記憶することの意味
あらゆる情報に簡単にアクセスできるようになった昨今では、暗記することの重要性が薄れているように感じます。調べてすぐにわかることを覚える気にならない私は、引越すと一年以上、新しい住所を覚えられません。
大量の記録を電子媒体に保存できる上に、AIによるサポート機能が発達していくことで、ヒトが記憶しておく必要性はどんどん少なくなっていくような気がするのです。
しかし、依然として記憶学習は重要であることを、私は主張します。
記憶の引き出しは不思議なもので、個々に独立しているようにみえて内部で複雑に絡み合い、知識を前提とした思考を生み出します。それは時に意外な記憶同士の混線をきたして、ある種の「閃き」として時代を進めます。
学習と閃きについては、しかしAIもいずれ到達する領域なのかもしれません。既にチェスの世界では人類の頭脳よりもAIの方が優れていますし、将棋の世界においても遠くない未来、ヒトはAIに勝てなくなるのでしょう。
それでもヒトが情報を記憶するのはなぜか。
それはユーモアのためです。
例えば新しい推理小説を読むときに、予め古典的な名著を読んでおくことは、オマージュやパロディに気付くという面白さを齎します。笑いは狭いほど面白いものですから、細か過ぎて伝わらないモノマネもそうですが、知識の幅が広いことは世の中の面白いものに気づきやすくなるというメリットがあります。雑学のメリットなんてそれくらいです。人生は面白い方がいい。
さて、この短い文章の中に幾つパロディネタがあったでしょうか。
実は、ひとつもありません。
もし何かのパロディ感に気付いたという方がいらっしゃいましたら、ぜひご教示いただければと思います。ネタを散りばめようとして何も思いつかなかった私は、とりあえず呪術廻戦を1巻から最新刊まで読み直します。しゃけ。
拙文に最後までお付き合い頂き誠にありがとうございました。願わくは、貴方の人生がくだらないことで笑えるような、楽しい時間でありますように。
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#子どもの成長記録
#最近の息子の持ちネタ #小島よしおのパロディ #そんなの関係ねぇ #最後の決め台詞がオカピになってる #おっかっぴー
#三歳の息子の小島よしおを一歳半の娘が真似しています
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