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親子も人間同士だから、相性の良し悪しがあってもいい。

 年末年始には実家や義実家に帰省した方も多いでしょう。こんな時代でも「せめて挨拶くらいは」と思うことは自然な心の動きです。

 さて、私は自分の母親が苦手です。

 幼少期の私が病弱だったことも大きく影響したのだろうと想像しますが、過保護を通り越して過干渉で、さらに自分の価値観に一致しない言動があるとヒステリックに金切り声で怒鳴るような人でした。普段は「優しい」母親ですが、あたかもスイッチのオンオフように人が変わります。

 幼少期の私は「良い子」に育ちました。

 思春期を過ぎた頃から母親に対する苦手意識が強まり、成人してからは会う度に違和感や苛々が積もっていきました。まず、話が通じない。どんな話を試みても自分の好みに解釈して、その解釈を「事実」として記憶してしまうんですね。
 「良かれと思って」の塊のような人です。色々なことに気を使いながら、善意100%で人に突進していきます。

 いやほんと「優しい人」なんですよ?
……「優しい」にも色々ありますが。

 昨年の正月だってその前年末に急にLINEで、

「お正月は簡単におせちを用意しますので食べに来てください。都合の良い日をお知らせください。」

 と送ってきたくらい「優しい」人です。

 いやいやいやいや食べに行くのは命令形かよ、都合聞いておいてそこは確定事項かよ、と。
 実家まで距離もありますし、油断していい感染状況ではなかったし、直接会いに行くのは丁重にお断りしました。リモートで年賀のご挨拶だけ。

 長らく悶々としていましたが、あるとき妻に、

 「親子も人間同士だから、相性の良し悪しはあるでしょう」

と云われハッとしました。

 ああ、相性か。それなら仕方ない。


 それに気付いてから、母親との関係性は随分と良くなりました。親だと思うから変に期待してしまう。別な人間だと思えば「そういう人もいるよね」と片付けやすくなりました。自分の中で折り合いがついたことで、「相性の悪い人に会う」という心構えのもと、普通に応対できるようになったのです。
 色々と思うところはありますが、育てていただいた恩があります。そして成人したからには、今の自分の責任は自分でとらなければなりません。
 親の所為にしたって、何も変わらない。

 母にはとても感謝しています。

 でも、会うのは「たまに」がいいかな。
 母が還暦を越えてからは、会う度に「これが最後の会話になるかもしれない」と思いながら、真摯に向き合って最善を尽くしています。

 拙文に最後までお付き合い頂き、誠にありがとうございました。願わくは、貴方が先入観から解き放たれて自由を謳歌できますように。

 

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渡邊惺仁
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