今までと違う流れにのって出会うもの
数年前に放送された「にじいろカルテ」は定期的に見返す私のお気に入りのドラマ。
「うげっ!この人はなんて悪い行いをするんだ?!」という登場人物が一人も出てこないし、どこかメルヘンチックな山間の村の雰囲気を見ていると心が和む。思わず声を出して笑ってしまうユーモアと人生への教訓も盛り込まれており見応えもしっかりとある作品です。
主人公の真空は東京の大病院の救急救命現場で夢と誇りを持ちながら医師として働いていました。けれど、突然難病を発症しその病院では働くことができなくなってしまう。
幼いころから医師になることを目指して努力をつづけ、念願かなって大病院に就職しまさにこれからってときに訪れた青天の霹靂。
彼女は落ち込んでしまう。
ところが虹ノ村役場の男性職員との偶然の出会いをきっかけに、病を抱えながらも村の診療所で内科医として働くことになった。
真空を始めこのドラマの登場人物たちは病気を患っていたり、壮絶な過去を背負っていたり、人に打ち明けづらい悩みを抱えている。
でも、それぞれにその抱えているものから目をそらさず、なんとか折り合いをつけて付き合っていこうとしている。
自分だけで頑張るのではなく仲間の力をかりて支え合って生きている。ざっくりとしたストーリーはこんな感じです。
そんな物語の第6話。
虹ノ村診療所のスタッフ3人がシェアハウスにて夜食に熱々のドリアを仲良く食べる。そんなシーンがある。
朔先生(井浦 新)の作ったドリアを一口食べて真空(高畑 充希)と太陽くん(北村 匠海)がこう言う。
「 サイゼリヤ のとは違う……でも、すっごく美味しい!美味しすぎる 」
もう何回も見ているシーンなのに、先日見返していた時どうも気になることがありました。
体調を崩してしばらく寝たきりだった真空の体を配慮するなら、栄養面と消化の良さを優先して「うどん」とか「おじや」の方が夜食には向いているのではないか?と。
なぜここで「ドリア」を登場させたのだろうか?と。
物語を深堀したい欲求がこのとき唐突に「ドリア」に対して発動しました。
ドリアと言えば「サイゼリヤのミラノ風ドリア」そう思い浮かべるひとも少なくはないでしょう。
我が家ではドリアは定番料理ではなかったし、食べるとしたらサイゼリヤへ行ったときくらい。
学生のころ夕飯を食べるためにサイゼリヤにかなりの頻度で通っていた。そして毎回のようにミラノ風ドリアをオーダーした。
お財布に優しくてお腹いっぱいになれるサイゼリヤの代名詞的とも言えるメニューの一つだった。
たぶん慣れ親しんだ味として無意識のうちに「ドリアと言えばミラノ風ドリア」とインプットされ、いつのまにか固定観念のように定着してしまっている。
それは私に限ったことではなくおそらく真空と太陽も同じだったのではないだろうか。
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しかし、朔先生の作ったドリアは彼らの知っている味とは違っていた。
推測するにこのドリアには、作中にも頻繁に出てくる朔先生の菜園で彼が丹精こめて育てた野菜がきっと使われている。何でも手作りしてしまう朔先生のことだからミートソースもホワイトソースもレトルトではなく一から作ったものだろう。(ドラマ本編ではトースターの中でドリアがグツグツ温められているカットしか映っていないけど)
そりゃあ同じドリアでもサイゼリヤのものとは全く違っていたはず。
二人にとってそれまで慣れ親しんできた味ではなかったけれど、それはそれとして受け入れることが出来て、さらに美味しいとまで感じられたのだ。
朔先生の手作りドリアは、きっとこんな味だろうという固定観念とは全く別物で、驚くぐらい美味しくてヘルシーな料理だったのだろう。
自分の経験値をもとに、これはきっとこうだろうと予想を立てていたことがあったとしても、現実は、人生は、そう簡単には自分の思い通りには運ばない。悔しいけれどそういうものらしい。
でもこうだったらよかったのにという期待がはずれてしまったとしても、それは必ずしも不幸なことばかりではない。むしろその逆もあり得るんだよ。第6話は特にそういうメッセージを伝えていた。
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「言葉は間違っているだろうけど、病気って面白い」と真空はこう言っていた。
病気になったことで辛い思いをすることの方がよっぽど多いけど、でもそれだけじゃない。病気になっていなかったら一生出会えなかったひと、訪れなかった場所、作られることのなかった思い出に恵まれた。それって 面白い と。
自分が思い描いた未来と現実が違ったとき、「こんなはずじゃなかった」とマイナスな側面に気を取られるのは仕方がないことだと思う。だけど刻々と変わる自分の気持ちや状況に合わせて生き方を選択していく。そしてその流れに乗ったことで思いがけない出会いが待っているかもしれない。悪いことばかりではないはずだ。そう考えたら少しは希望を持ちやすい。
何が正解とかではなく、自分の身に起きたことをどう捉えてその先の人生を歩んでいくのか…。そんなメッセージも含まれていた。
第6話のドリアを食べるドラマ演出についての唐突な深堀でございました。
最後までお読みいただきありがとうございました。
それでは、また~。