郷の秩序、ガリレオな医師
如何に歪な集団にも、其々の秩序があります。
国と地域の文化の差異もあれば、もっと身近なコミュニティにおいても、例えば市町村や会社などの組織、最小単位は同居家族レベルにも、其々の秩序というものが存在しています。時代や文化圏の差異によっては悪習と見られることもありますし、最近流行りの「人権」の観点から絶対悪と見做される場合もあるようです。
しかしながら、掟には理由があります。理由や歴史を知らずに自分の価値尺度を振り翳すと、思わぬ弊害を生む危険性があることを、私たちは心に留めておいたほうがよいでしょう。
大学の先輩に、天才物理学者のような風貌の医師が居ります。威風堂々な立ち振る舞いたるや、研修医どころか医学生時代から既に診療科長クラスのオーラを放っておりました。
ここでは敬意を以てガリレオ(cv.福山雅治)と呼ぶことにいたしましょう。
ガリレオが卒後5年目くらいの出来事です。
事件は彼の外勤先で起こりました。
大学病院に勤務する医師は殆ど例外なく「外勤」と呼ばれる業務に週数回従事します。勤務先病院の外の医療機関に勤務することの略称ですが、これが薄給な大学病院に代わる主な収入源になります。医師の副業、或いは大学医局からの人材派遣と言い換えることもできます。医療機関同士の人的な繋がりを保つ意味合いも大きく、医療連携の維持にも必要な制度です。
外勤先、とある患者の治療内容について、ガリレオは言いました。
「さっぱりわからない。」
彼は卓越した技能を有する医師です。わからないのは治療方針の理由であって、それは彼の理想とは異なるものだったのでしょう。
「僕は主治医の動機には興味がない。」
そう言わんばかりに自身の信ずる治療を実行し、それから自身の大学病院に患者を転院させました。
「医者は患者を治療したいだけだ。」
怒ったのは主治医、混乱したのは患者と家族、振り回されたのはコメディカルの面々でした。同様の事例が度重なった結果、苦情が教授の耳にも届いて彼は外勤先から出禁を食らうに至りました。
医学に絶対的な正解はありませんから、医師によってベストと考える治療が異なることはよくあります。それ故に医師は患者本人や家族とのコミュニケーションを通して当事者たちの価値観を知り、相談を重ねながら診療方針を決めていくものなのです。そこには一定の秩序があります。
たとえ外から見て不可解なものであったとしても、主治医の知らぬところで勝手に色々と変えてしまうと、大きな混乱を生じ、医療不信を招き、最終的には患者本人や家族にとって不利益をもたらすこともあるのです。
医学に没頭するガリレオは、難解な症例を目の当たりにすると、
「実に面白い。」
と言って周りが見えなくなるようです。やべー光景ですが、ノッてる彼の診療能力は卓越していて目を見張るものがあります。高度医療機関では重宝される彼の能力は、しかし他の場所では仇にもなる。これは奇妙な事実です。
さて、医療格差が叫ばれて久しい世の中ですが、この「差」は一向に埋まる気配がないと私は感じています。
というのも、私にはガリレオの治療が極めて合理的で有効に思われるからです。もし私が病を患い治療を受けるなら、件の外勤先病院には行きたくありません。ガリレオに依頼します。しかし、全ての人が医師や医療機関を自由に選べるわけではありません。
その公然の秘密に、誰もが口を閉ざしています。
郷に入っては郷に従う。
それは何を守るための掟なのでしょうか。
私は空を仰ぎ、街の片隅で今日も外来を開きます。
拙文に最後までお付き合い頂き誠にありがとうございました。願わくは、貴方が良い縁に恵まれますように。
ご支援いただいたものは全て人の幸せに還元いたします。