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<四国車遍路旅>2024年版(3)

<四国車遍路旅>2024年度版(3)

動画版 https://youtu.be/P0HxrPm8FQs

~ 鎮魂と般若心経の日々~

四国車遍路 徳島県、高知県編

Part 1

四国車遍路旅(6)

2024-10-8(火)曇りのち雨

車内数息1セット目、6:15-6:40、座席数息120回くらい、般若心経1回。

朝の支度を終え、気持ちも新たに、数息を始めた。昨日の出来事や車中泊に関する<雑念>が出たものの、深く呼吸していた。しかし、そのうち雲行きが怪しくなった。数が一向に進まない。<ウトウト>しているのだ。

なんとか100回まではたどり着き、体が暑くなってきたので、上のスウェットを脱いだ。さて、残りの100回へと、態勢を整えなおした。が、120回くらい数えたあたりで、前後不覚、<居眠り>だ。もうこれ以上は続けられない。中断した。

8番、熊谷寺

7:30-8:00、小雨、般若心経は、山門全景、本堂全景、本堂前、大師堂前、大師堂脇の、計五回。

小雨の中、傘をさしてお参り。今日は服装を変えた。下は普通の黒のジャージー、革製のウォーキングシューズ、上は<般若心経Tシャツ>に、紺のパーカだ。たしか、<輪袈裟>は濡れるとまずいのでしなかった。なお、メモ書きは車の中で書いた。

さて、雨の中のお参りだ。山門は坂の上にあった。<熊谷寺>と墨書きしてある提灯が、両脇に下がっている。手前に青葉のモミジがかかっていて、絵になる光景だ。

本堂の中には、柵があって入れなかった。が、回廊までは上がれる。雨に濡れないで、心経を読んだ。読み終えて、振り返ると、黒っぽい作務衣の、体のがっちりした、髪を後ろに束ねた中年男性が目に入った。鍵を手に持っているようで、住職なのか、定かではないが、本堂を開けに来たようだ。

次に大師堂へ行った。心経を読み終えると、入れ違いに、婆さんが来た。手ぶらだから、地元の人だろう。境内に響き渡るような大きな声で、<弘法大師様、おはようございます>と言って、お参りを始めた。なにか、お経のようなものを唱えていた。

帰り際に、本堂が開いたので、中に入って、心経を読んだ。先客がいて、年配の男性が、手に何かを持って、それをたどたどしく読んでいる。駐車場に戻ると、車が一台あったから、車遍路だろう。

あと、駐車場の端に、<ノボタン>の一叢があり、紫の花びらが、濡れたアスファルトの上に散っていた。札所に<ノボタン>、詩情を感じた。

9番、法輪寺

8:30-9:00、般若心経は、山門全景、山門脇、本堂全景、本堂脇、大師堂全景、大師堂脇の、合計六回。

こじんまりした札所で、山門から境内がすべて見渡せる。小雨の中、傘を差しながら心経を読む。雨音が聞こえる。二十年前に来たはずなのに、この場所もまったく覚えていない。本当に来たのだろうか?

境内に、遍路たちが次々に訪れてくる。団体さんもいる。正面には、本堂と大師堂が並んでいるが、大きさも形も、同じような作りのお堂だ。右手には、使われていない立派な建物があり、左手が納経所とトイレだ。納経しないので、立ち入らなかった。

お参りと心経の音読で30分、ひと通り終わった。だが、これで立ち去るのは、物足りない。と、使用されていない建物の軒下に、木製の長腰掛がある。その下に小皿が何枚か放置してある。誰かが野良猫に餌をやったのだろう。そうだ、と思いついて、腰を下ろした。<数息>をやろう。

9番札所数息、9:00-9:40、長腰掛数息200回、般若心経2回。

座る所が木だから、お尻が痛くなるかと思ったが、そうでもない。数を数え始めた。すぐに、団体遍路が、がやがや、やってきた。腰掛けのすぐそばに大師堂があるのだ。立ち上がって、腰掛けの左端に移動した。多少なりとも、距離をとったわけだ。

団体さんは、先達の声に従って、作法通りにお参りしている。心経の朗誦の時は、調子を合わせるために、小さな木魚が規則正しく打たれる。ためしにと、一緒に口の中で唱えた。調子が合わないところがあり、途中でやめた。

再度、数を数えることに注意を向けた。すると、右手の方から小鳥のさえずりが聞こえる。なぜか、ずうっと鳴いている。左手の方では、コオロギが鳴いている。団体さんもそのうちには立ち去り、静かになった。

100回で、体勢を整えなおした。左手首が、腿の上からずり落ちていた。かなり集中していたのだろう。背筋を少し伸ばし、また数え始めた。小鳥のさえずりとコオロギの声、ときとして、涼しい風が足元を吹き抜けていく。朝、眠くて数息を中断したのに、いまは全然眠くない。最後まで、しっかり数を数え続けられた。

聖域での瞑想、めったにできるものではない。貴重な体験として、記憶にとどめておこう。

10番、切幡寺

11:00-11:40、般若心経は、山門内、石段、本堂全景、本堂脇、大師堂全景、大師堂脇の、合計六回。

狭い道があるらしいので、ユーチューブ動画などを見て、事前に下調べしていた。じっさいは、思ったほど狭くはなく、無事に通過できた。到着すると、さいわいにも、雨は小降りになり、傘を差せば、お参りに支障はない。

駐車場に着いた。すぐ脇に山門があった。支度を整え、傘を差しながら、心経を読んだ。すると、駐車する際にすれ違った、<わ>ナンバーの<軽>の中年二人連れが、山門の下に現れた。遍路姿のやや太めの男たちで、こちらに向かって合掌し、足早に去っていった。そういえば、あの二人は、9番法輪寺でも見かけた。

山門に向かって心経を唱えている俺に合掌したのか、それとも、山門、あるいは札所全体に合掌したのか、定かでない。そして、自分が登ってきた方角とは反対側に走り去っていった。となると、切幡寺への登り口は、二つあることになるが、事前の下調べでは出てこなかった事柄だ。ちょっと不思議な感じがした。

ところで、切幡寺は、山あいの札所で、333段の石段が有名だ。だが、実際には、100段と233段とに分かれている。ためしにと、233段を上がるときに、心経を読んだ。そう、たしか般若心経の文字も、280語前後だった。

中ほどまでは、一歩一歩、歩数に合わせながら、音読できた。しかし、最後の50段くらいは、ゼイゼイしながら、かなり必死になって、言葉を発した。けっこう、きつかった。

境内には、雨のせいか、人の姿はなかった。本堂や大師堂で、計四回心経を読んで、また石段を下りた。途中で、体格のいいアメリカ人カップルとすれ違い、会釈した。石段を下り切ったところの小屋に、リックを括り付けた自転車が二台止まっていた。彼らのものだろう。それと、車に乗り込もうとしたとき、9番札所へと至る道で見かけた、中年の白髪の外国人女性とすれ違った。かるく会釈して通り過ぎていった。

そのあと、車内でメモ書きを書いていると、目の前を何組かの遍路たちが通り過ぎていった。どちらかというと、外国人が多い。それも白人で、みな体格がいい。四国のお遍路が、外国人に人気がある、となにかで知ったが、これほどとは思わなかった。

移動

ファミマで買い物。 2L入りの水のペットボトルが、税込みだと¥150くらいになっている。ちょっと前までは、¥100だった。これは高すぎるだろう。もうファミマでは買わない。そのあと、通り道の<すき家>で昼食、牛丼中盛セット、¥780。ご飯の量が少なくて、やや食い足りない感じだった。案の定、夕方になって小腹が減った。

11番、藤井寺

13:30-14:10、般若心経は、山門全景、本堂全景、本堂脇、大師堂全景、大師堂脇、それに、焼山寺への登山口の計六回。

駐車場は有料で、小屋に待機している風采の上がらぬ中高年の親父に、¥300 渡した。一応、小さな声で<ありがとうございました>とは言っていた。

雨はやんでいたが、いまにも降り出しそうな空模様だ。とはいえ、三々五々、遍路たちがやって来る。念のため、傘は持ったが、リックは背負わず、白衣も着なかった。ただ<輪袈裟>だけは首から下げた。

山門はすぐそばだ。途中に、二十年前に泊まった民宿があった。古くはなっているが、当時のままだ。いや、玄関だけは新築して、立派になっていた。

大広間での夕食。明日の焼山寺登山を、だれもが不安に思っている。老若男女、七、八人はいただろうか。直前までは、赤の他人同士だったのに、やけに、和気あいあいとした雰囲気だった。民宿での<最後の晩餐>が、脳裏によみがえった。

山門をくぐり、狭い境内を見回した、山門はもちろんのこと、本堂、大師堂ともに、まったく記憶に残っていない。ふと、当時の心境を思い出した。歩き遍路をしていながら、いまだ神仏に手を合わせることを、潔しとしていなかった。ようするに、形だけで、ろくにお参りなどしていないのだ。ただただ、歩き通すことだけが頭にあった。

登山口は二十年前のままだった。小雨ということもあるが、昼間なのにうす暗くて、雰囲気が漂っている。懐かしかった。十メートルくらいは、コンクリの小道なので、少し登ってみた。だがすぐに、泥だらけの山道になった。靴の汚れが気になり、戻った。

帰り際、自転車遍路の外国人夫婦と、またすれ違った。かるく会釈を交わした。少し先に、チャリが二台、物置小屋に立てかけてあった。写真に撮った。

移動

14:45、少し遅くなったが、これから、今晩の車中泊地、<道の駅神山>へ向かう。明日、朝イチでお参りする焼山寺に一番近い<道の駅>だ。

15:30、<道の駅神山>に到着。山あいの中規模の<道の駅>で、トイレは温水便座だ。このあと、17:00 になったら、軽く食事、就寝準備、19:00 には消灯。涼しくて、よく眠れそうだ。

四国車遍路旅(7)

2024-10-9(水) 

車遍路旅七日目の朝は、<道の駅神山>の駐車場で、午前四時半ころに起きた。昨晩は夜中に雨が降った。激しい雨音を覚えている。それ以外は,、たって静かな夜だった。朝の支度をすませて、<数息>に臨んだ。

車内数息1セット目、5:20-5:50、座席数息150回、般若心経2回。

息を深く吸って、吐いた。昨日の出来事に関する<雑念>が出る。どれも、お参りのことや、日程のことで、これは前向きな<雑念>だ。とはいえ<雑念>は<雑念>で、そのたびに、また息を深くして、呼吸や数を数えることに注意を向けた。

こうしたことを何回も繰り返した。よく眠れたので<眠気>はまったくなかった。ただ、100回を過ぎたあたりから、足元が寒くなり、しだいに、そのことが気になりだした。十月の初旬とはいえ、山あいの朝はさすがに冷える。

150回あたりで中断して、ヒートテックのタイツと、厚手の靴下をはいた。200回まで続けるつもりだったが、集中が切れてしまった。ここで終わりにした。

12番、焼山寺

7:00 出発、焼山寺へ向かう。国道からそれて、山道へ入る。さほど狭くもなく急でもない。だが、とうとう、ユーチューブ動画で見た、ガードレールのない狭い山道にさしかかった。たしかに、ここですれ違うことはできない。<かわす>場所もない。それに、けっこう長いぞ。

まだ早朝なので、下りてくる車はないはずだ。だが、帰りが不安だ。上ってくる車と、ここで鉢合わせしたら、にっちもさっちもいかない。不安になった。もっとも、<ヤバい>道は、延々と続くほどでもなく、そのうち多少広くなった。不安なのは、<あそこ>だけだ。

ま、上りは、何とか通過した。焼山寺の駐車場は目前だった。シカだ!カーブを曲がったところで、目の前に黒い物体が見えた。さほど大きくはない、角のないこげ茶のシカだ。相手も驚いたようで、目の前をさっと横切り、反対側の急な崖を登りあがって、逃げていった。カツカツと、蹄が岩とぶつかる音も聞こえた。

<シカ>がいるとは思ってもみなかった。<鹿>は神様の使いだという。奇瑞ととらえるべきだろう。

そのあと、ちょっとしたアクシデントが、もうひとつあった。駐車場のすぐ手前の、暗い山道に大きな枯れ枝が、三、四本散乱している。枝といっても丸太くらいの太さがある。このままでは通れない。車から降りて、路肩へ移動した。枝は苔むしていた。昨晩の風雨で折れたのだろう。

焼山寺の広い駐車場についた。7:20 頃だと思う。駐車場から山門までが、砂利道になっている。脇に、如来や菩薩の像が寄進されていた。数メートルおきに、きれいに並んでいる。寄進者の石柱もある。逐一、写真を撮りながら歩いた。

そういえば、20年前の、歩き遍路の時、山道を五、六時間、必死の思いで登ってきて、<着いた>と思ったら、この砂利道だ。山門までがけっこう長い。ややうんざりした覚えがある。

お参りの話にうつろう。般若心経は、山門全景、山門前、本堂全景、本堂正面、大師堂全景、大師堂正面、帰り際に参道から眼下の市街地へと、計七回、読んだ。

人気のまったくない境内で、かなり大きいな声で読めた。カラスが遠くで鳴いている。冷ややかな風が襟元をふきぬける。人目を気にせず、自分の般若心経が読めた。読後には、二回、大きく深呼吸しながら、空を見上げた。杉の木の間に青空あり、雲が流れていた。

気分よく、お参りを終えて、本堂、山門を後にした。砂利道の参道で、年配の夫婦連れとすれ違った。<おはようございます>と朝の挨拶を交わした。時刻は午前八時前後だったと思う。この時間帯になれば、お参りしに来る人が増えるのは、想定の範囲だった。と、下の山道で車の音がする。もう一台、登ってきたようだ。

駐車場につくと、自分の車の隣に、白いクラウンが止まっていた。やはり年配の夫婦連れだった。挨拶だけ交わした。

さてと、無事にお参りも終わった。俺だけの時間だった。とはいうものの、これから下る、狭い山道のことが心配になってきた。そんときはそんときだ!と思ったが、出っくわした時のために、リアードアのシェードを外した。バックする際にうしろが見やすいだろう。

駐車場をあとにした。白いクラウンは<姫路>ナンバー、もう一台は<愛知>ナンバーだった。と、走り出してすぐ、暗い山道に小鹿!ゆっくり目の前を横切って行った。一度ならず二度までも、同じような場所で、シカに遭遇。これはやはり奇瑞だ。おそらくこの先、狭い山道で、ほかの車と出っくわして、難義することないだろう、と思った。

自分は<無神論者>だが、<困った時の神頼み>はよくやっている。今回も同じで、<車と出会わないでほしい>と願った。<願った>というのは、誰に<願った>のか?やはり<神様>だろう。畢竟、いい加減な<無神論者>なのだ。

ま、とにかく、<願い>がとどいたのか、たまたま偶然だったのか、狭い山道で車とすれ違うことはなかった。それどころか、下から登ってくる車が一台もなかった。やれやれ。

山道を下り終え、民家の点在するところまで下りてきた。白い軽トラが、サイドミラーに写っていたが、そのまま走り、国道に出る手前の、車一台しか通れない橋を渡りはじめた。前方に、キャリーバックを引いている女性の後ろ姿が見えた。スピードを落とした。すかさず、うしろの軽トラの、爺だろう、クラクションが鳴った。

女性は、驚いて、端に寄った。女性の横を通過するとき、彼女は、こちらを笑顔で見て、少し頭を下げた。ふくよかな感じの、四十代くらいの女盛りで、ま、美人だな。

自分は、車を止めて、窓から<おはようございます>と声をかけた。彼女も笑顔でこたえた。<どこまで行くの>、<近くの駅まで>。<じゃ、送って行こうか>、<いや…>と彼女は遠慮したが、まんざらでもなかった。

そのあと、二、三言、話したあと、自分は車を降りて、リアードアを開け、彼女のキャリーバックを積み込んだ。そして、<狭いけど、どうぞ>と声をかけて、彼女を後部座席に座らせた。むろん、うしろで待たされている気の短い軽トラの爺が黙っているわけがない。クラクションを、二、三回、たて続けに鳴らした。イラっとして、<うるせいぞ、じじい!>と振り向きざまに怒鳴った。初対面の女性の前で、汚い言葉を使った自分を、すこし恥じた。

以上はすべて脱線であり、妄想である。天気も回復して、今日は秋晴れだ。9:00、昨晩、雨の中、一台だけで車中泊した<道の駅神山>に、無事戻ってきた。

休憩タイム

<道の駅>で日誌のメモ書きをして、そのあと、11:00 ころに、近くの<神山温泉 保養センター>へ行った。混んでなくて、湯舟で、断続的に<数息>を、合計で60回くらいした。くつろげた。

そのあと、一番近いコンビニ、ファミマへ行った。12:00、チキンカツ弁当を、ファミマの駐車場で食べ、13:30 ころに、また<道の駅神山>へ戻ってきた。おそらく車内で、メモ書きのパソコン打ちをしたのだと思う。

昼寝をして、16:00 前に起きて、売店に併設されている食堂で、早めの夕食。かき揚げうどん、¥660。大きな天ぷらが揚げたてで、うまい。汁まで全部飲んだ。

車内数息2セット目、16:10-16:45、座席数息200回、般若心経2回。

さほど気にならない<雑念>が、散発する。とはいえ、呼吸もしっかり、数もしっかり数えている。100回以降は、外の車の騒音がはっきり聞こえてきた。だが、うるさい感じはしない。車のエンジン音になれてしまったようだ。

座席での体勢も違和感がなくなり、ちゃんと力が抜けている。<雑念>は消え去り、目の前の空間に<斑模様>も少し見えた。瞑想状態に近づいた証だ。

 

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