大野誠士
世界に起こっている変容・今起こっているパラダイムシフトについて触れた記事を集めたマガジン。
自分の体験や感じていること
チャールズ・アイゼンシュタインの著書の翻訳を公開。社会や環境が危機に瀕している時に、個人として私たちは世界を良くするために何が出来るでしょうか?この本は、この危機の時代に、私たちの多くが感じているフラストレーション、麻痺や圧倒される感覚に立ち向かうための力強いメッセージを送ってくれます。それは私たちが忘れてしまっている真実を呼び覚まし、私たちには皆繋がりがあって、私たちの小さき個人的な選択は世界を変えるパワーを持っているという真実を思い出させるのです。今の世の中にはびこる分断ではなく、本来存在するありとあらゆるもののつながりを思い出し、それを生きることで私たちは世界に良き変化をもたらすことができるようになるのです。
英語の小文や詩などを訳したものや、書き留めた言葉たちを集めたマガジン。
より美しい未来のために考え行動していくこと。それは難しいことではあるけれど、同時にそんなに難しいことでもないのかなとも思う。 危機の時代の最中、脱炭素やSDGsみたいな目標が掲げられるようになっている事実は歓迎するけれども、それらの言葉を聞いてもあまり心は震えはしないし、実際にどんな行動をすればいいのかも思い浮かびにくい。 むしろ、自分が生きていたい未来を思い浮かべることから明晰さと行動への力は湧いてくると信じている。身近なかけがえのない生命にあたたかな眼差しを注いでいる
このマックス・リヒターの新曲 Music Video「動き、すべての花に先立つ」を観ると、そこには鬱々とした様子の若い女性の姿。音楽を聴きながら、ホルヘ・ルイス・ボルヘスの本を読み、日記にペンを走らせていく。そして、最後に微笑の兆しのようにも見える表情が映し出されている。 おそらく、ここでの「動き」とは、家父長制が得意としない、主に内面へと向かう下降の動きのこと。 人間の一生で大きな「死」の訪れは一度だけれども、小さな「死」からの招きは何度も訪れる。それは「悲しみや鬱、グ
今年のはじめにHealing Flow という言葉が浮かんできたことで、自分がやろうとしてきたこと、やっていこうとしていることの源泉となっている意図が明確になってきている。 直感に従って生きようとしていると、現在進行形では、なんであれとかこれを今やってんだろうみたいに感じて、それらがどうつながっていくのか後にならないとわからないこともあるので 笑。 その意図とは、内面と外側の世界の両方を含むさまざまな領域で滞ってしまっている本来の自然なつながりの「流れを癒し・再生すること
本の内容紹介、著者チャールズ・アイゼンシュタインについてと目次。 心が私たちに語りかけるもっと美しい世界について私は伝えています。なぜなら、「分離の論理」に染まった私たちのマインドは、私たちにそれは不可能なことだとたびたび言ってくるからです。私たちがインタービーイングという新しい論理を受け入れはじめても、古い疑念はいつまでも残っています。それは、頭を使っての考えが、存在の全体的な状態の露出している一部にすぎないからです。この本では、その存在の状態のさまざまな様相、つまり、
取り組みの内容が違っていても、本来の調和の取れた全体性の回復のために、滞っている流れや絶たれた循環をそれぞれの持ち場で癒していこうという同じ志を持つ仲間たちと出会うのは嬉しい。 どのレベルで再生が起ころうとも、それは他のレベルでの再生と必ずつながっている。 お二人は、Vascular Facilitation Process® (VFP®)というアプローチを用いて、身体の中に存在するさまざまな流れの再生を促している。 海や川にゴミや廃棄物が溜まることで水の循環が損なわれ
いつか同じ空間に身を置いて、Luca さんの音楽を聴いてみたいと思っていた。 メディアを通して今まで聴いてきたLucaさんの音楽にすでに深く心を動かされてきたけれど、何も機械を通さないで直接浴びる彼女の響きはぼくの心身をどう揺らすのだろうかと思っていた。 どこから声がやってきているのだろうと思うほどの透明なアカペラの歌声と穏やかなギターの音色がその空間全体に優しく行き渡っていく。 静かに感動しながらその響きに身を委ねはじめると、隣に座っていた方はすぐに涙を流しはじめ、コ
スピリチュアルに深く関連するスピリットという言葉の語源は、ラテン語のspiritus という言葉。 それは「呼吸」や「風」という意味を持つ。 その古来の意味に立ち返るのであれば、「スピリチュアルな人」というのは、何か特別な力や神秘的な力を持った人のことなわけでもなく、深く呼吸して生きている人のことを指す。 自分自身の本質と深くつながり、 ルーツや祖先からのつながりと未来世代へのつながりの連続性の中で生かされていることを知っていて、 周りの関係性や環境とつくりだす互恵
近年よく耳にするようになった「サスティナビリティ」や「持続可能」という言葉に違和感を感じ続けていた。 近代の人間の生き方が、さまざまな自然の循環を断ち、内外の生態系に痛みをもたらしているのであれば、むしろ今必要なのはあらゆるレベルでの「リジェネレーション」や「再生」なはずだと。 再生への取り組みを共にしていく中で、ようやく本当に何を持続していきたいのかがはっきりしてくるのではないかと。 すべてはつながっているという知覚も再生されなければならないことの一つなのだと思う。
本の内容紹介、著者チャールズ・アイゼンシュタインについてと目次。 物語のレベルでの働きかけは、もっと美しい世界を創造するための鍵であるだけではなく、霊的な修行と常に呼ばれてきたものと同一のものです。言うまでもなくそうなのです。なぜなら、私たちの「世界の物語」の根底には、他の人たちから、自然から、ガイアから、そして神と私たちが呼ぶかもしれないものから分離しているという思い違いを伴った「自己の物語」が存在しているからです。 私は『聖なる経済学』の中で、私たちが悟りという単
本の内容紹介、著者チャールズ・アイゼンシュタインについてと目次。 通常、私たちが「インタービーイングの物語」の中に立てているのは、単に意志によるものではありません。それは「分離」による数々の傷を癒し、その習性を変化させ、再会という思いがけない領域を発見していく長いプロセスなのです。あるときは突然、あるときは少しずつ、あるときは努力によって、あるときは恩寵によって、あるときは誕生のように、あるときは死のように、あるときは痛みを伴い、あるときは栄光に満ちていて、それは深遠な変
本の内容紹介、著者チャールズ・アイゼンシュタインについてと目次。 物語のレベルで働きかけることには二つの側面があります。第一に、「あなたが現実だと思っていたことはただの幻想にすぎない」と述べ、古きものを崩壊させます。第二に、「実現可能なことや現実は、あなたが知っているよりもはるかに壮大なのです」と伝え、新たなものを差し出すのです。一つ目を私たちは危機や瓦解として経験します。二つ目を私たちは奇跡として体験します。物理学の法則にそむくような、外側の神性によるこの世の問題への計
本の内容紹介、著者チャールズ・アイゼンシュタインについてと目次。 私たちが知っている世界は、物語の上に成り立っています。チェンジエージェントになるということは、第一に既存の「世界の物語」を途絶えさせ、第二に新しい「世界の物語」を語ることであり、そうすることで物語と物語の間に入り込んでいく人たちは行き場を得るのです。大抵、この二つの機能は一つに混ざり合っています。新しい物語を語るために私たちがとる行動は、古い物語にとっては破壊的なものでもあるからです。 これが、私の働き
本の内容紹介、著者チャールズ・アイゼンシュタインについてと目次。 この物語は、トーマス・クリアリーが『活力、エネルギー、スピリット: 道教資料集』の中で翻訳した『列子』として知られる古代の道教の寓話集からのものです。クリアリーは次のように説明しています。「(この物語は)弁証法的な推論の限界を説明するもので、よってより包括的な意識の状態を間接的に示唆しています。孔子を揶揄したジョークとして描かれたこの寓話は、それ自身の仮定の範囲内では筋が通っていても、より広い文脈の中では無
本の内容紹介、著者チャールズ・アイゼンシュタインについてと目次。 すべての寛大な行為は、寛大であることへの招きなのです。すべての勇気ある行動は、勇気を持つことへの招きなのです。すべての無私の行いは、無私であることへの招きなのです。すべての癒しの行為は、癒しとなることへの招きなのです。そのような行為を目の当たりにして、あなたもこの招きを感じたことがあるはずです。 ペルーで起きた列車事故についてのニュースを読んだことがあります。旅行者や観光客は冬の山岳地帯に取り残され、食
本の内容紹介、著者チャールズ・アイゼンシュタインについてと目次。 時々、Q&Aセッションやインターネット上のコメントの中で、「人間のダークサイド」を私が無視しているとして非難されることがあります。その言葉を紐解いてみようと思います。人間のダークサイドとは何なのでしょうか?それは、「時々、人はかなりひどいことをする」以上の意味を持つのは確かです。もしそれが誰かのせいでもなく危害を加えるつもり意図もなかったとしたら、当然それはあまりダークではないからです。また、私の著作を読ん
本の内容紹介、著者チャールズ・アイゼンシュタインについてと目次。 変化は時の権力者たちに打ち勝つことではなく、彼らの変容によってもたらされると論じました。私たちが、多くの目を通して世界を眺めている根本的には同じ存在なのだと述べました。私たちの悪の認識は、他の人のようになるのはどのような感じなのかを理解していないことに起因していることを説明しました。私たちが他者に対して行っていることは私たち自身に対しても行っていることであり、それは感じることができる何かであると主張しました