存在嫌悪、存在不適応
失敗から立ち直れない、許せない
「その時はベストな選択をしたんだから、何も悔やむことはない」というような言葉を聞いた。そうかもしれないが、自分で自分が許せないようなことをするんじゃなかったとずっと思ってる。自分が許せないということをやめたいと思わない。どうにもできなかった不注意に対して、他人や自分に咎められることに耐えられない。あの時の失敗の原因となっていそうなもの全てに怒りを向けずにはいられない。
他の人から見れば、「~すればいいだけじゃん?」と思うかもしれない。自分でもそうなんだろうなと一瞬思うが、なぜかしっくりこない。自分を肯定すること、許すこと、諦めること、それらが難しい。自分でも自分の気持ちが分からない時がある。怒りだけが膨れ上がって怒り以外の私を侵害する。
才能がある、優秀、活躍している。そんな人達を見ると、自分が苦しんで生きてる必要性が分からない。自分が無力で急に泣くことがある。社会に役立つような人間だと感じられなくても、全ての人が自分にしかない世界の見え方があるのだから、それだけで存在価値があるとも言えるが。そうだとしても私は死にたい。
何もかも嫌悪したくなる。消費し、消費されないと生きていけないことに疲れる。消費循環型社会。存在することが気持ち悪い。
死にたい気持ちはずっと変わらない
紙に「死にたい」「もう死んでいい」「自殺する」「急死する」「殺してほしい」と書く時がある。
もう死にたい、あの時~していれば・してなければ良かった、と何年もずっと思っている。ふと泣いてしまうことがある。何の引き金もなく急にじーんときて泣いたり、1日中泣きそうな感じの時もある。
たまたま世界に適応できなかったんだ…それも私にはあまり慰めにならない。どんな言葉を聞いても、私は存在というものを肯定出来ないのだろう。
存在不適応者なんだよな。