玉磨かざれば光なし
自分には才能がないと諦めた過去が幾つもあります。その道の成功者は「才能は磨いてみなければ分からない」と言います。
私の尊敬する或る天才ドクターは「一流には誰でもなれる。才能が問われるのは、超一流になれるかどうかというときだ。」と言いました。
プロフェッショナルと呼ばれる人たちの練習量は門外漢からみて驚愕的な量であることが多いように感じます。
私が「自分には才能がない」と判断してやめたことを振り返ると、それに取り組んだ量が全然足りていないことに気付きます。どれもこれも、才能以前の段階であったように思うのです。
両手から零れ落ちる砂のように消えていった可能性の粒を見送り、今私の手にある職は医師と占い師です。
例えば医師として働くためには医学部を卒業して医師国家試験に合格する必要があります。ここまでにも膨大な勉強量を要しますが、いざ医師として働き始めると、それまでの学習内容がごく基礎的な医学の序章に過ぎなかったことに気付きます。RPGなら最初の村を出たくらいです。
そこから知識と技術を磨き続けて、実戦の中で医師になっていくのです。
私は占い師としても活動していますが、これは趣味が高じたパターンです。初めは10代の頃に良く当たると友人間で評判になって、口伝てに知人の依頼を受けるようになりました。いつしかタダでは申し訳ないとお礼の品をいただくようになって、依頼件数が増え過ぎると収拾がつかなくなるからと料金を設定し、そうして占い続けているうちに気付けば20年以上になります。
没頭できるかどうか。
それも含めて才能という考え方もあります。
だから好きなことをやったいいと、私は強く思うのです。才能があるかどうかなんて他人には分かりません。継続していれば才能が開花するかもしれない。日常生活に支障をきたさなければ、好きなことを諦める必要性などないでしょう。
私は文章が好きです。
読むのも、書くのも好きです。
だから今日も書きます。明日も書くでしょう。
貴方の好きなことは何ですか。
諦めたくない夢はありますか。
拙文に最後までお付き合い頂き誠にありがとうございました。願わくは、貴方の「好き」が花開き、その夢が叶いますように。
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#日常生活に支障をきたしたら考え直す必要があるかもしれません #好き
#人間は夢があるから動き出します
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