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哀悼と告発

「病って、無くならないのかもしれないわね。どれほど医学が進歩しても、また新しい病が出てきたりして。きっと。」

「生老病死は避けられない、と。」

「そう。…悲しいけどね。受け入れなきゃ進めないから。」

 彼女は決意めいたように語気を強め、それは自身に言い聞かせるような口調でした。夫に先立たれて数年、仏道に入り修練を積む彼女は、鎌倉仏教以前の、むしろ古典仏教に近い生命哲学を究めようとしているのだと分かりました。

 古典仏教では安易に生まれ変わりや永遠性を肯定しません。あの世なんて不確かなものを追い求めることもなければ、絶対神のような超越的存在を崇めることもありません。人生に訪れる苦悩を考察し、今生きる人が、今を生きるために必要な実学であったのかもしれないと、私は考えます。然らば仏陀その人は宗教家よりも哲学者と呼ぶに相応わしく、輪廻転生を政治利用した当時のバラモン教を打ち破る、破戒僧のような存在だったのかもしれません。


 同じ職場、異なる部署の医師が、急病で逝去しました。院内でも中心的な役割を担っていた壮年者の突然の訃報に、皆が信じられぬといった表情でした。哀しみは大きく、あたりに暗い影を落とします。人はいつか死ぬという定型分が、医療者ならば誰しも頭の隅に刻まれているでしょう。しかしながら、自分が、或いは自分に近しい人が、今日死ぬかもしれないと考える人は稀です。普通そんなことを考えていたら精神が保ちませんし、私たちが日常を健全に過ごせるのは、死という絶対的恐怖を健忘しているからに他なりません。兎も角、医者であれ誰であれ、人の死というものは周囲に大きな衝撃を齎す事象であると同時に、宇宙生命の誕生から現在に至るまで絶えず繰り返されてきた自然な現象であることを、私は幾度も認識します。

 医学史の裏側に、医療者の過労という闇があることを、誰も否定できません。医師の働き方改革によって本邦に齎されたのは、医療の質の低下と現場に丸投げの粗悪なシステムでした。

 果たして過労が原因だったのか。いいえ、きっと「因果関係の証明はできない」と判断されることでしょう。日本はそういう国です。ニュースにもならず、裁判にもならず、医療に人生を捧げた一人の医師の最期は、予期し得ない突然の病による悲しい出来事であったと、誰もが口を揃えて云うでしょう。

 webの片隅で、匿名という防具を外さずに、哀悼と告発を記します。ただ事実として、日本の医療制度は既に破綻しているのだということを、静かに書き連ね、そっと発信します。これを読む貴方が、どうか手の届く範囲の安寧を、守る一助となりますように。そんな願いを込めて。


 拙文に最後までお付き合い頂き、誠にありがとうございました。願わくは、正直者がバカをみない社会制度が、いつか実現しますように。




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渡邊惺仁
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