一生懸命な母親がやっていたのは「子育て」ではなく「子守り」だった。
たとえば、加熱したヤカンがあったとする。それに触らないようとするのが「子守り」だ。一方、あえて触らせて学習させようとするのが「子育て」だ。もし大火傷するようであれば、むろんそんなことはさせないが、そうでない限り、学びの機会は摘むべきではない。子供を生涯護りつづけられるわけではない。人生体験から得た叡智を、どれだけ子供に授けられるかが、子育ての本質なのだ。夫婦喧嘩の多くは、子供への向き合い方が発端となる。その多くは、母親の「子守り」対父親の「子育て」という図式ではないか。すくな