親と同じ仕事に就くのが賢明だ。

「学校スター」は、社会に出てから転落する。

学校には20年通ったが、社会性は身につかなかった。学校に対する反発心から、むしろ反社会性が身についてしまったかもしれない。
まがりなりにも社会性らしきものが身についたのは、仕事を通じてである。
私は大学2年で起業した。途中4年ほど会社に勤めたが、前後20年もの間、自営業者として生きてきた。
名刺や肩書きに頼れない身の上、そのなかで切った張ったするためには、その世界でのしきたりやつきあい方に習熟しなければならない。それが私の社会性の根幹を成した。
さて、そもそも社会性とはいったい何なのか?
一般的には、誰とでも打ち解けて折り合いをつけられるコミュニケーション能力を指すのであろう。
学校生活でいえば、「友だち100人」できるような協調的で、部活などに積極的に取り組む活発な子の持つ特性だろう。
だが、そんな社会性は学校という特殊な世界においてのみ重宝される特性であり、実社会で通用するかとなると話は別だ。
私は大学での講義で、しばしば「話し上手より聴き上手。中途半端な話し上手は、うざがられるだけ。実社会は結局、好かれるかどうか。手堅く、聴き上手を目指そう」とけしかけている。
彼ら学生はしょせん「お客様」だ。お客様としての社会性をふりかざしたまま社会に出れば、即二軍生活だ。一軍での活躍は望めない。
なぜなら、社会人とは価値の提供者であり、お客様とは対を成す関係にあるからだ。
学校的社会性はあったが、実社会的社会性に欠ける。学校のスターたちが就職したとたん失速し、転落していくのはこうしたケースだ。(つづく)


親と同じ仕事に就くのが賢明だ。
要は「社会」などというものは世間にごまんとあり、そこで求められる「社会性」なるものはそれぞれ異なるということだ。
たとえば、自営業者とサラリーマンにしても、日常的な人間関係の作法や心がけはまるで違う。
たとえるなら、戦国大名という経営者に求められるのは組織を生き延びさせるという能力。俗にいう「腹黒さ」であるのに対し、家臣たるサラリーマンに求められるのは忠実さや潔さという「腹白さ」だ。

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