5月29日。スポーツライターの山際淳司さんが亡くなって26年。著作を読み返し、過ぎた年月を思う。
きょう5月29日。「江夏の21球」などの著作で有名なスポーツライターの山際淳司さんが、1995年のこの日に亡くなって26年が経つ。この間のスポーツシーンの変遷に、過ぎた年月の長さを改めて思う。
山際さんの著作に「スタジアムで会おう」という作品がある。角川文庫で出版されたのは1996年(1992年に出版された本が文庫化された)。山際さんが亡くなった翌年のことだ。改めて読み返してみた。
この文庫に「スタジアムからの贈り物」というエッセーが載っている。前半部分ではゴルフのマスターズトーナメントを1980年に取材した時の様子が書かれていた。青木功さんの4日間のプレーを追うつもりだったが、予選落ちしてしまったという。
そのマスターズで、今年、松山英樹選手(29)が日本人初の優勝を遂げた。山際さんはゴルフの著作も多かった。マスターズの優勝選手が表彰式で着るグリーンジャケット。松山選手が身に着ける様子を、山際さんが見ていたら、どのようなことを思ったのだろうか。私はテレビでマスターズを見ながら思っていた。
そのエッセーでは、ほかのスポーツのことにも触れている。日本のプロ野球のペナントレース、アメリカ野球のプレーオフなど。
米国では、山際さんの亡くなった年に、各リーグで上位4チームずつのトーナメントを行う方式がスタートした。これでワールドシリーズ進出チームを決めることになった。山際さんはNHKで「大リーグアワー」という番組の司会を務めたことがあったので、このポストシーズンに、きっと目を細めて喜んでいただろう。
日本でも2004年からパリーグで上位3チームによるトーナメントで、日本シリーズ進出チームを決める方式が導入された。07年からはセリーグでも導入され、両リーグともに「クライマックスシリーズ」と名付けられた。
ちなみに、この文庫の帯には「野球界では、野球の真理を話せる人が少ない。山際さんは貴重な方でした。残念でしかたありません。」の野村克也さんのコメントが掲載されている。そのノムさんも、今では鬼籍に入られている。
これだけ、スポーツシーンが様変わりした。改めて、山際さんが亡くなって26年という年月の長さを思ってしまう。
今でもスポーツを見ながら、「山際さんだったら、どう感じるだろう?」と思うことがある。
山際淳司さん、亡くなって26年たっても、私の中では、今も生き続けています。
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