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そして考えるのをやめた話
中学生になって間もない頃、私は抑鬱状態に苛まれながら睡眠と摂食に不調を抱えていました。保健室の先生は優しくて、そこは私にとっての安全基地だったように思います。
例えば死の恐怖とか、生きる意味とか、今振り返ると思春期にありがちな悩みだったような気もしますし、その根底には自己同一性の喪失があったように思います。
幼少期には比較的寡黙で思考に没頭する性格で、人格が分離してからもその傾向は維持されていました。特に回答の定まらない哲学的命題に取り組むと、思考の糸は複雑に絡まり其処彼処に余波を引き起こし、その濁流は睡眠を許しませんでした。
その日、片頭痛発作を起こして逃げ込んだ保健室の隅のベッドで、そのとき悩んでいたことを先生に相談しました。それは『水槽の脳』と表現される問題で、およそ実生活とかけ離れた杞憂でしたが、当時の私にとっては深刻な悩みでした。
先生には難しいことはわからないけれど、と前置きしてから彼女は言いました。
「考え過ぎよ。たまにはバカみたいな番組を観て頭カラッポにして笑えばいい。」
言われた瞬間は唖然としましたが、これはユーモアのある切り返しだと気づくと私はひどく楽しい気持ちになりました。水槽の中に脳だけ存在する私と、お笑いをみて頭をカラッポにする私。愉快な光景ではありませんか。
家に帰ると新聞を取り出して、番組欄に目を走らせます。よかった。お笑い番組が放送される日です。私は時間になるといそいそとテレビの前に座り、その番組をみて大いに笑いました。何がツボにはいったのか、涙がでるほど笑ったあとには、不思議な爽快感があったことを憶えています。
・・・・・・
最近、思考の渦に囚われる出来事があって、昔のことを思い出しました。これはいけないと気づいた私は、シャドウ競歩大会のように散歩に繰り出したのち、なるべく頭を使わない感じのコント動画を視聴して、考えるのをやめました。
まぁいっか。
時を超えて私を助けてくれた先生に、感謝を。
拙文に最後までお付き合い頂き誠にありがとうございました。願わくは、貴方の悩み事が思わぬところから解決に向かいますように。
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