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言霊について

 素敵な記事に出会いました。

 言霊は存在します。

 しかし「言ったことが本当になる」ような、単純なものではありません。まことしやかに書かれている記事を散見しますが、『核心』を捉えているものは殆どありません。

 古来より「言霊信仰」のある日本では、特に神道において誤読や忌み言葉が注意されるように、言霊の負の部分に強い規制が敷かれました。これは本質からズレた危険な思想であって、極端なことをいえば戦争中に「日本が負けるかもしれない」と発言したものを「敗戦主義者」といって取り締まるようなことの骨子になり得ます。

 言霊の負の側面を気にするあまり、言論の自由から遠ざかっていく文化は、およそ寛容とは遠く時代に逆行する不自由さと生きづらさに繋がるものです。

 一方、言霊の正の側面に目を向けたとしても、気持ちが追いついていないのに無理をするばかりでは、いずれ心が悲鳴をあげるでしょう。

 言霊とは何か。

 それは心の在り方から発せられる現象です。

 表面の言葉だけ整えたところであまり意味はありません。言葉になる前の思考、思考になる前の心、心を規定する魂まで遡ると、言霊は確かに恐ろしい程の力を発揮します。

 それは「祝い」にも「呪い」にもなります。

 例えば医師になって間もない頃、よく面倒をみてくれる上級医がいました。私が当直をする日には必ず気にかけてくれます。しかし、その上級医が「今日は落ち着いているといいね」と言った日は、必ず大荒れで眠れない夜を過ごしました。表面は気遣う言葉でしたが、心情は「若い医者は苦労してこそ育つ」という上級医の哲学があったようです。私にとっては「呪い」でした。

 例えば妻は、シャインマスカットが食べたいなぁと言えば数日後に偶然シャインマスカットの贈り物をいただき、こういう車が欲しいなぁと言えばピッタリ該当する車が新古車で大幅値下げされて即購入できるような、「叶い過ぎる人」です。彼女は気に入った人や物を自然と祝福してしまう不思議な力を持っています。


 声に出すことが言霊の発動条件のように説明されることもありますが、それは正確ではありません。たしかに声に出すと力を宿らせやすくなりますが、書字によっても、電子端末上にも、言霊は存在します。

 私は今日も祈りを込めて文章を書きます。

 言霊が電子の海を介して世界中に伝わることを願い、言葉を紡ぎます。

 平和を祈ります。

 何処の、とは敢えて言及いたしません。

 誰も彼も他人事ではありません。
 私は私に出来ることを重ねます。

"Even if I knew that tomorrow the world would go to pieces, I would still plant my apple tree."
(明日もし世界が砕け散ろうとも、私はこのリンゴの木を植える。)

マルティン・ルター


 拙文に最後までお付き合い頂き誠にありがとうございました。願わくは、貴方の言葉に力が宿り、無限の可能性が花開きますように。


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渡邊惺仁
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