レキシントンの幽霊
相変わらず村上春樹さんの短篇小説集を出版順に再読しているけれど、メッセージ性が強くなってきているのを感じる。
著者が「あとがき」にも書いているように、この短篇集は、アフターねじまき鳥(著者の長編『ねじまき鳥クロニクル』出版の後=アフター阪神大震災=アフター地下鉄サリン事件)とビフォアねじまき鳥のそれぞれの短篇が収められており、「ひとつの気持ちの流れの反映」があった、とある。
「レキシントンの幽霊」では、あるものが異なるカタチで現れると登場人物が話しており、それは「七番目の男」において「私の場合は波だったのです」となる。(なるほどそしてこの2篇がアフターねじまき鳥だ)
もうひとつ。
「そのものが怖い」のではなく「想像することが怖い」ということや、逆に、想像することが攻撃性を持つ(これは「緑色の獣」より)ということにもフォーカスされている。
さらに、最後に収められた「めくらやなぎと、眠る女」は既出のもので、今回は短縮バージョンとされつつ、加筆されている部分がある。メッセージだなぁ。
一方、悲しい短篇ばかりを立て続けに読んでいると何かしらの腹立たしさを感じることもしばしば。
例にもれずこの短篇集も哀しみと喪失のオンパレードだったと思う。
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【好きな短篇ベスト3】
1. 沈黙
2. 七番目の男
3. トニー滝谷
「沈黙」はもう5回ぐらいは読んだと思うけれど、今回は特に目頭が熱くなった。普段、物静かな人はなにゆえに静かなのだろう。ある種の人たちは語ることをやめてしまったのかもしれない。そういうのは年々、わかる気がするんだなぁ…。
「氷男」はどこまでがユーモアかわからない絶妙な線引きに時々くすっと笑ってしまった。氷男の思考はいかにも氷的。妻となる女性は始終、孤独だ。それを望んでいるようにも見える。
過去はひとつひとつ、清潔に氷の中に閉じ込められていく。
そこには過去も未来もない。遠い氷の世界で、氷の涙を流し続ける…。
「トニー滝谷」は映画の方もインパクトも強く、トニー滝谷=イッセー尾形となってしまっている。
僕はこのイッセー尾形さんがとても好きで、そのあと一人芝居のYouTubeをいろいろ観た。
亡き妻の膨大な服を見た、働くはずの予定だった女性が泣くシーンがしっかり描かれていて印象的。
服を買うことをやめられない妻。宿痾。
「七番目の男」で語る男性は転地療法の後、およそ40年ぶりに故郷に戻る。
そういえば僕の知人で2人ほど転地療法をすると言っていた人がいる。今はどうしているのだろう。転地療法には何かしら興味がある。
フィッツジェラルドの『夜はやさし』とか。
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【著書紹介文(裏表紙より)】
古い屋敷で留守番をする「僕」がある夜見た、いや見なかったものは何だったのか? 椎の木の根元から突然現われた緑色の獣のかわいそうな運命。「氷男」と結婚した女は、なぜ南極などへ行こうとしたのか……。次々に繰り広げられる不思議な世界。楽しく、そして底無しの怖さを秘めた七つの短編を収録。
この短篇集『レキシントンの幽霊』は、僕が唯一、風呂で読んでいて、ドボンしてしまった本で…今もしわくちゃです…。
ちょっと次は短篇集から脇道にそれてみます。また戻って最後までいきます。
ヒントはブルータスの年譜に。
(書影は https://books.bunshun.jp より拝借いたしました)
【関連note】
映画「トニー滝谷」
沈黙
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