ほねなしのはなし
スポンジの話から始めたい。
知っている人も多いと思うが、高級なスポンジは生き物の死骸だ。もちろん台所で使っているお皿を洗うスポンジは化学製品(ウレタンフォーム)だけど、そもそも、スポンジを日本語にするとカイメン(海綿)で、海の生物なのである。とくに、浴室で使う高級品は、地中海などで生きていたものを、一旦、乾燥させて利用しているそうで、化学製品はこれに似せて作ったもの。種類は違うが、日本の海でも、岩場に行くと簡単に見つけることができる。
カイメンのからだはスカスカ。神経も筋肉もなく、そもそも内臓がないし、腸もない。穴だらけの体の中には、べん毛がついた「えり細胞」っていうのがあって、これで水の流れをおこして穴から海水を取り入れ、ろ過して栄養分を得ている。何でも、すべての動物の祖先が、この「えり細胞」によく似た「えり鞭毛虫」という単細胞生物だと言われていて、カイメンは、そんなかなり原始的な特徴を残している生物だと言えるのかもしれない。
そう、すべての動物には共通の祖先がいた。たとえば、考えにくいかもしれないが、ミミズとヒトにも共通の祖先がいた。カイメンは、ものすごく初期に枝分かれしたグループだが、長い年月をかけた進化の歴史の中では、色々なタイプの動物が現れてきた。そして、この枝分かれという考え方は、生物学の中でもとく大切なものだ。進化という言葉を間違って使っている人もいるが、進化の基本は枝分かれなのである。つまり、元のグループから新しい特徴を持った子が生じ、たまたまそれが生き残って多くの子供を残せるようになると、新しいグループとして繁栄する。絶滅したものもたくさんいるが、そもそも、生物のグループっていうのは、大きな枝の先でさらに分かれていったものだと考えることができる。
こんなふうに考えていくと、理科の教科書、とくに中学校の理科の教科書には大きな問題がある。それは、動物を骨あり(セキツイ動物)と骨なし(無セキツイ動物)の二つに分けていることだ。もちろん、ある意味、間違っているとも言えないが、セキツイ動物っていうのは、今、考えられている
の34(31~35)のグループの内のたった一つのグループである。つまり、背骨の有無なんていう特徴は大げさに言うほどのものではなくて、そんな特徴よりも、肛門がある・ない(口から食べて、同じところから出す……)とか、脱皮する・しない、といった特徴の方が、よっぽど大きな問題なのである。つまり、骨ありと骨なしを比べると、骨なしの方が圧倒的に多数派だったりする。
さらに、この骨なしの中には、骨ありの常識では考えにくい特徴をもったものがいる。その一つが増え方だ。からだが分裂して増える、ちぎれて(バラバラになって)どんどん増える、枝のようなものを伸ばして増える……、なんていう方法は、(狭い意味での)骨ありにはできない。さらに、骨なしの中には、オスメスのあり方が、骨ありとは随分と違っているものもいる。たとえば、春先の海でよく見かけるアメフラシは、雌雄同体で、からだにはオスメス両方の生殖器官がそなわっている。オスの生殖器官は体の右側前方に、メスの生殖器官は左側後方にあるので、何匹も並んで同時につながっていることもある。アメフラシの恋愛は、人には想像もできないようなものなのである。
こんなことを書いていたら、以前、タコの解剖をしたことを思い出した。目的は、タコではなくて、タコの腎臓に寄生しているニハイチュウという生物を見るためだった。体の細胞の数が30個ほどしかない顕微鏡サイズの動物で、そんな体の中には、小さな子供がいくつかいた。この子供には二種類いて、一つはタコの腎臓に留まり続けるタイプ、もう一つは、タコのおしっこと一緒に外に泳ぎ出すタイプだったりする。旅をする子供と、親元に留まる子供、形がまったく異なる二種類の子供を産む、こんなことも骨ありの常識で考えると、やはりちょっと想像ができない。
こんな具合に、いろいろな生物を見ていると、私たち骨ありの常識が、ある意味偏ったものだと思わされることがたくさんある。常識に囚われないトレーニングの一つとして、骨なしのことを知っておくことは良いことかもしれない。
筆者:教諭