災いとなっていった。

「息子さんは残念ながら統合失調症です」

受け止め方は人ぞれぞれなのだが、告知された方の心境にもなってみてもらいたい。

両親にとっては、おそらく死刑判決をされたに等しい衝撃だったに違いない。そしてそれに対して十分なケアがされたのか、説明がされるのか否かは、担当した医師の技量にもよるのであろう。

残念ながらお袋はこの時点で完全に迷いの世界に飛び込んでしまった。当然それを聞かされた母方の親戚も一同揃ってこの時点で俺の味方ではなくなったのである。

何故そんな大事なことを話してしまうのかとも思ったりするのだが、これは俺が子供の頃から抱えていた大きな問題点であり、今では仕方がないと諦めている。

「今日はお風呂掃除ができました」

そんな報告を主治医にして、褒めてもらえれば喜ばなければならない世界。

「できた証拠として、それを写真に撮って残しておきましょう」

これを、自分が友達だと思ってる人にあなたは伝えることができますか?

あなたが誰かを好きになったとしても、この事実を伝えることができますか?

俺はできませんでした。

見かけは普通に元気な人。だけど精神に支障があると言われている人。
中身はその医師の言葉さえ信じることができずに踠いている人。

薬剤が体質依存を形成して自分で自分をしっかり立たせるのも困難な人。でも本当はまともな人。

だけど答えが見つからなくて、貴女を幸せにしてあげられる自信が持てない人。

これが俺です。

一際お袋の受けたショックは凄まじく、これが逆に作用してしまったのが俺にとっての悲劇となった。

「嗚呼、自分の息子はこうなってしまった。だったら私が守ってやらなければ、私の生きている限り側に置いて守ってやらなければ」

おそらくこう思ったであろうお袋の想いが、親父の死後加速していくのである。

告知された時点でお袋は既に親子という世界から離脱していた。親子でありながら、親子と成り得ない矛盾が生まれた日です。

唯一の救いは親父がいてくれたことでした。

自分は父親になったことはないのですが

「大丈夫だ、心配ない。必ず治るから頑張れ」

この「大丈夫だ」という言葉の絶大さを知ったのは親父が側にいてくれたからです。

あなたが本当に困って、困り果てた時に、世界で一番勇気を与えてくれる言葉です。


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