今出来ることをしていけば、地道に生きていくことが出来るかもしれない。だが、現状を肯定してそんな風に生きようとすることは、私が夢のために頑張った過去の私を否定することになる。 現状を肯定しようとは思っていないし、過去の私を責めずにはいられない。過去も今もなければ良かったことがある― “過去の私”と“今の私”が一緒になって“過去の私”と“今の私”を否定している。あってほしくなかった過去と今に悲しみ怒っている。どこまでも大きくなる悲しみと怒りを、今と未来の私で昇華させることな
毒親じゃなくても親は毒になる 親から言われたことで許せないことを思い出して、怒りが込み上げてきて泣くことがある。私が幼い頃に夫婦喧嘩した時、なぜ私の目の前でしたんだ?私がそれを見て何を感じるかなぜ考えてくれなかったんだ?私が子供の時に父はよく怒鳴っていたし、気に入らない人には暴言を吐いていた。 私は勉強する時、強迫観念的なものがあった。多分そのせいで私は勉強ができる方ではなかった。そのことは今も深い根をはるように、私を侵蝕している。私が勉強しても大した実りにならないのではな
失敗から立ち直れない、許せない 「その時はベストな選択をしたんだから、何も悔やむことはない」というような言葉を聞いた。そうかもしれないが、自分で自分が許せないようなことをするんじゃなかったとずっと思ってる。自分が許せないということをやめたいと思わない。どうにもできなかった不注意に対して、他人や自分に咎められることに耐えられない。あの時の失敗の原因となっていそうなもの全てに怒りを向けずにはいられない。 他の人から見れば、「~すればいいだけじゃん?」と思うかもしれない。自分でも
幸福を賭けた戦い 人間は生存戦略に駆られている。生きることは戦争のようだ。社会的に生き残れるように競争したり自分の生き方を模索する。この世界は全ての人が幸せになれるではない。生きていて良い権利を全ての人が持つことはできないように見える。ただ少しの娯楽をもって生活できればいいだけなのに、それがどうして困難である世界なのか。 社会や現実や才能が夢を壊した 好きなことを見つけ、やりたいことがあったら、それは苦しみながら遠回りして辿り着かないといけないのだろうか。美談を語るために苦