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批判より対話を願えども、世を支配するは憎悪と争いの系譜/雑記
人は何故、争うのか。
しばらく前、なんやかんやあってウクライナに在住していた方とお話しする機会がありました。昨年2月のその瞬間を現地で経験し、命懸けで着の身着のまま国を離れたその人は、握りしめた1000ドルで身の安全を確保できるところを探したそうです。
もう国には戻らないと話すその人は、生活基盤を作るための資格取得を目指して頑張っているところでした。異国の地に唯ひとり。しかし不安を感じさせない表情と声色は、なんとしても生きるのだという覚悟を燃やしているようでした。
日本とて、手放しに平和を謳える情勢ではありません。隣国との関係性は必ずしも良好とはいえず、水面下での戦略は日々進められていることは疑いようのない事実です。専守防衛を原則とする以上、最終的には上陸を許さなければ国を守れるのかもしれませんが、武力行使の前に争いを防げるように、国の舵取りは非常に難しい局面にあるのだろうと推測します。
ホモ・サピエンスは近縁種を根絶やしにするほど攻撃的な種族で、私たちの遺伝子にはその争いの系譜が刻まれています。潜在的な攻撃性、暴力の片鱗は、日常様々な場面で遭遇することがあるでしょう。道徳や倫理観の薄れやすい匿名社会の言葉は、その傾向が強調されるようにみえます。
現実社会はフィクションのように善と悪が二分されているわけではありません。それぞれの立場に主張があり、いわば正義の衝突が争いの火種になるのでしょう。自国の利益を求め自国民の生活を守るために他の何処かに生まれる犠牲は、正義の名のもとに許容される現象なのでしょうか。
類似は連帯感を齎し、差異は隔たりを深めます。
数字をつけると大小が生まれ、優劣の価値観が派生します。
人は何故、争うのか。
自分の生活はどうでしょうか。
答えのない問いに思考を巡らせていたところ、ふと歌のフレーズが浮かびました。
勝手知ったる少ない仲間と 敵だ味方だと騒いでる
止まれないこの世界で 胸を張って生きるしかない
争いの種は、芽吹かせないほうがいい。
批判の前に対話を、
否定の前に想像を。
日常生活の中にも、できることがあるかもしれません。
拙文に最後までお付き合い頂き、誠にありがとうございました。願わくは、貴方の心が憎しみに染まる前に、どうか温かい心に出逢えますように。
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