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<数息観瞑想日誌>2024年度版(3)

<数息観瞑想日誌>2024年度版(3)

動画版はhttps://youtu.be/GcCG9PYxFJI

~瞑想と般若心経の日々~

2024年8月度分

自宅編 #6

2024-8-6(火)曇り、一時晴れ。 最高気温は34度だが、 猛暑日並みに暑い。

自宅数息1セット目、5:30-6:00、端座位数息200回、般若心経2回。

昨日、バラエティー番組にゲスト出演していた<加藤茶>のことが、しばしば思い出される。81歳だそうだが、病気を抱えているせいか、すっかり老人になってしまった。頬がこけて、血色もよくない。人間は年を取るのだ。つくづく思った。

120回あたりで、目の前の空間に<稲田>が見える。まだ植えたばかりで背が低い。電車の中から見ているのだろうか、<稲田>が移動している。きれいに植えられていて、少し風になびいている。イメージは全体的に暗く、黒い<稲田>だった。

自宅数息2セット目、11:30-12:00、端座位数息200回、般若心経2回。

数を数えはじめてすぐに<想念>がわく。知人のZ氏とM氏だ。どちらも独善的で、自己本位、好きになれない。

120回を過ぎたあたりで、目の前の空間にイメージが出てくる。黒い、胸の大きくあいたドレスを着た、白人の中年女性だ。ダンサーなのだろうか、ゆらゆらと揺れている。妖しげだ。

そのあとは、なにかを見ていたような、見ていないような、形容しがたい状態だった。数はちゃんと数え続けていたのだから、居眠りしていたともいえない。いわゆる、瞑想状態に入りかけていたのだろう。

自宅数息3セット目、16:35-17:05、端座位数息200回、般若心経2回。

数え始めは、テレビで見た情報などが思い浮かぶ。ひどく断片的で、脈絡がない。だが、ひとつ気になったことがある。女芸人同士の、SNSでのやり取りだ。 なぜ炎上したのか、テレビでは肝心のことがぼかされている。スマホを見ると<死んでくださ~い>と文字化してしまったようなのだ。

なるほど、今日日、この手の言葉が、禁句を越えて、禁忌になっている。心の中で<死んでくれ>と思ったことは、自分も何度かある。本音は、そうかもしれないが、本音を言ってはいけない。社会の<掟>だ。<掟>を破れば、制裁が待っている。心の中で止めておくべきだった。

150回あたりで、頭の中にイメージが浮かぶ。古めかしい着物を着た男女が、外を歩いている。そのうち、彼らは、目の前の空間に出てきた。その姿が少しはっきりしてきた。この人たちは<霊>なのかもしれない。そう思った瞬間、空恐ろしくなった。数息の直前に原爆関連のニュースを見ていた。今日は八月六日、広島に原爆が落とされた日だ。

自宅編 #7

2024-8-7(水)曇り、夕方に激しい雷雨、少し涼しくなる。

小畔川散歩、Bコース、5:15-7:15、9500歩、般若心経2回、

軽く体操。散歩の最中に、景色のいいところでスナップしている。主に、<空>の景色なのだが、下のほうに小さく橋や鉄塔、川の流れなどを取り込んでいる。そのうち、瞑想日誌を動画にしてユーチューブにアップしたいと考えている。その背景画像を撮っているわけだ。

<スケベ根性>と言われれば、たしかにそうだ。だが、<瞑想>と<般若心経>の日々を記録することで、人生が少し前向きになっている。自己を世界に開示することが、よりよく生きるためになる、そう信じたい。

気づいたこと。左岸の土手道の脇に、黒い犬の糞が目立つ。さほど大きなものではないので、小型犬のものだろう。汚らしい。早朝の爽快な散歩が、台無しだ。いったいどこのどいつが、こうした非常識なことをするのだろう?糞の数と形状からして、一人や二人ではない。犬の散歩をしている人間が目に入るたびに、忌々しい感じがした。

今朝も橋際で、心経を読んでいると、下に流れている用水の付近で、カエルが大きな声で鳴いている。さらに、心経を読み進めると、そのカエルの鳴き声が大きくなった。外での心経は、人目が気になるので、小さな有声音で読んでいる。下のカエルに聞こえるはずがない。となれば、こちらの聴覚が鋭敏になったのか?ま、あり得ないことではないなと思った。

不思議なこと。土手下の<稲田>では、農薬の有無で、カエルの合唱が、聞こえる場所と、そうでない場所がある。ちょっと前に書いたことだが、今朝はもっと素朴な疑問が浮かんだ。なぜ、カエルたちはあんなにも一生懸命に、ゲコゲコ鳴いているのだろう。おそらくは、交尾の相手を探しているのだろう。念のため、帰宅後ネット検索した。<どのオスもメスに選ばれるために、大きな声で競い合うように鳴く>とある。やっぱりな、自然界でも<オス>はせつないね。

自宅数息1セット目、10:30-11:00、端座位数息200回、般若心経2回。

数え始めて、40回くらいで頭の中にイメージが出てくる。筋肉モリモリの女子レスラーだ。続いて、十数名のレスラーたちが、画面の中でおのおの練習をしている。これは、数息の前に、テレビでパリオリンピックのレスリングを見ていた影響だろう。それに、潜在意識的には、筋肉質の肉体にあこがれているのだ。レスラーたちのイメージは、その後も、脈絡なく、頭の中に現れ続けた。

自宅数息2セット目、13:30-14:00、端座位数息200回、般若心経2回。

40回過ぎたあたりから<こっくりこっくり>居眠りが始まる。何回も数を数えなおしながら、それでも190回まで行く。と、あれ、19回に戻っている。堂々巡りだ。同じことを何回か繰り返しているうちに、意識が少しはっきりしてきた。そのあと、一応、心経も読み終える。だが、覚醒動作はしないで、そのまま横になった。これほどの居眠りは、身体が眠りを欲しているということだ。迷わず、昼寝に移行した。目が覚めると、15:30になっていた。

自宅数息3セット目、16:00-16:30、端座位数息300回、般若心経2回。

1回から100回までは、数をしっかり数えた。注釈・これは<能動的集中>だった。101回から200回までは、眼の前の暗い空間に目を凝らした。しかしイメージは現れず、妙に意識がはっきりしていた。注釈・これもまた<能動的集中>だった。201回から300回までは、体感に<やぶにらみ的集中>=<受動的集中>をして数を数えた。やや、意識がぼうっとしていた。これでいい。

自宅編 #8

2024-8-8(木)曇り、蒸し暑い、最高気温34度、少し涼しくなる。

自宅数息1セット目、5:00-5:45、端座位数息200回、般若心経2回。

体感に<受動的集中>。とくに掌。呼吸を少し深めにする。周りの音にも<受動的集中>。45回あたりで、一瞬、頭の中にイメージが現れる。海水浴場だろうか、色鮮やかな着物を着た大勢の老若男女だ。背の小さな子供もいる。みな、こちらに背を向けた状態で佇んでいる。このイメージはカラーで、かなり鮮明だった。その後は、端座位の<ゼロの状態>を保持しようと心がけた。

注釈・<ゼロの状態>とは、その姿勢に必要な筋肉の緊張だけが保持され、余分な緊張が解かれた状態である。ロシアの演出家・スタニスラフスキーの俳優訓練メソッドの一項目である。

200回数え終えた後は、少し眠気が残ったが、じきに頭がすっきりした。多少なりとも瞑想状態に近づけたようだ。気分がいい。

自宅数息2セット目、14:00-14:50、端座位数息200回、般若心経1回。

全体的に、居眠りばかりで散漫だった。数も200回を数えていないかもしれない。終了時の心経は省いて、横になり、昼寝に移行した。目が覚めたら、16:00になっていた。

自宅数息3セット目、16:00-16:50、端座位数息300回、般若心経2回。

端座位で、掌は上向きで、膝の上にのせる。背骨はほぼ90度を保持する。今回は、この姿勢で、終わりまで不動を貫いた。<つばの飲み込み>は何回かあったが、顔の<かゆみ>はやり過ごした。

直前に昼寝をしたせいか、居眠りは一度もなく、数の数え間違えもなかった。前半で、頭の中にイメージが現れる。和服姿の貫禄のある老人で、おそらくヤクザの親分だろう。席につくが、後ろに刃物を持った男がいる。危ないと思う。

300回の数息観瞑想ができたので、気分がいい。二ヶ月半ほどで、<瞑想体力>が向上したのだ。

自宅編 #9

2024-8-9(金)晴れ、蒸し暑い、最高気温36度越え。

自宅数息1セット目、5:00-5:45、端座位数息100回、般若心経1回。

完全に寝不足で、数え始めてから、すぐに居眠り。なんとか100回まで数えるが、ただただ眠い。そのまま横になり二度寝に移行。<数息観瞑想>とは言い難い。悪い出来だった。

自宅数息2セット目、16:45-17:30、端座位数息300回、般若心経2回。

午前、午後とゆっくり昼寝をしたので、頭がすっきりした状態で数息に臨む。端座位の<ゼロの状態>、および数を数えることに<受動的集中>を心掛ける。100回ごとに<つばの飲み込み>、端座位の微調整以外は、不動。300回まで居眠りもせず、数を数え続ける。

頭の中にも目の前の空間にも、イメージらしきものが、少し出る。だが、記銘できるほど鮮明ではなかった。今後は、数息300回、時間にして45分間を、ワンセットとして実践できそうだ。

自宅編 #10

2024-8-11(日)晴れ、猛暑日、 38度越え。

自宅数息1セット目、5:45-6:15、端座位数息200回、般若心経2回。

数息300回を目指したが、150回あたりで眠気が出て、何回か数えなおす。端座位の<ゼロの状態>に気をつけたので、居眠りはしなかったが、200回で切り上げる。

自宅数息2セット目、12:45-13:15、端座位数息200回、般若心経2回。

50回あたりで、早くも数を間違える。何度か堂々巡り。なんとか200回まで数えるが、眠い。締めの心経を読んだ後、覚醒動作はしないで、そのまま横になり、昼寝に移行。

全体的に、気持がざわざわしている。日常生活で見たり聞いたり、感じたりしたことが、脈絡なく出てくる。これは、ま、<雑念>といってもいいだろう。

自宅数息3セット目、16:00-16:55、端座位数息300回、般若心経2回。

息を深く吸う。息を吸うことも、吐くことも、心地いい。

200回くらいから、首筋が少し痛い。首を上下に動かして、微調整する。体感イメージとしては、首筋と背筋を一直線にして、その上に頭が乗っている感じ。首筋と背筋の緊張を<ゼロの状態>にすれば、首筋の痛みはなくなるはずだ。

あと、100回くらいまでは<つばの飲み込み>が何回かあった。とはいえ、息が整ってからは、口の中にたまっている<つば>が気にならなくなった。唾液も出なくなったような気がする。

洞察。深い呼吸と端座位の<ゼロの状態>、この二つが保持できれば、60分間の<数息観瞑想>も可能だ。

自宅編 #11

2024-8-12(月)晴れ、猛暑日、 38度越え。

小畔川散歩、Bコース、5:00-7:15、般若心経2回、軽く体操。

真夏なのに、雲がなんだか秋っぽい。空が高く、<うろこ雲>がゆっくり動いている。西側の山並みの上に、小さな三角形が見える。富士山だ。往路は、景色のいいところで、頻繁に立ち止まって、空を主役にした風景を、デジカメでスナップした。

いつものように、折り返し点の橋際で心経を読む。目の前に広がる風景をやぶにらみしながら、自分の声を聴く。カエルの声も聞こえる。そのあとの復路は、まわりの景色や見たり、生き物の声や、自然の音などを聞きながら歩く。

途中、土手道の脇で猫がケンカをしている。二匹ともキレイな茶トラで、向き合って、大きな鳴き声で威嚇しあっている。立ち止まって、<ケンカなんかするんじゃないよ>と、少し大きな声でたしなめる。すると、劣勢のほうが、土手の斜面を駆け下りた。だが、優勢のほうは、性懲りもなく、あとを追いかけて行って、今度は、土手下で対峙している。

もう、自分の声は届かない。小石を拾って、ネコたちのほうへ投げた。おどかして、喧嘩をやめさせようとした。だが、思いのほか距離があるのか、小石は、猫たちのずっと手前で、へなへなと落ちた。周りに民家はない。かなり離れた家の飼い猫たちだろう。喧嘩して、ケガなどしなければいいのにな、と思った。

また土手道を歩き始めた。目の前にトンボが飛んでいる。手でつかめるほど近い。ふと見ると、橋がある。川原のほうを見ると、橋の橋脚の横で、たくさんのトンボたちが飛び回っている。そのあと、いくつかの橋を通り過ぎたが、橋脚の脇の川面には、必ずと言っていいほど、トンボが群れていた。

散歩の最後には、小休止方々、心経を読むのが決まりだ。東上線橋梁橋の下についた。橋脚の脇の川面に、数百匹のトンボが群れ飛んでいる。

洞察、トンボの群れと橋脚付近の川面には、なんらかの関係がある。

それにしても、トンボたちは、なぜ飛んでいるのだろう?もちろん、愚問ではある。ネットで調べると、どうやら、トンボは歩けないから、どこへ行くにも飛んでいるそうだ。そうじゃないでしょ!自分が思ったのは、もっと根源的な、<いのち>に係わる疑問なのだ。

自宅数息1セット目、15:00-15:45、端座位数息300回、般若心経2回。

200回までは順調に進んだが、250回あたりで居眠りが始まった。一度などは、ビックっと、後ろにのけぞった。<のけぞった>おかげで、少し意識が戻り、300回まで数え終えた。そのあと、心経を読み終えて、横になり、昼寝に移行した。

自宅数息2セット目、17:05-17:55、端座位数息300回、般若心経2回。

170回くらいで、首筋が少し痛くなる。前後に少し動かして、微調整するが、最後まで、違和感が取れない。

前半に<雑念>と<想念>が出る。<雑念>は最近よく見ているユーチューブの格闘技コンテンツだ。その中の場面が、ランダムに浮かび上がる。<想念>は、姉や甥に関する、昔の出来事だ。唐突な感じで、なぜだか、わからない。

後半は<数>と<端座位>に<受動的集中>を心がけた。<雑念>も<想念>も消えて、瞑想状態に近づけた。

自宅編 #12

2024-8-13(火)曇りのち晴れ、猛暑日、37度越え。

自宅数息1セット目、5:25-6:20、端座位数息300回、般若心経2回。

開始してすぐに<雑念>が出る。また、ユーチューブの格闘技コンテンツだ。総合格闘技での1分間の殴り合い、喧嘩だ。刺激が強いのだろう、脳にいつまでも痕跡が残っている。だが、50回を過ぎたあたりで、<数>と<端座位>に<受動的集中>をしたので、<雑念>は消えた。

そのあと150回あたりでイメージが出る。緑の草原の中を、色とりどりの洋服を着た幼稚園児たちが、バラバラと走っていく。かなり鮮明な表象で、頭の中なのか、目の前の空間なのか、判別しがたい。

あと、250回前後で、首筋が少し痛くなる。外の自動車のアイドリング音なども気になり、集中が切れた。

首筋の痛みは、首を前後に動かして微調整した。だが、改善しなかった。背筋と首筋の上に、頭がちゃんと載っていないから、時間が長くなると、緊張して痛くなるのだろう。背筋、首筋をまっすぐ伸ばすこと。いまだに体得できていない。

自宅数息2セット目、13:00-13:50、端座位数息300回、般若心経2回。

はじめてすぐに<雑念>が出る。一つは、実家の庭が乱雑になっていたこと。もう一つは、秋の四国遍路旅のこと。両方とも、<数息>の直前に想起していたことだ。

そのあと150回くらいまでは順調。ただし、<おなら><かゆみ>など、不動の姿勢に対する<抵抗>が出る。<おなら>は一度だけ、尻を浮かしてガスを抜いた。右鼻の<かゆみ>は、三、四回、やり過ごした。

あと、頭の中に、やや鮮明なイメージが出てきた。白っぽい軍服を、だらしなく着た少女だ。誰かと向かい合って話している。

250回あたりで、数を数え間違える。何回か、堂々巡りをする。居眠りしているのではないが、<漠としたイメージ>に気を取られて、数を忘れるのだ。瞑想状態よりは居眠りに近い状態なのだろう。そうそう、今回は首筋に違和感がなかった。

般若心経の言葉(1)

摩訶般若波羅蜜多心経

音読み―まか はんにゃ~はらみった~しんぎょう~

現代語訳―偉大なる 知恵の完成についての 心髄の経

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