思いやりは受け取る側が要求するものではない話
忙しいとは「心を亡くす」と書きます。
これはまったくその通りで、知らないうちに余裕をなくしていることがあります。作業量とか時間とか、そういうことだけではなくて、心の在り方も問題です。
巻き起こる感情が複雑に絡みながら嵐になると、それは心の忙しい状態になるのだと思います。
「あの先生、思いやりがないんだよね。」
病棟でそんな言葉を聞きました。棘のある言葉。チクチクしますね。
私はその先生のことを知っています。たしかに余裕がないときも多いし、コミュニケーションの苦手な人だから誤解されやすいけれど、真面目で優しい先生です。
思いやりがない。
言わんとしていることは分かりますが、違和感を拭えません。このモヤモヤした感じは一体なんでしょうか。なんとなくモヤモヤした感じを抱えながら妻に話したところ、少し考えてから妻が言いました。
そう、あの「軍曹」で「はがねタイプ」な妻の言葉です。
ああ、サービスなんだ。
たしかに思いやりは相手のための善意から発する言動であって、その起点はあくまでも自分にあるはずです。要求される「思いやり」なんて、そんな思いやりのないことはありませんね。自分に余裕があるときだけでいい。
きっと大切なのは、余裕が生まれる方法です。
自分は本当に忙しいのか。
忙しくしなければいけないのか。
時々立ち止まって問いかけるのも一興です。
拙文に最後までお付き合い頂き誠にありがとうございました。願わくは、貴方が少しの余白と遊びによって、大切なものを守れますように。
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