嫌う勇気
「ほんとイヤなの。」
そう言って彼女はテーブルに伏せました。居酒屋の喧騒の中にあってもよく通る、眼鏡の似合う地下アイドル系なアニメ声を、私は忘れないでしょう。何処となく『ちびまる子ちゃん』の登場人物に似ています。そうだ。たまちゃんと呼びましょう。
たまちゃんは大学の同期で、当時は私と同じく医者の卵でした。1年次の講義で何かの発表をした際に、声の独特な様子にビビッと来て話しかけたことを契機に、時々飲みに行く仲になりました。
たまちゃんには、仲良し3人組がありました。彼女たちは高校の頃からの友人関係で、いつも一緒にいるように見えて、同じ部活に所属していました。
たまちゃんと、まる子と、そこに城ヶ崎さんが加わったような様相です。まる子は原作よりもインテリ高身長で、城ヶ崎さんは原作を凌駕するビッチなトラブルメーカーでした。
城ヶ崎さんは非モテ童貞諸君を次々と食べ歩き、サークルクラッシャーの名を恣にしているようでした。その傍ら、たまちゃんとまる子は同一人物に好意を寄せて、これまた泥沼のような人間関係が構築されていきました。
たまちゃんは、城ヶ崎さんのことがイヤだと私に言いました。そうして、まる子に関しても「ほんとイヤなの」と私に言いました。そう言いながら、昼は3人で仲良さそうにしていました。
なんでやねん。
たまちゃんは、まるで人を嫌うのが悪いことのように振る舞いました。好きとか嫌いとか、そういう感情は自然に発露するものなのに。好きは止められないし、嫌いも同じことです。それ自体には善も悪もありません。
嫌いだからと迫害したら罪ですが、無理に仲良くする必要などないでしょう。仕事上の事務的な付き合いが必要ならコミュニケーションをとらざるを得ないけれど、それ以上は御免です。
キライを隠すとロクなことになりません。付き纏われても迷惑ですし、耐え切れず爆発したら戦争です。陰鬱なイジメに進展し得る「隠されたキライ」という感情を、私は恐ろしく感じます。
斯く言う私は先日の外来で嫌いなタイプの患者に遭遇し、正面から嫌いだと告げました。その人は他力本願の化身のような立ち振る舞いでしたから、自分の責任を認め自ら病を治そうとしなければ永遠に苦しみが晴れることはないと、明確に伝えました。
私は昔から他力本願が嫌いです。
以前は仕事だからと思って我慢していましたが、それも止めました。すると随分と心が楽になって、正直に相対した方が却って上手くいくことばかりで、自分はいったい何を悩んでいたのだろうと過去の葛藤が阿保らしく見えてきました。
私には、或いは彼女にも、嫌う勇気がなかったのかもしれません。
たまちゃん。何か悩んでいませんか。
風の噂で貴女が医者を辞めたと聞きました。色々なことに気を使い過ぎて、身動きが取れなくなっていやしませんか。こんなところで好き放題に自分のことを書かれて、それでも貴女は笑って許してくれそうですが、練習も兼ねて身勝手な私に「キライ」と言えばいい。きっとラクになります。
拙文に最後までお付き合い頂き、誠にありがとうございました。願わくは、嫌う勇気と嫌われる勇気の向こう側に、愛し愛される関係性を。