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何のための医学か。

 記事を読み終わる頃、医学に価値が宿ります。


 現代医学は発展途上ながら極めて有用な診断および治療手段が数多く実用化されています。全ての病を根治する…とはいかずとも僅か100年前には不治の病だったものを治療する光景は珍しくありません。

 天然痘や結核を代表とする各種感染症は勿論のこと、麻酔技術と外科的治療の発展により救命し得る命は劇的に増加し、遂には死の代名詞であった悪性新生物さえ克服しようとしています。私の専門領域で扱う肺癌は、他の領域に比較してまだまだ生命予後の不良な癌種ですが、それでも最近10年ほどの革新的な薬剤開発は進行期肺癌の標準治療を激変させました。

 これほど進歩を重ねる現代医学の恩恵を大いに享受できる本邦で、しかし医療不信の芽はそこかしこに見られます。

 いったい何故?

 平均寿命と健康寿命の乖離に見える歪な社会構造と、物質的な豊かさに反した幸福度の低下は、令和時代の直面する大きな問題です。数値で評価される健康と疾病のパラメータを基軸に現代医療が計画されている以上、真に尊重されるべき「何のための医学か」という問題提起は何処かへ消えていくのでしょう。

 何のための医学か。

 『ヒポクラテスの誓い』だとか『ジュネーブ宣言』だとか、或いは類似の文章を紐解けば答えのようなものが浮かび上がります。医学生は全員学ぶ内容ですし、試験で問われます。しかし正確に記憶している研修医は極稀です。

 分かりにくいのです。

 どれくらい分かりにくいかを感じていただけるよう、全文和訳を載せてみましょう。目が受け付けなかったら引用部分はスクロール願います。

問「何のための医学か。」

『(ヒポクラテスの)誓い』
 医神アポロン、アスクレピオス、ヒュギエイア、パナケイア、およびすべての男神・女神たちの御照覧をあおぎ、つぎの誓いと師弟契約書の履行を、私は自分の能力と判断の及ぶかぎり全うすることを誓います。
 この術を私に授けていただいた先生に対するときは、両親に対すると同様にし、共同生活者となり、何かが必要であれば私のものを分け、また先生の子息たちは兄弟同様に扱い、彼らが学習することを望むならば、報酬も師弟契約書もとることなく教えます。また医師の心得、講義そのほかすべての学習事項を伝授する対象は、私の息子と、先生の息子と、医師の掟てに従い師弟誓約書を書き誓いを立てた門下生に限ることにし、彼ら以外の誰にも伝授はいたしません。
 養生治療を施すに当たっては、能力と判断の及ぶ限り患者の利益になることを考え、危害を加えたり不正を行う目的で治療することはいたしません。
 また求められても、致死薬を与えることはせず、そういう助言も致しません。同様に婦人に対し堕胎用のペッサリーを与えることもいたしません。私の生活と術ともに清浄かつ敬虔に守りとおします。
 結石の患者に対しては、決して切開手術は行わず、それを専門の業とする人に任せます。
 また、どの家にはいって行くにせよ、すべては患者の利益になることを考え、どんな意図的不正も害悪も加えません。とくに、男と女、自由人と奴隷のいかんをとわず、彼らの肉体に対して情欲をみたすことはいたしません。
 治療の時、または治療しないときも、人々の生活に関して見聞きすることで、およそ口外すべきでないものは、それを秘密事項と考え、口を閉ざすことに致します。
 以上の誓いを私が全うしこれを犯すことがないならば、すべての人々から永く名声を博し、生活と術のうえでの実りが得られますように。しかし誓いから道を踏み外し偽誓などをすることがあれば、逆の報いをうけますように。

ヒポクラテスの誓い
大槻マミ太郎訳:誓い.ヒポクラテス全集 第1巻,エンタプライズ.1985;580-582より引用


問「何のための医学か。」

『ジュネーブ宣言』
医師の一人として、
私は、人類への奉仕に自分の人生を捧げることを厳粛に誓う。
私の患者の健康と安寧を私の第一の関心事とする。
私は、私の患者のオートノミーと尊厳を尊重する。
私は、人命を最大限に尊重し続ける。
私は、私の医師としての職責と患者との間に、年齢、疾病もしくは障害、信条、民族的起源、ジェンダー、国籍、所属政治団体、人種、性的指向、社会的地位あるいはその他いかなる要因でも、そのようなことに対する配慮が介在することを容認しない。
私は、私への信頼のゆえに知り得た患者の秘密を、たとえその死後においても尊重する。
私は、良心と尊厳をもって、そしてgood medical practiceに従って、私の専門職を実践する。
私は、医師の名誉と高貴なる伝統を育む。
私は、私の教師、同僚、および学生に、当然受けるべきである尊敬と感謝の念を捧げる。
私は、患者の利益と医療の進歩のため私の医学的知識を共有する。
私は、最高水準の医療を提供するために、私自身の健康、安寧および能力に専心する。
私は、たとえ脅迫の下であっても、人権や国民の自由を犯すために、自分の医学的知識を利用することはしない。
私は、自由と名誉にかけてこれらのことを厳粛に誓う。

ジュネーブ宣言(改訂版)


 長い。

 ジョブズが聞いたらキレそう。

 もっとシンプルでないと流行りません。


 これらの文章は医の倫理に関するものと理解されていますが、医師の在り方を提示することで間接的に医学の目的や価値が克明に描かれています。生命とか人権とか健康とか秘密とか平等とか、そんな感じのことが云われています。

 アルベルト・シュバイツァー氏の言葉を借りると、このあたりの信念を端的に表すことができます。シンプルにいきましょう。

『生命への畏敬いけいです。

 これは姿勢ですから、「何のための医学か」という問題に回答するには方向性を明示する必要があります。医学の堅持すべき方向性を考える上で、数字や科学という呪縛から解放されなければなりません。何故ならば人類の創出した全ての学問は、人間の感情を発端にしているはずだからです。

 歴史の感情を読み解くのは困難を極めます。言語や数字は感情に不向きであって、公的文書に残りづらいからです。

 そこで私は個人的経験から歴史を類推します。

 病に苦しむとき、或いは死の恐怖と対峙して、私は「何でもいいからどうにかして助けて欲しい」と思いました。それは極めて個人的な経験に基づく感想でしたが、研ぎ澄まされた絶叫のような心の動きでした。そして私は、この情動こそが医学の原動力であろうと考えます。

 まとめます。

 医学は「生命への畏敬」を基に、
 苦しみを「どうにかする」ためにある。


 まだちょっと長い。漢文にしましょう。

 

 医学以敬畏生命来救人。


 これで恰好良く纏まりました。漢文に慣れないと白文では読みづらいので書き下します。

 医学ハ生命ニ畏レト敬ヒヲ以テ人ヲ救フ。

 だから医学が人権を侵害してはならないし、求められていない医療を強行すべきではないのです。




 拙文に最後までお付き合い頂き、誠にありがとうございました。願わくは、一切衆生の幸せを。




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