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綿帽子 第五十五話

午前11時過ぎにペットタクシーから連絡が入った。

快く引き受けてくれたのだが、やはり糖尿病が問題点になっているようだ。

車で行く方が犬に与えるストレスは軽減されるのだが、どこで道が混雑するか分からず、インシュリン摂取の時間に間に合わなかった場合を考えると、飛行機を使った方が良いのではないか?と提案された。

羽田で乗せて関西空港で受け取ってから京都まで運ぶ。
その方が時間的ロスを避けられると言う。

どうなんだろう、ロビンは怖がったりしないのだろうか?

そして、その間に叔母さんがもう一匹を新幹線で連れて行く。
ロビンが到着するまでに現地に着いていなければならないのだが、そんなに上手く行くのだろうか?

俺は「折り返し連絡をします」とだけ伝えて電話を切った。
切ってから気がついたのだが、もうここまで来たら考えたって仕方がないのだ。

金銭面で折り合いがつくかが問題で、向こうは考えてからアイデアを提供してくれている。
それに正直俺にはもう考える気力がなかった。

直ぐに電話をかけ直すのも何だか妙に感じたので、ワザワザ15分程待ってから電話を掛けた。

向こうが提示した条件で話をまとめる。

金額に関してはそれなりの値段はしたが、もうこればかりはと決断した。
とにかく一段落できたので残すは引っ越しの準備だけとなった。

お袋にも叔母さんにも計画を伝えた。

叔母さんは、なんで私がという顔をしていたが、こればかりはやってもらわなければどうしようもない。
渋々納得したようだ。

後は引っ越しの日までにできるだけ自分達で処理できる物は処理をして、少しでも予算を浮かすように努めるだけだ。

母家の周りはお袋が育てた草花で満ちている。
ガーデニングに凝っていたお袋のことを思うと、残念な気持ちが込み上げてくる。
殆どのものをお袋が一人で作り上げた手作りの庭だ。

唯一他人の手によって加えられた物といえば、門に付いているインターフォンの中身ぐらいだ。
インターフォンが故障して電気系統にとにかく弱い俺は、友人に頼んで修理してもらった。

酒好きの彼は、この時も修理をした後に目一杯焼酎を飲んで上機嫌で家に帰って行った。

よくよく話を聞けば、務めている工場の作業用機械の性能がアップするように、パーツを自ら工作して取り付けたりしているらしい。
そういう器用さを持ち合わせている男でもある。

とりあえず特許だけでも申請したらと言っても全く聞く耳を待たない。

昔からこれといって面白い話をするような男ではなかったが、何故だか俺は彼の心の内が透けて見えるように分かっていた。

理由は全く分からない。
ただ俺は、いつも彼を元気づけてやりたかった。

「久しぶりに顔を見に行ってみるか」

気分転換に彼に会いに行くことにした。

退院後、最初に焼肉を食べに連れて行ってくれたが、味のさっぱり分からない俺は「きっと美味しい肉を食べてるんだろうな?」と思っていただけで、結局はまた彼の自慢にもならない惚気話を聞かされて家に帰った。

それでも今日はトンカツでも食いに行くか、また焼肉かと何度も出掛けたりしていたということは、彼なりに精一杯の気を遣ってくれていたんだろうと思う。

「おーい〇〇起きてるか?来たぜー」

「おお、まあ上がれよ」

「お邪魔します」

子供の頃からの付き合いということで、彼の家に入る際にはとりあえず引き戸を開けてから声をかけることになっている。
これはなかなか見慣れない光景かもしれない。

「あのさ、今度引っ越しするんだよ」

「どこに」

「京都にな」

「ほーお」

「でな、家に親父のレコードとか沢山あるのお前知ってるだろ」

「おお」

「それを、おばさんには聞いてみたんだけどこの部屋の隅にしばらく置かせてもらえないかな?」

「この辺りに置かせてもらえると助かるんだわ、おばさんは床が抜けないかとか心配していたけどな」

そう言って俺は彼の仕事部屋の一角を指差した。

「ここ?」

「うん、ここなら丁度良いスペースがあるなと思って」

「まあそりゃな荷重かかるからな、どれくらいのものよ」

「これぐらいのダンボール箱に10個位かな、もう少し多いかな」

「まあ、置けんことはないけどな、倉庫じゃ駄目なのか?」

「バイク置き場か?」

「おお」

「やっぱり湿気があるとレコードが痛むので部屋に置いてほしんだわ、お前に管理を任せたいんだけど良いかな」

「あ、そんな物なのかレコードって」

「いやお前想像したら分かるだろ、湿気によって平らなレコードが湾曲したりレコードのジャケットにカビが生えたりするだろ?だからなるべく室内に置いて欲しいんだわ」

「お前、この部屋まあまあ夏は湿気多いぞ、確かに風は入るけどそれはレコードには良くないんじゃないのか?それでも良いなら良いけどな」

「いや、それは預ける以上何があっても仕方ないから大丈夫だ。申し訳ないけどよろしく頼むわ」

「分かった」

「良かった、なるべく早く取りに来ようと思ってるけど、まあお前も知っての通り俺電車に乗れないだろ?それもあって回復するまで時間かかると思うけどそれまで頼むよ」

「おお」

安心した。

酒が入ると饒舌になるけど普段はこんなものだ。
何より親父の大事にしていたレコードを傷つける事なく保管してもらえるのは助かる。

友人とはいえ他人の家に荷物を預けたまま引っ越ししなければならないなんて、全く情けない話だ。

情けない話だが、持つべきものはやっぱり友だったらしい。

「そうなんだ、友なんだ」

ここ数年大晦日は決まって彼と過ごしていたが、去年だけは「絶対にお前と一緒には過ごさない」と彼の方から言ってきた。

彼女と過ごすのか?と尋ねると

「今年は彼女の家でバーベキューをすることになった」

と嬉しそうにしている。

「そうか、いよいよ家族になるのか」

「え?うん?」

と彼は曖昧な返事をすると、それ以上は何も語らなかった。

この時彼が見せた笑顔は、俺が今まで見た中で最高だったかもしれない。

そして大晦日がやって来た。

夕暮れ時に散歩に出かけると、彼の家の前にあるはずのない彼のバイクが止まっている。

不思議に思って彼の家に立ち寄ると、眠たそうな顔をした彼が部屋の奥から出てきた。

「何だお前、彼女と過ごすんじゃなかったのか?」

「おお、何か正月は親子水入らずで過ごしたいんだとさ」

「え?お前正月一緒に過ごすからってあんなに色々買い込んでたじゃないか」

「いいんだ、向こうにも都合があるしな」

「お前」

俺はそれ以上何も言うことができなかった。
感じるものがあったからだ。

「じゃあ夜中から初詣でも行くか?」

「どこによ」

「どこにってお前この近くなら上長神社ぐらいしかないだろうが」

「あんなとこにか」

「いや、だってお前一応はしっかりした鳥居も立ってるし、あそこなら歩いて行けるだろう」

「おお、まあな」

「じゃあ決まりな、11時半くらいに来るからドア開けとけよ?寝るなよ」

「おう」

俺は家に帰ると早々に夕食を済ませて風呂に入った。
普段からテレビを見る習性もない俺は、何することもなくただ時計を眺めて時間をやり過ごした。

やがて約束の時間が来た。
背中にカイロを一枚貼り付けてダウンジャケットを羽織ると、お袋に行き先だけを告げて家を出た。

外は余りにもひんやりとしている。
吐き出す息がとても白い。

彼には表の玄関を開けておくように伝えてはいたが、念の為彼の部屋の後ろ側に回って窓をノックしてみた。

側から見たら一体何をやってるんだというような光景に見えるのだろうけど、彼を呼び出すにはこれが一番手っ取り早いのだ。

名前を呼びながら何回か窓をノックしてみる。

ダメだ、やっぱり反応がない。

あれだけ寝るなと言ったのに、恐らくはもう大分酒が入っている。
飲みながらダラダラとしているうちに眠ってしまったのだろう。

仕方がない、表に回ってみよう。

玄関のドアというか引き戸になっているのだが、開けようと試みたが閉まっている。

こいつは困った。

しかし今日は大晦日、流石におばさんも起きていた。
起きているけど気付いてもらえなければ、俺はこの寒空の中凍えているのみになる。

どうやらテレビに熱中しているようだ。
ガラス越しにおばさんがテレビに見入っている姿が見える。

この時間だ、大声で呼ぶわけにもいかない。

しばらく様子を伺っていたが、寒さに耐えきれなくなった俺は意を決してガラス戸を叩いてみた。

おばさんが振り向いて俺を見て驚いている。
重い腰を上げながら近付いて来て、ゆっくりとガラス戸を開けた。

「どうしたの〇〇君、そんなとこで。寒くない?」

「寒いよおばさん、〇〇君迎えに来たんだけど寝てるみたいで返事がないんだ。とりあえず寒いから中に入れてくれない」

「いいよ、いいよ今開けてあげる。中に入って?寒いでしょう」

「ありがとう、おばさん」

おばさんはそう言うと、またゆっくりと玄関に回り、そしてまたゆっくりと引き戸の鍵を開けて中に招いてくれた。

「お邪魔します」

「どうしたの?こんな時間に。〇〇と何か約束でもしてたの」

「大晦日だから初詣に一緒に行く約束してたんだよ。寝てるのかな?表から部屋の窓ノックしてみたけど気づかないんだわ」

「ああ〜寝てるんじゃない、さっきまで台所でゴソゴソしてたけど」

「じゃあ、呼んで来てあげるよ。ほら早く上がって、寒いからこたつの中入って」

「ありがとう、おばさん」

俺は促されるまま家に上がると、そのまま居間へと進み、人型にぽっかり空いたおばさんの指定席の右横からこたつに足を突っ込んだ。

「暖かい」

いや、体が冷え切っていたせいなのか、そこまでではないか。
とにかく若干暖かさを感じるので良しとした。

ぼんやりとテレビを眺めていると、長い間見たこともなかった紅白歌合戦をやっている。

「ああ、忘れ去ってしまった懐かしい昭和の思い出の匂いがするわ」なんて思いながらボーッとしていると、おばさんに起こされて不機嫌そうな顔をした彼がやって来た。

「うるさい、放っておけ」とか何とか言っている。

「おお、寝てたのか」

「ああ、ちょっと待ってくれ顔を洗ってくるわ」

「おお」

「おばさん、ありがとう。〇〇くん準備出来たらちょっと出掛けてくるわ」

「どこまで行くの?」

「上長神社」

「あらそう、あそこでなんかやってるの?」

「いや、初詣に行くだけだよ」

「初詣ね、もう何年も行ってないよ。寒いから風邪引かないようにしなよ」

「ありがとう」

「おお、行こか」

彼が居間にやって来た。

「ありがとう、おばさん行ってくるわ」

「行ってらっしゃい、気をつけてね」

相変わらず無言で、彼はそそくさと玄関に行くと靴を履き、足早に外に出た。
俺はおばさんに軽く挨拶だけして、急いで彼の後を追った。

「寒いな」

「おお」

息がとにかく白い。

この季節でこんな寒いのも珍しい。
張り詰めたような冷たい空気の中俺たちは歩き続けた。

道すがら色々と話をした。

内容まで深く覚えてはいないが、彼の夢の話をしたと思う。
彼が本気でそれを望んでいるかは分からないが、俺は彼の夢を本気で叶えてやりたいと思った。

「きっと叶うさ」

そんな俺の言葉に耳を傾けながら、彼はうすら笑いを浮かべていた。

俺が口にすることに常に懐疑的な彼だったが、少なくとも笑っていたということは、悪い気はしていなかったのだと思う。

やがて神社の鳥居が見えて来た。

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