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先読みの功罪
「あの人さ、」
休憩室で電子カルテに向き合いながら、隣に座る同僚が呟きました。
「…色々あったけど振り返ってみたら、結局ぜんぶ惺仁の言った通りになっちゃったよ。」
私を名前で呼ぶ彼は広島出身の優しい男で、肺癌診療のスペシャリストを目指す若き呼吸器内科医でした。相当の読書家であった彼とはウマが合って、多忙な診療業務の合間、よく行動を共にしていました。
当時、中堅といわれる経験年数に近く、しかし診療上の重要な意思決定の際には指導医の判断を仰ぐ必要があるくらいの時期だったと思います。或る患者のことで、彼は悩み続けていました。
日頃から先を読む癖のある私は、診療においても予測を立てることが得意でした。経験年数不相応な、ある種予言めいた直感を携えて想定内に落とし込む診療スタイルは、奇妙に見えたことでしょう。
「あの時『もう抗がん剤をやめましょう』って俺が言えたら、それで最期の時間を作ってあげられたら良かったのかなぁ…」
「どうかな。線引きって難しいから、何が正解かなんて分かんね。」
「そうなんだけどさ…」
「期待と違った?」
「まぁ、ね。次の治療は効くかもしれないって、T先生も言ってたし、データも、効果はあったんだよ。でもあんなに痩せて、メシも食えなくなって、最後まで治療しながら副作用で死にかけて、歩けなくなって、『もう治療できないので転院です』って。あんまりじゃないか。」
「T先生は嘘をついたわけじゃないし、治療を選んだのは本人だし?」
「そりゃ、まぁ、うん」
「そうやって悩むのは、やっぱり君はイイやつだよ。患者ひとりの人生に向き合おうとしてる。俺も似てるから、なんとなく分かるんだ。さっき俺が言った『線引き』ってさ、治療の線引きのことじゃあないぜ。患者と自分の間に引く、線のこと。」
彼より2年ほど先輩だった私には、僅かばかりの経験値の差がありました。いつか緩和ケアを専門にする精神科医から謂われたことを、私は思い出していました。
『ねぇ、渡邊先生。患者さんとの適度な距離感って、すごく難しいと思うけど、全部向き合ってたら先生の体も心も保たないから、気をつけてね。白衣を着ることが、自分を守ることだって考えるといいよ。白衣が境界線になって、先生を守ってくれると思うから。』
近過ぎる、と私は感じました。どれほど近付いても患者と医師の関係は対等には成り得ません。境界線を曖昧にすることは、診療がうまくいっている間には双方に心地良く、しかし一旦治療が難渋し始めると耐え難い苦痛を生じます。
あるいは患者当人と同じ目線で、同じ期待を抱いて治療を続けたほうが、精神的にはラクなのかもしれません。期待と希望の中で治療を続けて、ダメになった瞬間に切り離す。自分は患者とは違う人間であって、その人生がどうなろうとも医者である自分には無関係である、と。その後は高度専門医療機関だとか、終末期を得意とする療養型病院だとかに転院を進めて、決定的な瞬間には触れないような。そういう診療スタイルを、しばしば見掛けます。
しかしながら彼のやろうとしていることは、似て非なることのような予感がしました。
彼は一通りのがん診療を修めてから、緩和医療の道を究め始めました。それは積極的抗癌治療を終えてから関わり始める従来の緩和ケアとは異なり、診断から抗癌治療を経て最期まで、その人生に関わるという覚悟の道です。
気持ちに寄り添う医療を提供する、と彼は云います。私は彼の心の強靭さに畏敬を感じずにはいられません。名前も明かさぬこの場所で、人知れぬ応援を胸に秘めて。
拙文に最後までお付き合い頂き誠にありがとうございました。願わくは、この世界に彼のようなタフで優しい名医が増えますように。
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